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【結婚に必要な要素】

結婚に必要な要素に「優しさ」「真面目さ」「誠実さ」それら他にも、人により求める物は違い、様々ありそうだが。大前提に"好き"の感情で選ぶ事が当然で当たり前のように感じている。

そもそもの恋愛のスタート地点から、好きの感情で始まる。これは必然的に本人の意思で選んでいる行いであるが。恋愛がスタートした後では、徐々に結婚生活に似た行いに近づいてくる。友達ではなくなり、恋愛的感情で一線を超えさせるのが恋愛で、恋愛を積み重ねのた後に結婚となる。

結婚にもその先はあり。結婚すれば先には待っているのは家庭。家庭において子供が居ても、居なくてもどちらでも構わないと思うが。結婚とは当然にも誰かとの長い時間、日常を過ごしていく事には変わることはない。

ただ、好きの感情は必ずしも継続できるものではなく。つまり、いつか忘れてしまう感情として存在しているが。その内に、家庭を共にする、パートナーに対しての"好き"だという感情の事実を失う日が訪れた時。一体、そのパートナーには、何が残っているのか考えたら。愛、それもあるかも知れないが。たぶん"人間性の良し悪し"が大きい。

当初なら、好きであったから許せていたパートナーの行いであろうが。そもそも、根元的な好きを忘れ失った時には。今までに、好きで許せていた行いにすらも「許せない」に変わったりもする。以前と比べて、許されていた、そんな許容範囲にもズレが出てき始める。結婚に変わると責任が増えて、離婚するのにもお金はかかり、子供がいれば目を瞑り、我慢せざるおえないかもしれない。

例えば、パートナーとして。家事育児をしない旦那を選んだ時。何もしない旦那に対するイライラと、家族になり増える家事に育児と。日常をお互いで支えるつもりが、片側だけの負担になっていたりして。結局の所、人間性が合わない人の事を好きになってしまった事で。旦那に対する熱が冷めた時に、後悔に変わっていたりするかもしれない。

「実家ってよく考えたら、家庭なんだ」と偶に思い出す。僕の家庭での父は、良く家の家事をこなしていた、全ての日の家事をこなしていたが。何故に父が全ての家事をこなしていたのか、それは家族の負担を減らす為にしていた行いだったと思う。

家事を好きでやっていた訳は無いのだろうけど。僕達の家族が不満なく過ごせるなら、家族の負担なんかを減らす為に自己犠牲にも、文句を一つも言わずに行えていたと思う。

要するに、結婚生活とは日常を共にすることで、生活を他者と共有していくものであるから。"相手の為を思える人"の方が、生活する上で家庭の中にある生活の負担を減らそうと思える行いが出来る人は、結婚に向いていると思う。

しかしながら、冷静に考えれば"穏やかで平和な家庭"を作ること。それが、最終目的だと捉えられるはずなのに。一番初めのスタートラインにおいて相手を選ぶ際は「好き」だという感情を重点に置いている。

始めから、相手の事を見る目が人間性なんかを視野に入れてたのなら。自分にとって良い相手が早く見つけやすい。「誠実さ」「優しさ」「真面目さ」など、そう言った人間性を持つ人を始めから選べていたのなら、浮気する相手や、嘘をつくような相手を選ぶこと無く。自分に合った人を選び。合わない相手を、間違った選択肢も少ないだろう。

ただ、どうにも、そのように簡単にいくような。そんな事でもなさそうである。人はどうしても好きな人との生活に憧れるものであったから。わかっていても自分の意思では、どうすることも出来ず。相手の事を、見極める際にまずは恋愛対象から始めて、その次に自分との相性を見定めている。

その作業は、時間がかかりすぎる作業であると思う。「良い人がいたら結婚する」とはよく聞いた。そうは言っても、良い人と出会えたとして、自分がその人の事を恋愛対象として、必ず見れたものでもない。

結婚生活にはやはり相性が必要なのだが。相性を必要とする前に、色々な物をザルにかけてふるい、落として、その中で、残った中から良さを探している。

ただもしも、ザルに残った好きの感情だけで。自分と合わない価値観の相手との結婚生活を送るとなると。自分と、相手との合わない価値観の部分には蓋をして。我慢をしながら生活を送る事にもなり得る。それでも幸せな家庭を続けられる人もいるとは思うが。

どうせなら、気を緩めてなお。楽しい結婚生活を求められれば良いものなのだが。

恋愛感情とは酷なもので。恋愛が終わり結婚まで迎えられたとしても。今ある結婚生活をも残しつつ。裏で、新しい人と恋愛を楽しむ人も一定数には存在する。結婚という行いをしたからと言って、自分の意思が変わる訳でもなく。自分の恋愛感情を優先する人もいるということ。

現代に置いて恋愛は、結婚し家庭を作るまでの過程の序章の一つに捉えられるが。

もしかすると、人間には最終的な家庭という形が上手く噛み合っていないのかも知れない。結婚には"我慢"がやはり混じっている。そこまでして家庭を作る必要性はあるのだろうか。家庭の形の利点を考えるなら。それは、たぶん生まれた子供のために用意される場所。安定して、安定的な、安らぎある「子供の為にある家庭」として、言われたら納得しやすい。

それを踏まえ、結婚に必要な要素を考えるならば。

結婚に必要な要素は。子供がいる場合には「子供の事を第一優先」に考えてくれる家庭的な人が良く。子供がいない場合には「相手を第一優先」に考えてくれる相手想いな人が良く。結婚をしても「恋愛感情が第一優先」に考えてしまう人には、向いていないのかもしれない。

恋愛体質の人に結婚は向いていないと言われるが。それは、そうなのかもしれないと思う、そもそも恋愛体質の人間は"恋愛"向きである。「恋を求める」行為は序章にある"恋愛"に対して、力を発揮できるのだが。結婚のような、地道な積み重ねが求められる場所では、恋の刺激より、冷静な我慢が必要とされる。

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