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パートナーはすでに決まっている 縁という絆

前回の記事の中で「仏教思想の立場から言えば、この世に永遠の愛は存在しません」というお話をしましたが、少々過激な言語表現だったせいか、一部の読者から抗議の声が寄せられてしまいました。「そんな夢も希望もない話をされても困ります」だそうです(笑)。

確かにこれには補足説明が必要でしょうね。

占星術において「真実の愛を求める蠍座」に太陽や月、金星のいずれかを持つ人は「恋愛に永遠の保証を求める」という気質があるとされていますので、私の言葉に納得できないのは仕方のないことだと思います。なんせ彼らは「たった一人の運命の人と出会うためだけに私はこの世に生まれて来たのだ」とナチュラルに信じて生きているからです。

これこそ蠍座が「千の出会いよりも、一つの愛を重んじる星座」と言われるゆえんでもありますが、あまりにも理想的な「白馬の王子様」を追い求めるがゆえに「生涯独身」を貫いてしまう危険性もありますし、別れてしまった元恋人に固執してストーカー化してしまう場合もあります。

皆さんに分かりやすそうな具体例を挙げると、タレントの「田中みな実」が蠍座の金星を持っている女性です。彼女が「元カレ」に固執して何年間も「未練タラタラ」な発言をテレビで繰り返していたことはよく知られていますし、最近では「結婚はお互いを愛する契約だ」という彼女自身の過去の発言が掘り起こされ、同じ事務所の先輩である広末涼子と「かなり仲が悪いんじゃないの?」という憶測記事が配信される原因にもなっています。

まぁ・・・広末の金星は「気の多い双子座」、田中の金星は「一途な蠍座」なので、恋愛に対する価値観が真逆で確かに仲は良くないと思いますよ。
少なくとも、田中みな実は広末を軽蔑しているでしょうね。

蠍座にとって結婚とは「神聖不可侵な契約」であり、浮気は「契約不履行」に当たる重罪なわけです。だから浮気した者に対して「社会的制裁が課されるのは当然の報い」とまで考えてしまうのですが、その復讐を実行したとしても誰も幸せにはなれませんし、その蠍座特有の「情念の深さ」が周囲から敬遠される原因にもなりかねません。

こういう悲劇を防ぐためにも、私たちは「永遠の愛」と「運命の出会い」との違いについてきちんと知っておかなければならないのです。

前回もお話ししたように、仏教には「すべての物事は刻一刻と移り変わり、永遠に変わらないものなど何一つ存在しない」という教えが存在します。これを「諸行無常」と言いますが、仏教の基礎となっている根本思想の一つです。

もちろん、人間の心も例外ではありませんので、「愛し合う二人」が出会ってから死ぬまで気持ちが全く変化しないというような「永久不変の愛」はこの世に存在しないことになります。たとえ結婚という「契約」で自由を縛ったとしても、心の変化を止めることは誰にもできません。

これだけ聞くと、確かに「仏教って、夢も希望もないネクラな思想ね」という話になりかねませんが、一方で「男女を結びつける縁」というものは確実に存在しています。

仏教ではこれを「因縁生」と言いますが、この因縁生を的確に表現する「袖振り合うも多生の縁」ということわざを一度ぐらいは聞いたことがあると思います。「多少」ではなく「多生」で「何度も繰り返す生まれ変わり」を表し、ことわざ全体で「人と人の出会いはすべて過去世の深い宿縁によって起こる」という意味になります。たとえそれが、道ですれ違う時に袖と袖が触れ合い程度の浅い人間関係であっても・・・ですね。

この「縁」のことを指して運命と呼ぶのならば「運命の出会い」は、あなたにも間違いなく用意されていて、「運命によって定められたタイミング」で避けようもなく「確実に」起きるのです。おや?少し希望が見えて来ましたね(笑)。

その異性とあなたは「見えない糸」で生まれた時から結びついていますので、あなたが余計な邪魔をしない限りは、人生のどこかの時点で必然的に出会い、当初の予定通り恋に落ちることになります。「運命の赤い糸」というのは決して子供騙しのおとぎ話ではなく、ある程度の強制力を持って現実的に存在している「絆」なのです。

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