_7_十代に共感する奴はみんな嘘つき

#7 自分だけの感情と共に、今この瞬間を生きていく:十代に共感する奴はみんな嘘つき

こんにちは!すがっしゅです。

ソラニン第7回は、最果タヒさんの
「十代に共感する奴はみんな嘘つき」です。

このタイトルを見た時に、
なんだぁひねくれてて好きだなと思い、手に取りました。笑

「十代の頃は~」とか「若い頃は~」とか言う人ってよくいますよね。
そういう人に出くわすと私はよく「私たちは今を生きています!」と言いたくなるのですが…まさにそんなことを代弁してくれる作品でした。

★ひねくれたある女子高校生の話

主人公はある女子高生。唐坂さん。
「かわいそうな人がかわいそうぶってる世界が嫌い」
「教室の真ん中でヘッドフォンつけてるやつ、かまってほしいんだろうな、
 だからあんなに大きなヘッドフォンなんだろうな。」
…などと笑、想像を働かせて決めつける癖がある女の子です。

そんな唐坂さんが、ある日、何となく陸上部でカッコいい沢君という男の子に告白します。そして、「まぁ、いいよ」と答えられて、「まぁ、」の部分にムカついて、ふります。笑

すぐにその噂は各クラスに広まって、沢君、からかわれてかわいそう、という雰囲気に。唐坂さんは友達のナツからかわいそうじゃん!と怒られます。
でも彼女としては、付き合ってほしかったのは嘘じゃないし、でも「まぁ」という感じで妥協して付き合うほど愛されたい訳じゃないからふっただけで、別に私は悪くないという感じ。気にしてません。

その日の放課後、いつも一緒に帰るはずのナツがいません。
何となく「告ってふるとかありえないし、ハブろう」的な雰囲気は伝わってるし、ハブられてるのかもしれない。でもまぁ、別にたまたま席が近かったのがきっかけで一緒にいただけだし、別にいいやなどと思っています。

教室にいるのはあのヘッドフォンの女子だけ。一人で掃除をしているところを見ると、いじめられてる感じだけど、他の掃除当番の子たちは一緒にサボろう、と話し合ってサボってるだけで、この子は誰かに声をかけられなかったから掃除してるだけだ、と思うと会話する努力をしろ等と思っています。

荷物を持って教室を出ようとしたとき、ふられた沢君が教室に入ってきました。彼は傷ついた!と文句を言います。彼女も「私は悪くない」と応戦。
話しているうちに、彼は最初は怒っていたのに、彼女のひねくれた性格を知ると、彼は彼女のことをちょっと好きになります。
実際に「おれちょっと好きになってきたかも」とか言う始末。

いやいやでも私は付き合う気もうないし、と話していると、彼は急に、ヘッドフォンの子に絡みます。「いじめられているの?」「やっぱりそう見える…?」と。彼女の名前は初岡さんらしい。
初岡さんは、「私は弱いから自分の気持ちをちゃんと言えない」「皆わかんないでしょ?独りぼっちにされる気持ち。」「唐坂さんにも沢君にも私の気持ちはわからない」と話します。
唐坂さんは、いやいやクラスメイトをどんな悪魔だと思っているんだよ、会話すればよくない?と次は初岡さんと言い合い。

唐坂さんは、初岡さんに「強くなりたいなら、私のこといじめていいよ」「ナツもハブってくるしちょうどいい」「黒板に唐坂はクソビッチって書いていいし、机にマジックで死ねとか書いていいよ」等と言います。
初岡さんは当然、は?意味わかんないとなります。沢君は、まぁまぁお互い痛み分けってことで、と意味の分からない適当さで二人をなだめます。

★翌日、彼女はいじめられだした。

翌日、唐坂さんが登校すると、びっくり。思わず「初岡さん、やるじゃん」とつぶやきます。なんと本当に、黒板にはクソビッチと書かれているし、机にはマジックで死ねと書かれていたのです。

クラスはざわざわ。皆が、見ないふりして唐坂さんに注目します。
皆の目線を浴びながら、自分の机に向かう。私は悪くない!と言いたい。
息苦しい。しかも、初岡さんは教室にいません。

今なら初岡さんが言っていたことがわかる、
皆私の気持ちなんてわかんないでしょ?

私はいま、かわいそうなのかな。

★自分の感情は自分だけのもの

唐坂さんは、自分がいじめられる立場に変わって、
何となく「死にたいな」と感じます。
それは、いじめられだしてから彼女の中に生まれた感情です。

それは、例えば「死にたい」と思ってリストカットをしたことがある人が、
「その気持ちわかる」と共感できるようなものなのか?
例えば、独りぼっちの気持ちを知っている初岡さんが、いじめられている唐坂さんの気持ちに「わかる」と共感しても良いのか?

答えはNOのはず。自分の感情は、自分だけのもの。
その瞬間に生まれた自分の感情をそのまま、尊重しても良い。

同じ「死にたい」でも人によって感じ方も境遇も違うし、
自分の「死にたい」という気持ちは自分だけのもののはず。
そんなメッセージをこの作品は伝えています。


過去にこうだったから今の自分はこう思う、という考え方がありますよね。若い頃はこうだった、十代のころは未熟だった、だからこう思う。
過去にこう経験したことがあるから、こう思う。
この考えを否定はしませんし、そういう一面もあるのですが、
本来、感情は「そこにあるもの」であって、過去や未来を踏まえてこう感じるべきだとか、過去にこう主張してしまったからこう考えるべきだ、というものではありませんよね。
人間は過去とのつじつまを合わせて生きている訳じゃない。

逆に言うと、十代の頃の自分が感じたことは
今の自分には全く関係がないんです。今感じたことこそを大事にするべき。
十代の自分は他人なんです。

これから色んな経験を積み重ねて、大人になる。
たぶん、10代の自分と、20代の自分は違うし、30代の自分とも違う。
人は変わっていくかもしれない。
だけど、生きているのは今。今の自分こそが自由。
いつの自分だって、今これが好きだ!ということをやるし、
今この人が好きだ!という人を好きでいる。
今 この瞬間を生きているのだから
今 この瞬間に感じたことを大事にしよう!
そんなことを感じた作品でした。


クラスでいじめられる側になる、という設定とは別に、もう1つ軸となる設定があるのですが(長文になりすぎるので省きました)、両方の設定から同じメッセージを導き出していて、うまく機能していました。

最果タヒさんは詩人でもあるからか、文章はとてもポエムっぽくて印象的。
主人公の語り口だけで主人公の目の前の世界が広がっていく感じは、湊かなえさん「告白」の手法に通ずるところがありました。


以上。ぜひ読んでみてください!
「ソラニン」第7回「十代に共感する奴はみんな嘘つき」でした。
読んでくれてありがとうです!

ではまた!


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