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まだまだ、あまちゃんですが

10年ぶりに朝ドラの「あまちゃん」の再放送をやってる。
10年前は一番しんどい年だった。
相方が亡くなって1年がたち、彼がいない生活というものに否が応でも慣れなければいけなかった。
あたしに父親の代わりはできなくても、可能な限りあたしが頑張るしかなかった。
アルバイトを掛け持ちし、時には1週間休みなしで、どこにも遊びに行かずに、とにかく働いた。
「無理しないでね。」とみんなが言ってくれた。
「人間無理しないといけないときがあるとしたら、あたしは今なんです。」と答えていた。
感謝知らずの女。

あの夏はプール監視の仕事をしてて、よく母親から電話が入った。
終業後にかけなおすと訳の分からないことを繰り返し言い募る。
認知症だった。
遠方に一人暮らしする老母をいたわることも心配することさえできないぐらいあたしには余裕がなかった。
「こども連れて帰ったら?」って、姉が経済的に困窮してるあたしを心配して言っていたのはわかってたけど、あたしには姉こそもう子供の手が離れてるんだから面倒見てくれと思ってた。

夏が終わり「あまちゃん」も終わりそうなころ母を見舞った。
姉が地元の訪問診療や介護サービスを手配し、母は自宅で一人暮らしを続けていた。
綺麗好きでおしゃれ好きの母がおむつ一枚で寝っ転がっていた。
幸か不幸か足が弱って出歩く心配はなかったが、家の中は雑然としていて何日も掃除されていない感じだった。
あたしは泣きながら家を掃除しまくり、食材を買ってきて料理をした。
母は新しいヘルパーさんかと思ったのか「あなた気が利くわね、また来て頂戴。」と言った。
「また来ますよ。」と話を合わせると、「ありがとう。」と母はぺこりと頭を下げた。
その一か月後に母は亡くなった。

あれから10年、あたしはすべてやり切った。
もう子供も3人とも社会人となり、夫の両親も老犬も見送り、すべての責任と約束を果たした。
そうしてやり切ってようやくあのころを振り返ることができる。
プールの監視と並行して英会話の先生をやっていたんだけど、母の見舞いから帰ると英会話教室の経営者からクビを言い渡された。
青天のへきれきで、いきなり「一か月分の給料は払うから明日から来なくていい」と言われたの。
せめてその日の授業と生徒へお別れくらいさせてほしいと頼んだのだが取り付く島もなかった。
教室から出て、悔しくて涙があふれた。
すぐ近くに駅の改札口があったんだけど、泣きたかったので歩くことにした。
電車とバスを使えば30分ほどの通勤時間だったんだけど、道はわかっていたので歩きながら泣くことにした。
(どうしよう. . .プールの監視はもう終わったし、次の仕事をみつけなきゃ. . .)
1時間ほど泣きながら歩いて自宅からの最寄り駅まで来て、涙は止まったけれどもこのまま家に帰る気にもなれず、駅前のショッピングモールのカフェテリアで大きなパフェを食べた。
ようやくリストラされ、半年間仕事探しに駆けずり回った相方の気持ちがわかった気がした。
あの時(代わりにあたしが稼ぐから、気長に職を探したらいいよ。無理して嫌な仕事とかしないでね。)と言えなかった自分をいまさらながら呪った。
相方に病気が見つかった時もあたしにちゃんと定職があれば(のんびり治療してね。何も心配しなくていいよ。)と言ってやれたのに、と自分を憎んだ。
そして、さあ、相方がいなくなってもなお、アルバイトで食いつないでいる自分。
こどもたちになんて言うんだ?

あたしのパパはもう20年前に亡くなった。
あたしのパパもあたしが小学校に入る前に失業してる。
パパもいろいろ大変だったんだろうなあ。
あたし、なんにもしらなかった。
なんにも、わかってなくて、心配ばっかかけて、親孝行も何もできないうちにパパは天国に行っちゃった。
もう20年もたつとこどもたちはおじいちゃんのこと覚えてないし、おじいちゃんの思い出話をする相手もまわりにいないや。
墓参りには行けないから、パパの好きだった海を見に行って、帰りにふと思い立って10年前クビになった教室を見に行った。
もちろんもう10年も前だから当時の教え子たちはもうみんな塾に行くような年齢ではないし、あの経営者と会いたかったわけでもないんだけど、教室があったところに行ってみると ー 犬猫美容室になってた!
まさか無くなっているとは. . .全然思っていたのと違う展開にびっくりして、電車に乗らずについ10年前悔し泣きしながら歩いた道を行ってみることにした。

あんなに悔しくて、情けなかったけど、パパ、なくなったよ、あの教室。
10年たつといろんなことがあるよね。
どうしていいかわからなくても、どうにかなっちゃうんだよね。
どうして相方はどうにもならなくなっちゃったんだろう?
あたし、どうにかこうにかパパの孫たちを育てたよ。
去年はおにいちゃんも結婚して、下の二人も元気だよ。
そっちにはもう相方やママだけじゃなく、知り合いもいっぱい行ったから楽しくやってるかな?
もう心配かけることもないといいけど、だれもそばにいないから、あたしどうやって年を取っていったらいいのかわからないよ。

引っ越しをしたので10年前とは別の店でソフトクリームを食べた。
最近はこどもに隠れてめそめそ泣くようなことは無くなった。
それだけ生活も落ち着き、こどもたちも大人になったということだろう。
(あたしの涙を受け止め寄り添ってくれる犬がもういないこともあるけど。)
前とは違い、ニコニコしながらおいしいソフトを食べながら海の画像をインスタにアップする。
(ねえ、パパ、これスマホっていうのよ。新しもの好きのパパはきっと夢中になったと思う。)
命日、ってちょっと悲しいっていうか、死んだ日でその人を覚えていたくないって前は思ってて、あたしはずっと誕生日だけ覚えとこうって思ってた。
でもね、誕生日は母親のもの。
本人は誕生日なんか覚えてない、それどころかあたしのパパなんか生まれてから2週間出生届ぎりぎりまで出さなかったらしくてずっと聞かされてた誕生日と出生日が2週間ずれてたくらいなのよ。
亡くなった日も本人は意識なかったからわかんないわよね。
だからやっぱり、命日って残された人たちのものなのよ。
今日はパパの命日。
木漏れ日がキラキラしていてきれいな一日だったよ。
(死ぬにはいい日だ)
20年の献杯!


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