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サン=テグジュペリの小説『人間の土地』を解説します【彗星読書夜話】

【彗星読書夜話ダイジェスト】

彗星読書夜話は、古今東西の、真に価値ある文学作品を解説する音声プログラムです。
ここでは、そのダイジェストをまとめて文章にしてあります。
本来40分ほどの音声版の内容を、10分ほどで読むことができます。

取り上げる作品を読んだことがない人、「名前だけは聞いたことあるなあ」という人でも、お楽しみいただけるようになっています。

彗星読書夜話とは?

文学作品は、「役に立たない」と言われることがありますが、これは初歩的な誤解です。
「役に立たせる読み方」があることを、多くの人が知らないでいるだけです。

彗星読書夜話は、優れた文学作品に用いられた、いくつもの「方法」を紹介します。
思考の方法、認識の方法、作文の方法……
このプログラムを通して、文学作品をあなたの生活に役立たせてください。

彗星読書夜話は、文学や批評の理論を学んだ私だからできる、今までにないコンテンツです。

概要

今回取り上げるのは、『星の王子さま』でよく知られる、フランスの小説家、サン=テグジュペリの長編小説『人間の土地』

今回、この作品から学び取るポイントは、次の2つです。

・この世界を認識する方法を変える見方のオンパレード

サン=テグジュペリは本作で、飛行機の操縦士、それも、20世紀前半という時代の飛行機乗りにしか分からなかったこと、感じられなかったことを、明晰な、しかも詩的な表現で、書き残しています。
地上で生きる人間という生物が、命がけで空を飛ぶ時にしか、認識でないもの。
この貴重な財産を、思考ツールとして受け継ぎ、自分のものにしてみましょう。

・「メタ・メディア視点」という見方

私たちの身の回りは、メディアであふれています。
メディアの本質を知り、うまく付き合うためには、メディアを使うのではなく、離れて捉えるのが一番です。
実は、飛行機、いや、乗り物全般は、メディアじゃないのか?
というところまで、考察しました。

あらすじ

1926年、定期航空の若い操縦士となり訓練を受けていた語り手は、いよいよ初仕事を請け負う。
しかし、エンジンは安定せず、厳しい自然環境によって多くの仲間たちが命を落とす、それが日常だった。
今は亡き先輩操縦士や同僚たちの記憶を呼び起こしながら、語り手は数々の飛行を経験する。
そんなある時、仲間と二人で、アフリカ北部のベンガジに向かう途中、エンジントラブルで砂漠に不時着してしまう。わずかな食料と水もすぐに尽き、幻覚にも襲われるが、奇跡的に遊牧民に助けられる。

『人間の土地』とはどんな作品なのか?

本作は、サン=テグジュペリの実体験に基づいて書かれた小説です。
もちろん誇張はあるのでしょうが、
回りくどい独特の言い回しも出てくるので、一種のエッセイとして読むと、途端に読みやすくなります。

ところで。
私の読み方である、「方法」を見つける、という観点からすると、
サン=テグジュペリが本作で使っている「方法」は、たった1つしかありません。
それは、
「世界の見方を変えること(世界の見方が変わること)」

冒頭には、それがハッキリと表明されています。

ぼくら人間について、大地が、万巻の書より多くを教える。理由は、大地が人間に抵抗するがためだ。人間というものは、障害物に対して戦い場合に、はじめて実力を発揮するものなのだ。もっとも障害物を征服するには、人間に、道具が必要だ。(…)定期航空の道具、飛行機が、人間を昔からのあらゆる未解決問題の解決に参加させる結果になる。

新発明である飛行機が、人間に、新たな答えを教えてくれる。

ならば。
彼のレポートを読んでみましょう。そこには、私たちが閉塞的な日常にヒビを入れるための方法が書いてあるかもしれません。

1、この世界を認識する方法を変える見方のオンパレード

ここでは2つの具体的なエピソードから、「見方の転換」を起こす方法を探ります。

1-1:ギヨメの地図

本作序盤、僚友ギヨメのアドバイスが、主人公の認識に大きく影響します。
極大と極小、この2つの視点を彼が得た瞬間に立ち会ってみましょう。

いよいよ本番飛行だ、と告げられた日、語り手の「ぼく」は、先輩操縦士ギヨメを訪ねます。
彼は快く迎え入れ、ポートワインをコップで祝杯をあげてくれました。
語り手が地図を取り出し、航路を再検討してほしい、と頼むと、ギヨメはスペインの地理を彼に説明するのです。
しかしギヨメの講義は、一風変わったものでした。

