『時をかける父と、母と』 vol.1
父は66歳で、若年性のアルツハイマー型認知症であるという診断を受けた。一方で母は61歳で、がんステージⅣと診断された。そんな33歳の娘がイラストも含めて記録したエッセイです。
『時をかける父と、母と』
vol.1 はじめに
我が家には、時をかける少女、ならぬ、『時をかける父』がいる。
主な生息場所はリビングのソファかダイニングテーブル。大概テレビを見ているか寝ているか食べている。
父は66歳。若年性のアルツハイマー型認知症であるという診断を受けた。
今日は何日? いまは昼なのか夜なのか。
いま家には誰がいる?
そもそも自分に子供なんていたっけ?
僕は働いたことがあったかな?
お母さんはどこにいったかな? 妻は?
おや、目の前に現れたこの人は僕の孫だっけ、娘だっけ?
いま、父の世界の中では、過去も未来も星座も越えて、他の人にはわからない速さで、毎日、誰かが突然消えたり現れたりしている。
もういまとなっては、娘の私にも、3年前の父のことが思い出せない。そのくらい父の変化は目まぐるしい。
だけど変わったのは父だけではない。
父が認知症であると診断された1年半後、
母 が が ん で あ る という診断がおりた。
発見しにくい場所にあったことですでに他臓器への転移もあり、すでに『ステージⅣ』であり手術もできないという。
「 が ん で す 」
「 ガ ー ー ー ン 」
……っていう漫画みたいな展開は、実際、ある。
頭の中で「ガーーーン」という音がしたような気がした。
隕石が落ちてきたような気分だった。
そしてがん宣告の1年半後、母は逝った。
父が認知症であるという診断は、私たち家族にとっては意外ではなかった。明らかに様子のおかしい数年間をみていたから、むしろ病気を疑っていたのは家族である私たちのほうで、診断がでてホッとしたくらいだった。
父は認知症で、これからおそらくどんどん悪化していく。きっと近い将来に介護が必要になってくる。さあ、どうしよう。そんな悩みは母を中心に家族が抱えたけれど、母の病気は、私たち家族の「近い将来」に描かれていなかったのだ。
母のがん宣告を受けてから、私は、日々の記録をつけることにした。つけざるを得なかったともいう。
目まぐるしく状況が変化する中で、すべての感情を誰かに共有することはとても難しく、記録は自分の気持ちを吐き出す場所にもなっていた。
そして目の前でいま起きていることを、他ならぬ自分が忘れたくなかった。
自分のために書き始めた記録だったが、いつしかこれを他の方にも読んでもらいたいと思うようになった。
病気の当事者や家族の方々はさることながら、現時点では介護も死もあまり身近でないかもしれない30代前後の方々にも、我が家というサンプルケースを見てもらいたい。そして、ある日突然ひょいと目の前に現れる『病気』やひたひたと忍び寄ってくる『死』というものに少しだけ心構えをするヒントになれば、私の体験もいよいよ役に立つというものだ。
……といった経緯で、認知症を患った父と、がんで逝った母を見送るまでのこの2年間の記録を中心に、家族の生活の一側面を公開することにした。なんだか暗い話のようにも思えるけれど、私の手元に残ったのは、ある家族の日常の記録に他ならない。
私たちは、それなりに楽しく生きていたんだ。
この日々が、そう暗くない大事な時間であったことを、私はいつまでも忘れずにいたい。
あまのさくや
はんこと言葉で物語をつづる絵はんこ作家。はんこ・版画の制作のほか、エッセイ・インタビューの執筆など、「深掘りする&彫る」ことが好き。チェコ親善アンバサダー2019としても活動中。http://amanosakuya.com/
2019/06/17-23 『小書店- はんこと物語のある書店-』@恵比寿・山小屋