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企業の人材育成にいつもいつも思うこと

ある記事?サイト?を見ていたら、少し気になる内容が書かれていました。

ある調査会社による「人事課題の認識」についての質問で、
『新入社員や若手社員の早期戦力化に課題を感じている』
と回答した企業は8割を超えていました。

具体的な数値は分かりませんが、私も転職していく中であるいは数多くの企業様と関わっていく中で同じような雰囲気は感じてきました。

この手のテーマは非常に取り扱いが難しいですよね。

なによりも難しいのは相手が新人であっても、若手であっても、

 企業は、数値目標の達成を求める

ということです。育成が重要と謳っておきながら、育成する期間を設ける気がないほどの数値目標を押し付けてくるのです。データを取ったわけではありませんが、私はやはり一般論でいうところの「投資」期間は必要だと思っています。数値目標ゼロが良いとは言いませんが、新人にせよ若手にせよ育成期間を含めて、一人前の収益を稼げるようになるまでのきちんとした育成戦略があってしかるべきだと思っています。

ですが、そう言う戦略がないまま数値目標だけを押し付けるから、現場の管理職は「ヒト」ではなく「カネ」ばかり見るようになります(他人の人生を預かる身分、という自覚を持っている管理職なんて何人いるでしょう…)。

ですが、これは仕方のないことです。

上司を担っている方々にも自分たちの生活があります。出世の野心もあるでしょう。数値目標の達成が「評価」に大きくかかわる以上、よほどスキルが多彩で、よほど上手にやりくりできる人でない限り、とにかく「稼いでくる」こと以外にまで目端が行き届かなくなる管理職が増殖してしまっても責任を問うこともできません。

その結果、現場の言う『即戦力』というと言い換えれば

 「手のかからない、すごくできる人」
 「上司や先輩が楽して数値目標を達成してくれる人」

のことをオブラートに包んだだけになっていきます。

普通に、普通の、一般的な、常識的な感性で考えれば「あんた、新人に何求めてんだ!?」と言いたくなるのですが、それでもそう思ってしまう上司が今の日本国内では多いのではないでしょうか。

その上司にとっては人材を「ヒト・モノ・カネ+情報」の「ヒト」として扱う気があるのかどうかも疑わしい限りです。そして、なぜ「ヒト・モノ・カネ+情報」の順番となっているのかについても少し考えればわかることなのですが、そんな考えに辿り着くことも無いのではないでしょうか。

そもそも、

 自分たちが新人だった頃、原価に見合った働きができていたのか?

という事実を差し置いて、他人にばかり強要することもどうかと思います。私は、部下やメンバーに仕事を依頼あるいは指示する時、自分が同じ経験年数や在籍年数であった頃と比べて依頼・指示内容を選別したり、その後のフォローの手厚さを変えたりしています。

自分と同じハードルを設けるためではなく、常に「自分」がヘタレだった頃(初心)を省みて自らの行動を律するためです。当然、スケジュールやコストを見積もる際にも「自分が新人だった頃」を意識するようにして、相手に過度な負担がかからないよう配慮は常に行うようにしています。


それに、そんな有望な学生が入ってくる可能性なんて宝くじが当たる確率に近いわけですし、昨今のニュース記事などを見ていると特に有能な人材はみんなメガベンチャーや外資系企業に集まり、一般的な日系企業は忌避され、世界のトヨタですら滑り止めにされているような状況です。

(以前見た記事はどこかに行ってしまいましたが…ここでも同じようなことが言われています)

そんな組織体質や事情を差し置いて、学生や新人にたいして甘い期待ばかりし、ただただ上司や企業を楽させるためだけのワーカーを求めた教育をしていればいいのか?と言うと「人材育成」としてはなんか違う気がします。


たしかに「早期戦力化」は重要な経営テーマですが、それは現在に始まった話ではありません。昔からそうでした。けれども、2~3ヶ月程度の新人教育を含め、スポットで行われる集合教育では決して身につくものではありません。

