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【1日1読】レモネードで洗礼を受ける テネシー・ウィリアムズ『ガラスの動物園』

アマンダ 今夜は若返ったの! だってあなたのおかげで特別楽しい夜だから!

 彼女は上を向いてどっと笑い出す。レモネードをこぼす。

アラララ! 洗礼を受けてしまったわ!

こんな話を、どこで読んだのだったか。
アメリカ人の家に、日本人僧侶が招かれた。暑い夏のことだった。
家主はうっかり、テーブルの上に水をこぼした。気まずい雰囲気が流れた……と思ったら、僧侶はサッと手を水の上にのせ、「ああ、冷たい」とつぶやいた。

このエピソードは、確か、その家主が「禅は素晴らしい」、どんな事態が起こっても落ち着いて柔軟に対応できる、僧侶はそのよい見本だった、という文脈で語ったものだったはず。
日本仏教=ゼン、としてしまうあたりがなんともアメリカ人らしい。
しかし、この臨機応変な会話の対応は、アメリカ産のフィクションにおいてこそ育まれてきたものでしょう。

テネシー・ウィリアムズは、1911年、アメリカ・ミシシッピ州生まれ。
苦労人でありながらも、1944年に発表した戯曲『ガラスの動物園』が大ヒットし、一躍第一線の劇作家となります。

本作の舞台は、1930代、下層中産階級世帯が集まる街のアパート。
極度の人見知りの姉ローラ、世界を冒険したいと思いながら倉庫仕事でくすぶっている弟トム、南部出身で口うるさいシングルマザーのアマンダ、このウィングフィールド家は、作者の実の家族が反映されていると言われています。

今回の引用部分は、物語の終盤に登場する、母アマンダの一言です。
家に招かれた青年ジムとの会話中、うっかり自分の服に特製のレモネードをこぼした彼女が「洗礼を受けた」と即座に表現してしまえる、このユーモアの反射神経が見事じゃありませんか。

洗礼を受けた、というのは、もちろん、キリスト教徒になるための儀式である洗礼が、身体を水に沈めたり、頭に水を注いで行われることにかけているわけです。

目の前の状況と、そこに近似する別文脈、この2つが頭にないと、これはできない。

そこで思い出すのは、私が大学生の時にアメリカ人から言われたジョーク。
「日本人は屋内で傘をたたむ時、コンドームを付けるだろ?」
……ん????
ああ、あの細長いビニール袋ね。
「いやもうちょっとマシな何か、あったでしょうよ」と返した記憶がありますが、うーん、ある意味あいつ頭良かったのかも。
でも劇作家にはならないほうがいいな、彼。

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