ギヨメはぼくに、スペインを教えてはくれなかった、彼はスペインをぼくの友達にしてくれた(…)
ロルカの市については、何も語らなかったが、ロルカの近くにあるつまらない一軒の農家について語った。その生きた農家について。そこの主人について。その主婦について。すると、この夫婦の者が、ぼくらのいまいる所から千五百キロの遠隔の地にありながら途方も無い重要さを持つのであった。彼らは(…)燈台守かなにかのように、人里離れた星空のもと、人間に対していまにも救援の手をさしのべようと身構えていてくれるのであった。
(「定期航空」の章)

地理学者が地図を作る時、そして私たちが地図を見る時の、鳥瞰視点=「極大の視点」
しかし、そこからは決して読み取れない事実が、生死を分けるかもしれない。

あの一見小さな小川のせいで不時着に失敗するかもしれない。
また、あそこに農家の夫婦が住んでいる、と、孤独なフライト中に人間を意識することで、精神衛生が保たれるかもしれない。
牧原で不時着しようとすると羊の群れが車輪の下にやってくる。

そのエリアの地上近くを飛行した者にしか分からない、「極小(というより近接)の視点」
地図を読んだり高高度を飛ぶだけでは分からないリアリティと、その重要性を、主人公は教わったのです。

1-2:昨日のための言葉で、今日を語ること

視点の切り替えは、空間だけにはとどまりません。時間にもスケールの違いがある事に気付けば、見えてくるものが増えていきます。

サン=テグジュペリの文章には、明らかに、「目の前にあるもの、自分が親しんでいるものを、当たり前だと思わないようにする」という信念に支えられています。
それは、飛行機をはじめとする、機械に対しても同じです。

機械の進歩の百年の歴史など、はたして何だろう、人間の歴史の二十万年に比べたら?
(…)
いわばぼくらは、この作りかけの家にわずかに住みついたばっかりなのだ。人間相互の関係も、労働の条件も、風俗習慣も、すべてがぼくらの周囲であまりにも急激に変化した。
(…)
今日の世界を把握するに、ぼくらは昨日の世界のために作られた言葉を用いているわけだ。
(「飛行機」の章)

新発明がいつの間にか当たり前のものになっても、所詮それは、「住みついたばっかり」の土地に過ぎない。
この強い自覚は、作中何度も垣間見られるものです。

私たちの住む日本でも、家族・恋愛・豊かさ・孤独、といった単語の持つニュアンスは、この10年で大きく変わっていますよね。
家族は、血がつながっていなくてもあり得るものと思われはじめているし(『万引き家族』!)、恋愛は同性同士や性行為なしの関係も少しずつだけど認められてきている。
豊かさ・孤独は……いや、あえて言いません。ご自身で「どう変わったのかな?」と考えてみてください。

2、「メタ・メディア視点」という見方

世界との新しい関わり方をサン=テグジュペリに教えた飛行機。
私たちはどうすれば、「見方を変えてくれる」道具を発見できるのでしょうか?

2-1:「メタ・メディア視点」とは

一見「メディア」と呼べそうにないものを、メディアとして捉えると、視野は拡がります。

少し、作品から離れた話をします。

私たちの身の周りは、メディアで溢れています。
メディアの定義は色々ですが、もしも、自分という存在を基準に定義するなら、メディアとは「離れた時間・離れた空間の情報を、いまここ=自分に伝達するもの」です。

メディアの特性を知るためには、それを使い倒すことも大切ですが、距離を取らなければ見えないこともあります
距離を取る、とは、つまり、メタ視点(メタ認知)を持つということです。

メタ、というギリシャ語由来の接頭語は、いくつか意味があるのですが、
私を意識している私、ある文章について解説する文章、のように、あるものを客観的に説明できる視点をメタ視点といいます。
まさしくサン=テグジュペリは、認識のメタレベルを発見する達人でした。

私たちが何かを利用している、何かに所属していることを、人文学の論文で「内側にいる」という言い方をします。
私たちは、何事においても、ついつい内側に逼塞して、外側があることを忘れます。つまりそれは、既に知っている常識だけで考え、世界を認識するということです。