ああいうのは「気づき」を得るためであったり、得た知識を持ち帰って「実務」で活用するために行われるもののはずです。

教育にとって本当に必要なのは、教育側の組織や講師の自己満足で「知識を与える」ことではなく、受講者たちが得た知識を「実務に活かしてもらう」ことのはずだからです。

企業も、上司も、ひょっとすると講師にも、その観点が欠けているように感じてなりません。企業側に「人を育成する能力」が欠けているように感じてなりません。

だから、教育されたことを1ヶ月後、1年後、3年後、5年後に聞いてみても全く覚えていない人しかいませんし、仮に教育されたこと『だけ』は身につけられたとしても現場に出ればその通りにはさせてくれなくて現場ごとに異なったルールを押し付けられ、学んだことの1割も発揮できないような状況ばかりが目につくわけです。

教育する側の内容も、実務を無視した内容ばかりになってしまうのではないでしょうか。

実務と連動しない時点で教育は形骸化するのです。

最初の記事にあった、株式会社ラーニングエージェンシー(旧 トーマツイノベーション)の教育コンセプトを少し調べてみましたが、PDCAフレームワークが導入されているのも、「実務」がPDCAの中に組み込まれているのも、そうした実情を踏まえているからだと私は解釈しています。

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(たぶん、③がP、④がD、①②がCで、1サイクル後の④がP+Aになるのだと思います)


実際、私が社内で要請されて行った過去の教育も、何1つ現場では活かされてはいないでしょう。活かしているという声すら1度も聞いたことがありません。

育成対象は常に新人や若手、上司から見て「未熟」と認定された人たちだけで、その上司たちは私がどんな教育をしているのか、実務でどんなことができるのかを知りません。結果、どんなに有益なことを伝えても、その通りのことが現場でできるかどうかがわからないのです。先輩や上司と呼ばれる存在自体が育成の邪魔をすることだってあり得ます。

活かすように取り組めという現場指示もありません。
活かさなくても罰されません。
活かしても評価されません。

もうそれだけで、教育そのものが形骸化している証拠です。

挙句、自分たちの勝手なやり方で進めてトラブったとしても上司は何もせず、何もできず、部署によっては面倒な問題対策を私に丸投げするばかりです。そんなことをすると問題や課題すら自分たちでは分析せず、解決せず、再発防止もしようとせず、現場では「ヒト」がもっと育たなくなるわけです。

「教育」と言う機会は「講義」形式である必要はありません。
「ヒト」が仕事として活動する時間の大半はあくまでも「実務」です。

教育の大半は、現場の実務の中で行うものだと私は思っています。仮に知識を与える場を別に設けたとしてもただ暗記するだけで実力になるわけではありません。

以前にも書いたように、「知る」経験をした後が続かなければ、それまでなのです。


実務の中で育成することができない組織が成長するはずもありません。

だからこそ、日頃実務の中でどんなに成績を上げようが、組織を育成することができない人物はあまり「出世」させるようなことはしてほしくない、…と私は思っているのですが。

企業経営において人材の成長戦略を組み込むのであれば、本当に解決すべき課題は2つだと思っています。

 ①教育内容と現場実務が一致しない
 ②現場実務で育成させられる先輩や上司がいないし、
  いてもそういった活動は評価されない、だから現場もしない
  …のデススパイラル

これらが改善されない限り、「教育」だけで育成できるような"銀の弾丸"は存在しないのではないかと思います。


もう、15年以上言い続けているのですが、私の周囲では誰も賛同してくれる人がいないんですよね…私自身が実際に取り組んで、それなりに評価される人材を輩出してもやはり私の周りにいる同位の役職者たちは真摯に向き合おうとしません。そして、そんな役職者を経営層は放置するのです。

だから、いつしか「日系企業ってそういうものなんだ」という半ばあきらめにも似たようなものを感じています。若者たちが、外資やメガベンチャーに目を向けるのも、わかるような気がします。

ただまぁ、私はもう若者なんて時代をとうに過ぎてしまっていますので、できれば既存の日系企業をなんとか改革し、後に残せればいいなぁーと考えているのですが。

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