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普通になりたい気持ち

じゃあ普通ってなに?

私の場合、普通とは、他の人と同じようになること。

とにかく目立ちたくない。

少し前まで、周りの人と自分を比べて、違う自分が嫌だった。


きっと、多くの人が自分と周りの人と比べることで

生きづらさを感じていて、

大人になって自分でしっかりとした、それでいてしなやかな軸を持てた時、

やっとその生きづらい環境や苦しみのもとを

手放せるようになっているのではないかと思う。

その苦しみのなかにどっぷり浸かっていると、

他の価値観があることが見えないので、どうにも苦しいのだが、

成長と共に自分のいるところより少し上から俯瞰して見られるようになると、

他の価値観の選択肢というものがあることに気がつく。


いかに、そこまで辿り着けるか、それまで生き延びられるのか

というところなのではないだろうか。

自力で生きることができない子どものころ、

変えられない、または変えにくい環境としての学校や集団の中で、

他の人と違うことによって目立ち、仲間外れにされることは、

社会的動物の生存本能を脅かすものだ。


ではどうやって「ほかの人と違う」からやってくる

不安や恐れといった価値観を手放すかというと、

その恐れと向き合い、

自分が隠そうとしていたことを見せても、

社会から排除されないという経験が、

これまでの恐れを作り出した経験から生まれた価値観を修正していくのだ。


他と比べて自分が違うことで辛いなら、理想に近づけるように努力したらいい、

というのではない。

それでは、いつまでたっても辛さは解消できない。


しかし、これまでずいぶんと怖い思いをしてきたのだから、

いきなりそのようなハードルの高いことをやれと言われても

無理である。


まずは、これまで自分が生きてきた中で、どんな小さなことでも

いいから頑張ったな、と思えることをどんどん紙に書き出して、認識する。

そうやって自分が自分を認めること

いまの自分をそのまま愛すること

ができるようになると、

自分のありのままでもいいんだなって。


そう思えるようになったら、少しずつ、ありのままの自分を

社会に出してみても大丈夫かなって気持ちになるんじゃないかと思う。


その頃には、風が吹いても、たおやかにしなって、

再び、すん、と立ち上がる自分の軸が持てているのではないかな。


そうして、自分らしさを大切にしながら、

そのオリジナルな自分を使って、

社会に貢献できる道を見つけられたら最高だ。



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