しかし、内側にいると、見えないものがたくさんあります。
メタ視点を持つと、外側に飛び出すことができ、目の前のものが持っている、でも今まで気づかなかった性質に気づくことができます。

例えば、「写真とは光を記録したもの」というメタ視点を持つとします。
普段の私たちの視覚は、目に入ってくる全ての光を意識することなど、到底不可能です。
だから、写真には、意図しないものが高確率で写り込んでしまうのです。そこが、写真の面白いところです。
私はこれを、よく、「心霊写真が撮れるのは当たり前(私たちが見てない光と影はいくらでもあるのだから)」と表現しています。

ここで、1つの造語を作ってみます(あくまで、この記事だけで通用する造語です)。
写真の例のように、メディアをメタ的に見る視点を、「メタ・メディア視点」と呼んでみましょう。
この視点のいいところは、一見メディアには見えないものも、メディアとして扱う思考が可能になることです。
すると、身の周りの「メディア」の隠れた機能を発見できるようになります。

2-2:メディアとしての飛行機

「メタ・メディア視点」で、飛行機を見てみると、どうなるでしょうか?
サン=テグジュペリにとって、飛行機も、世界の思いがけない姿を理解するための、1つのメディアでした。
飛行機に乗らなければわからない事があったのです。
サン=テグジュペリの「メタ・メディア視点」が、これです。

飛行機は、機械には相違ないが、しかしまたなんと微妙な分析の道具だろう! この道具がぼくらの大地に真の相貌を発見させてくれる。道路というものが、そういえば、幾世紀のあいだ、ぼくらを欺いていたのだった。
(…)
道路は不毛の土地や、石の多いやせ地や、砂漠を避けて通るものなのだ。
(…)
ぼくらは長いあいだ自分たちの牢獄の姿を美化してきた。この地球を、ぼくらは、湿潤なやさしいものだとばかり思いこんできた。
(…)
飛行機のおかげで、ぼくらは直線を知った。(…)ぼくらは発見する、地表の大部分が、岩石の、砂原の、塩の集積であって、そこにときおり生命が、廃墟の中に生え残るわずかな苔の程度に、ぽつりぽつりと、花を咲かせているにすぎない事実を。
(…)
はたしてぼくらは、いまにして人間の歴史を読みなおしているわけだ。
(「飛行機と地球」の章)

これ、飛行機のパイロットじゃなければ思いつけない発想ですよね。
地球の表面を離れる事で、人間が今まで知らなかった事実に気づく。
道路は人間に適したルートに過ぎず、道路が避けた土地は人間の生活に適していない場所だと分かる。
メディアである飛行機が、操縦士に、道路の真の姿を見せ、それゆえに、直線移動とは何かをも教える。

もちろん、「メタ・メディア視点」は、少し挑発的な考え方です。
しかし、自動車や電車でも、同じ事は言えるに違いありません。
特に電車など、車窓から見て目立つ看板の共通点を探したり、変化する景色から街の特徴を知ったり。
寝台列車や観光列車の企画を練る鉄道会社の担当者も、実質的に「メタ・メディア視点」でものを考えています。

ポイントまとめ

小説『人間の土地』から得られる、「見方の転換」を起こす方法を、一言でまとめます。

1-1:極大視点と極小視点を切り替え、組み合わせる。
(例:地図と、現地で見える光景)
1-2:当たり前なものは、実は当たり前じゃないと気づく。
(例:飛行機もPCもスマホも、ついこの前の発明に過ぎない)
(例:同じ言葉でも、今日のニュアンスは、数年前とは違っているかもしれない)
2-1:「メタ・メディア視点」で、メディアの特徴を捉えなおす。
(すると:メディアの特性がより分かるようになる)
2-2:普段メディアとは見なされていないものをメディアとして捉える。
(例:私たちに異常な移動能力・感覚を与える、「乗り物」も一種のメディアだと見る)

最後に

『星の王子さま』が好き、と話す人は、意外と、それ以外のサン=テグジュペリ作品を読んでいない事が多いようです。
彼の思考と文章は、実は、極めて論理的で、読み心地も硬質です。
それこそが、彼の発想力と表現力の源なのでしょうね。
飛行機文学、というのは、多分サン=テグジュペリしか書いていないんじゃなかろうかと思いますが、「この人にしか書けないんだろうな~!」という個性的作品に出会えるのは、海外文学の魅力です。

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