疾患持ちに人生食われる

※暴力と精神疾患の思い出話です
この世の精神疾患の方を虐めるつもりはなく、私に起きた出来事の回顧録です。

結婚した。
大らかでのんびりした人だった。
怒らなくて、ノリがあって、子供っぽいところのある人。

夫は結婚してすぐ仕事を辞め、そこから転々として、鬱とは当時わからなかったけど、危ないような気がして病院にかかることを勧めた。けれど通院はしなかった。

やがて全く働けなくなってから病院へいき、
自立支援も障害年金も病院探しも全部私任せだった。
障害年金は降りなかった。
私の手取りが12万でも夫が徐々に働けなくなっていることを見ていた私は直前に仕事を増やしてもらっていた。収入が1円でも上がっていたら障害年金は降りないらしい。窓口の人が法律だから、どうしようもなかった。
役所には動けないとか、人が怖いとか言って私に行かせて、スーパーやコンビニへは一人で行き、私のカードで買い物をしていた。
カードを勝手に使うなんて異常だって今ならわかる。けれど当時は私のカードしか生きていないから、とか、私が休日動けないこともあるから食料の買い出しをしていた事もあって仕方のないことだった。

そのうち貧困は極まっていって
月末になるとちふれのBBクリームを買ったせいで支払いが滞るとか
煙草を買うお金が無いとか責めてきて
病気だから我儘や暴言には言い返すなと医者にやんわりと言われていた。
どうしても腑に落ちなくて嫌味を言うと
口論になり、どう考えても破綻している夫は私に言い負かされてサイレンのように絶叫して、地団駄を踏んで、何か物を壊そうとする。
口論は『健常者』が『疾患者』にしてはいけないことの1つだった。
夫が発売直後にフルプライスでゲームを買ってる横で、煙草を吸っている横で、穴の空いた服を買い換えることが出来なくても怒鳴ってはいけない。


いつか病気は治るから、それまで生活を続けようって思っていた。
大好きで結婚したし、こうなる前はとても幸せだったから。

騒ぎを起こして警察ご来たら、とか、アパートを追い出されたら、って当時はそれがとても怖かった。本人だって病気は治したいだろうし、来年には完治とまではいかなくてももう少しマシになってるって思っていた。
今私が怒って諍いを起こして、正常じゃない主人に生活を壊されてしまったら全部無駄になってしまう。来年には、来年にはって。
それでも時々どうしてもこちらが我慢できなくて口論になる。病気が治らないのはその時の口論のせいだと言われる。

発作も落ち着いてきて自立支援の話をした日、
怒鳴られて自立支援の資料を捨てられて、そんなことより煙草買ってこいって言われた。
口論になり夫は暴れて、私は恐ろしい思いをした。
その時初めて心のナントカに電話した。

心のナントカでは女性のテレフォンオペレーターが出た。
事情を話すと警察を呼ぶように言われて、
私は警察に「こんな状況を招くな」と責められてしまうんじゃないかと怯えた。

だって自分を愛している筈の夫だって突き飛ばして首を絞めるような女を、全くの他人がどう思うかなんてわからない。でも、今通話している人の助言はとても魅力的だった。自分は今ものすごく心細くて恐ろしくて、誰かに助けて欲しい。
わかりました、呼びますと答えると電話相談の人は
「大丈夫ですか?」と言った。
突然涙が出て止まらなかった。

夫が病気になって暫く、挙動のおかしい私に親友は別れるように言った。それから耐えきれず親に話すと、親にも別れるように言われた。
夫の病気をなんとか克服して、また元の生活に戻るつもりだった。
だけら私の痩せ我慢の真上から別れろって言ってくる二人が怖かった。あまりにも悲しかった。
だから辛くない振りをしなければならなかったし、私の結婚を祝福してくれた仲の良い人達に現状を知られたくなかった。他の誰にも事情は話していなかった。

医者は夫の病気を私のせいかのように見ているし、
夫は時々生活が続けられなくなるような暴力を振るう。それでいて次の日には見捨てないよう懇願する。
通りの子連れの子供はどんなに我儘でも将来があって真っ当な人生そうだけど、私は親にも反対されるような結婚生活を続けている。
別れたら、きっと夫は生きることをやめてしまう。(当時はそう思っていた)

家族なんだから支えろ、
健康なのだから病気が進行するようなことを言うな、
ご家族の協力が必要なのです、
そんな男を選んだのだから自業自得でしょ、
誰かに「大丈夫ですか」なんて言われたことがなかった。
泣いてしまいたかったけど、直ぐに警察を呼ぶべきだったのでお礼を言って電話をきった。
あの日のテレフォンオペレーターのお姉さんにお礼を言いたい。動転しすぎていてどこに電話したのかもわからない。

警察は40分くらいで来てくれた。
ガタガタの声で事情を話す私と
ひとしきり暴れてお昼寝し始めた夫を見て戸惑いはしたものの警察は怒らなかった。
警察は夫に対して刺激しないよう静かに話しかけた。
「処方された睡眠薬を何倍か飲んで昨晩はやっと眠れたのだ」と何故か誇らしげな様子で話していて

ああ、この人は本当は治るつもりはないんだって
やっと思い至った。

警察に連れられて病院へ行き、
医者と警察と話をした。
安定剤を乱用して機嫌がよく、饒舌に話す夫と、この後が怖くて話さない私を見て
医者は夫は入院する程では無いから2人で仲良く家へ帰れと言う。
それから、私には「病気の人を追い詰めるようなことを言うな」と言った。

私が仕事と家の往復以外どこにも行かないように送迎を強制し、その時に機嫌を損ねると危険な運転で脅して半狂乱にさせたり、煙草を押し付ける夫だが病気なのだ。それを健常な精神の女が追い詰めるようなことを言うな。

帰ってから、
私はもうこの人と1分も一緒にいたくないと思った。
もしかしたら、いつか病気が軽くなって全てが元に戻るかもしれない。
でもその時に今まであったことを忘れて、私はこの人を許せるんだろうか。


結果的に別れることが出来た。
家中の危険な物はクローゼットにしまい、その上で仮眠をとる生活を経て夫は実家に引き取られた。
夫の両親はずっと無関心だったけれど
薄情な私と違って夫を守ってくれるのだそうだ。

元夫は実家ではゲームを買ってもらうのだと上機嫌で帰ったけれど
私が自分を捨てたとか、きちんと養ってくれなかったとか、故意では無いのに何度も頭を踏んだら怒ったとか、そんな罪が私にはあるので酷く恨んでいる。人に頭を思いっきり踏まれるのは頭蓋骨が本当に割れそうで痛かった。多分人によっては一生ない痛みだと思う。

病院や福祉の世界にとって、病人の負担を家族が持ってくれるならそれが一番楽だ。
家族は献身的でないと悪だ。治りが悪いのは周りの人が原因だ。
未遂では誰も被害者がいないので、警察は困ってしまうだけだった。
私には何もかもが不条理だった。

大丈夫と聞いてくれた人にいつかお礼を言いたい。
別れろと早々に言った友達や親は私の為を思って言ってくれたのに、私はその言葉に怯えて距離を置いてしまった。嫌われた思っていたらしい。
次にまた別れろと言ったら今度こそ私は縁を切ってしまう、と思ったらしい。当時はそのつもりだった。2度言われたら耐えられなかった。

今は怯えて生活しないで済んでいる。
時々こうして思い出して寝付けない夜があるくらいで


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