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【小説】自然と農

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森の中に暮らす家庭菜園初心者の主人公が、雄大な自然と、時々愉快な仲間たちと送る、ちょっぴりお洒落で心温まる日々の記録。
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自然になる

自然になる

風に揺れる草花。

甘い香りのジャスミンと、
陽光に揺らぐ影。

ガラス越しに臨むいつもの風景。

グラスに注がれた麦茶の水面が揺らいで、
全てのものは動揺しているのだと、
再認識する。

終始一定のものなど無い。

全て心地良く揺れている、
みな大海の上。

波に揺られているだけ、
決められるのは方向性のみ。

波を搔き分け全力で泳げば、
疲れるのは必至。

肩の力を抜いてプカプカ漂えたら、

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良い兆し

良い兆し

太陽が山の奥へ沈み始めると、
急に風が強まって、
幾分暑さが和らぐ。

風の吹き荒ぶバックガーデンで、
懸命に足を踏みしめて、
荒れ放題のスイカ畑とサツマイモ畑を手入れする。

ここ数日の降雨で草勢凄まじく、
鎌を振る僕の右腕を砕いた。

しかし、
スイカ畑に時折顔を覗かせる小さなスイカの実が、
僕の心を勇気づけた。

風はいよいよ強く丘を吹き下ろすが、
しかし、
涼しいのは何よりである。

平生

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帰りたくても帰れない

帰りたくても帰れない

深い眠りから醒めない。

まだ夜は明けない。

明日は来ない。

一人静かにユーカリの香る中で、
知らない人の未来を夢見る。

オレンジに煌めく街燈の、
その光の揺らぎが、
夜の深まりを教える。

早々に帰らなければ、
この町に独り取り残されてしまう。

けれど、
まだ帰りたくない。

する事も無いのに何も無い今を、
如何にか引き延ばそうとしている。

遠く灰色に霞む山々の端に、
家々の明かりが瞬

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生命の網

生命の網

最近はまた、
ガラガラ声の母猫が山小屋を周回するようになった。

夜も深まり人々の寝床へ潜り込む時刻、
猫のメメが足元で丸くなると、
何処からともなく「ギャアギャア」鳴く声が聞こえて来る。

最初は狐かと思った。

狐はギャアギャア鳴く、
その声にそっくりで。

けれど、
ある晩不図ウッドデッキへ通じる道を眺めていると、
月明りの下に現れたのは、
茶色の大きな猫。

良く見ると、
その後ろへ小さな

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混沌たる日々

混沌たる日々

ぬか漬けは、我が家のサラダのようなもの。

発酵している分、生野菜より栄養価が高い、そして、ご飯に良く合う。

まだ漬かり切らないナスを齧りながら、僕は不図昨日の事を想起する。

美しい金髪にあどけなさの残る笑顔。

食や農と言った事へ大いに関心がある様子で、
僕の話を真摯な面持ちで傾聴してくれた。

町の雑貨屋で店員として働き、
忙しいけれど楽しい日々だと、
笑顔で語った。

その彼を仮にアーロ

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新しいステージ

新しいステージ

「こんにちは、いらっしゃいませ。」

雨のしとしと降り続ける町の一角、
低層の雑居ビル一階の軒下で、
僕は大量に届けられた荷物の運搬を手伝っていた。

中身は殆ど全て花。

生花もあれば高価なプリザーブドフラワー、
ドライフラワーも混じっている。

友人のフロリストは、
この町の目抜き通りに面したビルへ構えられていた。

くすんだ朱色のレンガ造り。

三階建てで、
一階部分が店舗、
二階は倉庫で三

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明日への模索

明日への模索

良い仕事は幾らでもある、重要なのは誰と働くかだ。

働きやすい環境は良好な人間関係の上に成り立つ。

良い人々に囲まれると、仕事の負担も幾らか軽減される。

仕事と言うものは何時でも厄介なものだ。

余り暑いので、時間を区切って小出しに外仕事をする事にした。

僕の畑は少しずつ秋めいている。

夏野菜の勢いは衰え始め、
