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松本隆さん、誕生日おめでとうございます。

 今日、7月16日が松本隆さんの誕生日ということをすっかり忘れてまして、Twitterのタイムラインに並ぶツイートでようやく思い出したという次第です。
松本隆という名前を意識し始めたのは太田裕美さんのシングルだった記憶があります。まだ小学生の頃の話ですね。
当時、太田裕美さんと岩崎宏美さんの楽曲がメチャクチャ好きだったのですが、太田裕美さんの曲の方が私にフィットしたのです。
「明星」の歌本をチェックすると、歌詞の面では太田さんの方が好みだったのです。
インテリジェンスが感じられる女性に憧れが強くて、ピアノ弾いてテレビ出演したりと、まーとにかく大好きでした。

 松本隆さんがはっぴいえんどというバンドのメンバーだったことを知るのは中学に入ってからだったはずです。
これまた「明星」の歌本、「YOUNG SONG」だったかな、と。

・松本隆「風のくわるてっと」(立東社文庫)

 中学に入った頃だったから、桑名正博さんの「セクシャル・バイオレットNo.1」が発売された頃のように思います。
作曲家の筒美京平さん、桑名正博さんと松本隆さんのスリーショットが載っていて、その特集記事の中ではっぴいえんどの名前を見た記憶があります。
YMOがブレイクしていたので、細野晴臣さんがはっぴいえんどのメンバーだったという知識は既にあったわけですね。

 まだ大滝詠一さん『ロング・バケイション』前ですからね、この辺の話は。
はっぴいえんどのアルバム『はっぴいえんど(通称『ゆでめん』)』や『風街ろまん』のSMS盤は発売直後には買ってなかったはずですから、松本さんの名前はまだはっぴいえんどとは結び付いてなかったという。。

 はっぴいえんどに開眼したのはベスト・アルバム『CITY』で、松本隆すげーと思ったのもその後ですね。
まだ中学生のはずです。「12月の雨の日」がとにかく好きになったんですね。
当時、既にベスト・セラーだった『ロング・バケイション』より好きだと公言していたという。
テクノ・ポップのブームの後にはっぴいえんどでしたからね。
長髪と髭姿にはさすがに憧れなかった私たちです。
松田聖子さんの作詞家として注目するのはこのちょっと後になるのかな?彼女の存在はロック、ポップス好きに関わらず大きかったのですが、別の機会に。

 1982年に私は高校に入ったのですが、ムーンライダーズがメインの音楽生活になった時期で、松本さんが(オリジナル)ムーンライダーズのメンバーだったことを意識するようになったのはもう少し前でした。
はっぴいえんど特集の雑誌が割とあって熱心に読んでたから、それで知ったのです。

 「風のくわるてっと」の存在を知ったのもその頃で「僕にとってソロ・アルバムのような存在」と紹介されていた記憶があります。
その数年後に新潮文庫から「風のくわるてっと」が発売されたのです。

・松本隆「風のくわるてっと」(新潮文庫)

 これが発売された時は予備校生だったか、大学に入る頃だったのかな?
大学に入って、グラビア雑誌や写真集を集めるために神保町に通って、古賀書店だったかな?音楽書専門の古本屋さんに初めてたどり着いたのでした。
そこで初めてブロンズ社会版の「風のくわるてっと」、つまりオリジナル版を見つけたのでした。既に買い物をして、手持ちがなかった私は家に帰りした。
これが神保町通いで寄るお店が一軒増えるきっかけです。
我ながらよく覚えてますが、この続きはリクエストかありましたら。ないと確信しているので、こう書いてますが。。

 明日は海の日なので大好きなアルバムを紹介する予定です。お楽しみに。

 ではまたー。

 

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