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#092埋葬や葬儀の慣習について

 先日、私事ですが久しぶりに親戚の葬儀に参列しました。親族のみの葬儀でしたので、非常にこじんまりとして、式自体も短時間で終わりました。筆者の家系は代々天台宗の檀家です。以前に経験した寺院での葬儀の際には、散華などもあり、なかなか華やかな感じでしたが、他の宗派ではどうもない ようで、珍しがられた経験があります。

 先だって友人と話している時に、子どもの頃に土葬の葬儀の経験があるという話を聞き、現在ではかなり珍しい経験ですので、どのような葬儀をしていたかをぜひ聞いておきたいと思い、Podcastで簡単な聞き取りを行いました。友人に話を伺っていますが、何せ1970年代ごろの土葬なので友人も当時は子どもであったこともあり、参列した際にインパクトのあった事くらいしか覚えておらず、友人が母親に話を聞いて、その記憶から当時の土葬についてを振り返っています。下記にURLを記載しておきますので、ご興味のある方はお聞きください。

 この聞き取りの中でも、埋め墓と参り墓についても触れていますが、友人の体験した土葬では、埋め墓と参り墓とが別れていない墓地でした。筆者の出身地の墓は、火葬の村墓でしたが、こちらも埋め墓と参り墓とが別れていない墓地です。それぞれの立地については、友人の話での墓地は集落の中央という事でしたが、後で調べてみると、明治期の町村合併の際に南北に分かれていた集落を一つに合併したという記録があったので、もとはそれぞれの集落の外れにあったものが合併して中央に位置することになったということが判りました。筆者の出身地の村墓は村の周縁部にあり、なおかつ川の堤防の側に立地しています。それぞれの例でもケガレの対象としての村墓は村の外れに置いやられていることが読み取れるでしょう。

 今回筆者の体験した葬儀では、都合で初七日なども済ませて、納骨まで行ったため、墓石の遺骨を納める部分である「カロート」に遺骨を納めるところまでを体験しました。筆者の親戚の墓は地下カロートで、骨壺ごと納骨するのではなく、遺骨のみを納める形式のものでした。同じ墓で以前にも納骨を経験したことがありましたが、意識的に見ていなかったので、今回初めてカロートがどのようになっているかを拝見しました。

 なお、数少ない筆者の葬儀体験で興味深かったものについても触れておきたいと思います。筆者の妻の実家の葬儀でのことですが、妻の実家は浄土真宗でしたが、自宅での葬儀で、焼香の際に焼香用の香炉と抹香が参列者の間をお盆に乗せられて行き来していたのですが、そのお盆に参列者が焼香をしては小銭を置いていました。焼香が一巡して、導師の僧侶へお盆が戻ると、集まった小銭は導師の懐へ入りました。
 同じ葬儀の際ですが、導師として来た僧侶以外にも複数人の僧侶が同伴してましたが、後で聞くと檀那寺の浄土真宗の僧侶を中心に、近隣の他の宗派の寺院からも僧侶が来ていたとのことでした。
 これらのことは、妻の実家が、近世以来の人口の少ない山間部の村落であることに加えて、村落内に何件も寺院があることに原因がありそうです。というのも、人口の少ない村落で、檀家の取り合いをそれぞれの寺院で行うことをせず、葬儀があると檀那寺の住職が導師を務め、それ以外の近隣の寺院の僧侶は脇導師のような形で、一緒に随伴して葬儀を執り行うことで、葬儀による収益をシェアするという形をとっていると言えるでしょう。
 また、焼香の際にお盆に小銭を参列者それぞれが供えるのも、一つの葬儀の中でいくつもの細かく収益を得る方法を作り出したと言えそうです。とはいえ、浄土真宗の研究者にこのことを話したことがあるのですが、本山的にはしてはいけないことのようで、どこでそのようなことをしているのかは公言しない方がいいと注意されたことがありました。

 今回、久しぶりの葬儀への参列で思い出した話などもあったので、こういう例もあるということで記しておきたいと思います。あまり褒められた話でもないですが、もし機会がありましたら、参列した葬儀でどのように式を進行しているかなどを宗派の違いや地域性などで見てみることも面白いのではないでしょうか。



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