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悩みを子どもに相談してみた|思ってもみなかった驚きの回答とは?

昔からいつも似たような悩みがある。

それは、苦手な人ができてしまうこと。

好き嫌いとはまた別に
「なんかこの人と話すと、コンプレックスが刺激されて苦しくなる」
という感覚が、時々起こる。

色々な原因があるけれど「よくあるケース」も存在していて……

そろそろ向き合った方がいい気がする。

恥を忍んで、感情をゆっくり紐解いてみよう。

苦手の原因は大きく3つ

なぜ苦手なのかと考えたら、主な原因は多分この3つ。

① 自分と似ている

方向性・雰囲気・取り組み内容などが、私自身と似ている人。

多分、やりたいこと・興味の対象・スタイルが一緒なんだろうな。

② 私より上手くできる

そして、これ。

能力が私の上位互換に思えてしまう。何をやらせても上手い……という風に。

途端に、自分がひどく惨めな存在に感じられる。

③ 身近にいる

遠い存在なら関わることもない。

近くにいて、私の友人知人と関わるから心配なのである。

「せっかく作った居場所が奪われる……」
と不安になってしまう。


凹み過ぎて息子に相談してしまった……

先日はもうベッコベコに凹み、ゴミ捨て場のペットボトルのようになっていて。

布団の中に入っても引きずり、思わず子どもに相談してしまった。

「同じクラスに、○○(子の名前)と同じようなタイプで勉強も運動も友人関係も全部うまくできる子がいたとして、どう思う?」

「うーん……それは "目の上のタンコブ" だね」

「だよね! その通り! それで、どうする?」

「うーん……でもさ、そんなに似てるなら、逆に面白いんじゃない?」

「……えっ」

「そういう視点もあるのか! マジか!」
と驚いた。


確かに、似ているのはある意味では面白いことだよね? 私が勝手にその人を苦手と感じているだけで。

もしかしたら良い友人になれるかもだし、分かり合える部分もあるかもしれない。相手が自分をどう思っているかは分からないけれど。

それにしても、若干12歳でこれを言えてしまうってどんだけ?(親バカ)

競争に全く興味が無い夫の血を引いているからかもしれないが、私より人間ができていると思うことがしばしば。

まぁ、それだけ私の器がちっちゃいのか。よく
「あと10万年生きて徳を積んだ方がいいよ」
と夫に言われるし……

3倍以上多く生きているのになぁ、、ちょっと情けない。

※ 注意
これ(子どもへの相談)をやり過ぎると、子どもにとって良くない。ヤングケアラー問題のように、子どもが子どもらしくのびのび過ごせなくなってしまうから。一応注意していて、普段は悩みを聞いてあげようとしている。


そもそも、苦手に思う必要ある?

苦手な理由3つの中で1番大きいのは「③ 身近にいる」 だ。

例えば大学の同期には優秀な人がたくさんいて、SNSでもよく評判になっているインフルエンサー的有名人もいる。

私は、なぜかいつも勝手に張り合っては1人で凹みがち


以前友人とよく話していたのだけど、嫉妬の原因は「優秀だから」だけでなく「近いから」

遠い存在がいくら成功してもどうってことはないものだが、近しい存在が上手くいっていたら気に食わない。

スティーブ・ジョブスやビル・ゲイツに本気で嫉妬する人は少ない反面、隣に住むママ友が急に有名になったら嫉妬するのではないだろうか?

それは
「自分と近いはずなのに、なぜ自分よりできる?」
と感じるから。

つまり「近い」だけで「似ている・同等」と勘違いし、「なぜ私よりも良い思いをするんだ?」と勝手に考えてしまうのである。

よく考えたら大学の同期も、ただ同じ場所(同じサークル・ゼミ・クラスなど)に一緒にいただけな訳で。

「袖振り合うも他生の縁」
のように、縁があるとも無いとも言えるくらいの微妙な関係。

その近さを勝手に重視し、嫉妬の念を向けて1人憤るなんて的外れもいいところだ。

奮起して頑張るモチベーションにするなら良いのだけど、生きづらさに繋がるなら意味がないし害悪。


また、「② 私より上手くできる」は次点で大きい。

「行動が存在を左右する」
と思っているから、すごい人の枠を取られたら私の存在意義がなくなる……とつい考えてしまうのかも。

このnoteに書いた話と少し近い。

つまり
「成功や幸せのパイは有限であり、他の人に取られてしまったら私の分が無くなる」
という危機感。

でも、成功はそうなのかもしれないが(そこも分からないけど)、幸せは心の状態だし多分違うはず。


相手がどうとかではなく、自分の問題

そして、おそらく相手は私のことを気にもかけていない。

夫にも
「なんでそんなに自意識過剰なの?」
と時々言われる。

多分、この同類嫌悪(的なもの)の真の原因は「自己嫌悪」。
自分の嫌な部分を相手の中に見出すから嫌なんだろう。

例えば

  • 人目を気にしていないようで気にしている

  • PV数・フォロワー数を気にする器の小ささ

  • 目立ちたい(しかし良い意味で)という欲求

  • 人から頼られたい

  • できる自分に酔っている

というような部分。

それが、きっとすごーく嫌なんだろう。
自分の中のドス黒い部分を相手に見出し、執拗に嫌う行動。

自分に真の意味で満足していたら、こんな現象は起こらない気がする。


もしかして「赤ちゃん返り」と一緒では?

生まれた弟・妹に親の愛情を取られてしまうと不安になって赤ちゃんのような行動をする現象、赤ちゃん返り。

「そんなことないのに……」
と親側や大人なら思うものの、当の本人は必死。


居場所がなくなる不安は、赤ちゃん返りと似ているかもしれない。

そう考えたら、技能云々ではなく承認欲求的な話で。

「私を見て」「私を愛して」
という気持ちが行き過ぎると、その気持ちを直視したくなくて他人を羨んでしまうのかも。


人生に「こうすべき」なんて規則はない

人間は(今のところ)全員死亡するし、人生は儚い一瞬の夢のよう。

単に今たまたま同じ地域に同時期に生きているだけで、長い目で見たら一期一会の出会いと別れの中にある。

その人から学べるものはすべて学び、一瞬一瞬を喜劇のように楽しんだらいいのかもしれない。

本当はすべて「どうでもいい」んですよね。

とは、尊敬するビジネス書作家・佐々木正悟さんのお言葉。先日何かの文脈で、ポロッと零していた。

投げやりな話ではなく、良い意味でも確かにそうだ。

社会のルールは複数の人間が共生するためにあるけれど、1人の人生の中で考えたら本来「こうすべき」なんて無いはず。

苦手な人を嫌い続けてもいいけど、それはそれで結構大変。
なら、別に嫌わなくてもいいのかも?

気にしないのは難しいかもしれないけど、もしかしたら気持ち次第でその状況すら楽しめるのかもしれない。

「楽しく、無理せずやろうよ」
それが今の私からのメッセージ。

後でまた辛くなったら、この記事を読み返そうと思う。


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