そろそろ、
秋以降に採れる野菜苗の植え付け時期に差し掛かっている。

ブロッコ

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自然の境地【入口】

自然の境地【入口】

今日は畑仕事をすべきだった。

明日から暫く雨模様の予報。

きゅうりと葉物の跡地は草刈りが追い付いていない。

綺麗に整地して秋採りきゅうりとブロッコリーを植える予定だった。

しかし、それに体が付いていかない日もある。

午前中までは良かった。

しっかり朝食を食べ、町の図書館へぶらりと立ち寄る。

面白いものは無いかと物色していると、久方ぶりに友人を見た。

フラワーアーティストをしている彼

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変わりゆくものと変わらないもの

変わりゆくものと変わらないもの

僕の怠惰がまた暴れ出している。

山小屋を何気なく前方より眺めると、
その草勢の激しさに驚く。

何処もかしこも草だらけ。

まるで緑にペイントしたよう。

最早この見た目で貫こうかと心の折れかけるが、
流石に大家が黙っていないので、
泣く泣く草刈りを開始する。

無論、電動草払機は使えない。

非常に狭いエリアである上に、
ゴツゴツとした岩が覗いているのだ。

バックガーデンが広々としているのと

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山小屋の岐路

山小屋の岐路

闇に沈み始める畑。

夜の帳の下りる頃。

秋の虫が鳴き、暑さは緩む。

悪くなる視界に、葉なのかピーマンなのか。

判別の付かなくなると、今日の畑仕事は終わりを迎える。

今年のピーマンは何故か実が小さい、その葉と見誤ってしまうほど。

そう言う種類なのか、気候の影響なのか。

そう言えば、トマトの実も幾分小さい。

ミニトマトに至っては殆どならない上に、
結実してもサクランボの種程度の大きさ。

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山小屋の本音

山小屋の本音

華やかなカップ&ソーサ―で華やかなティーパーティーがしたい。

彩に華やかなカップケーキを添えて。

美しいものを集めた場所には良い気が流れる、
僕の中の不浄を洗い流してくれるような。

今年は庭にブルーベリーを植えたが、それが思いの外実を付けた。

多少冷凍し保存しておいたが、その使い道を丁度今見出した。

町の家具屋から届いた一枚の葉書。

優雅なアフタヌーンティーのテーブル。

しかし、僕の

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父のクラッシックギター

父のクラッシックギター

緊張の面持ちで相対するのは、
この町唯一のクラッシックギター講師、
ミスターレインの流麗なアルペジオだった。

絵付師ベインズの陶芸窯での事で、
僕は小屋から運んで来たクラッシックギターを汗ばむ両手で握り締めた。

「まあ、このように練習して行くと何れ出来るようになります。」

ミスターレインは上機嫌で頷くが、
僕はそれ以前から既に拍手を始めていた。

「素晴らしい!」

数日前、僕はつと思い立ち

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特別じゃない日

特別じゃない日

お籠り生活一日目。

猫の声に起こされる。

相変わらず優秀な目覚まし時計だ。

今日も朝から霧雨が降る。

空は明るいので気が変になりそう。

狐の嫁入りどころの話じゃない。

キッチンへ立つと、朝食用のパンが底をついていると気づく。

平生は町へ買いに下りるのだが、
今日は不図思い立って手捏ねで山型パンを作ってみる。

本当はホームベーカリーなどあれば便利だが、
捏ねている時のパン生地の柔らか

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自然農の新しい試み

自然農の新しい試み

今日もまた何時もと変わらぬ朝がやって来る。

これから月末までは少々お籠り期間である、
何せ雨が多いしお金の浪費は極力避けたい。

朝からご飯の催促の激しい猫。

昨晩は大家のミセススフィアのもとへは行かなかったようで、
ベッドに眠る僕の足元へ丸まっていた。

「にゃおおん!」

「はいはい。」

古びた箪笥の上へ飛び乗ると、定位置に着いて行儀よく食べ始める。

猫のメメはこの箪笥の上を殊気に入っ

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