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人生は「42.195km+α」

12月2日に行われたNAHAマラソンに出場し、無事完走することができました!

僕自身初めてのフルマラソンで、想像の数十倍キツい道のりでした。

始まる前と後の差。

本気で4時間切れると思ってましたが、あやうく5時間台に突入するところでした。

でも、とっても楽しかったので、また別の大会で挑戦したいなと思います。

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今回のマラソンは、目標タイムを切ることではなく、完走することでもなく、「考える」ことを目的に走りました。

日々のタスクに追われ、じっくり考える時間が取れなかったので、スタートからゴールまでの時間で色んなことを考えて、整理しようと思ったのです。

何を考え、どんな結論に至ったかは、以下の連続Tweetを見ていただければ嬉しいです。

そして、キツいキツい42.195kmを走りながら、総じて感じたことはこれでした。

マラソンって、人生そのものやな

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人生をマラソンにたとえる人はよくいますが、私もその一人です。

普段走る10kmも、人生にたとえて説明することができます。

今回は、それを4.2195倍したたとえについて書いてみます。

スタート~10km

スタートは皆足並みをそろえて出発し、2万人以上出場しているので、最初のほうはごった返しです。ほとんど身動きが取れません。

最初の数kmは、流れに身を任せながらの出発でした。
始まった祭典を楽しむかのように、皆同じようなペースで進んでいったのです。

ですが、僕は守りたいペースがあったので、隙間という隙間を縫っては追い抜くを繰り返す。

最初の10kmは、どれだけ多くの人を抜けるかしか考えていませんでした。
(後で記録を見ると、最初の10kmで1000人抜いていました。手ごたえ的には2000人ぐらい抜いたと思ったのに!)

ここを人生にたとえると、「まず抜け出すことの重要性」を唱えることができると思います。

大体の物事において、皆が同じことを同じようなペースでやっていて、周りに身を任せていたらそれなりに物事は進みます。

確かに、ある程度結果が得られることはわかっているので、賢い選択ではあります。
ですが、周りと同じことを同じペースでやっていても全く評価されません。その時点で、代替可能な存在だと言えます。

だから、スタートの段階で周りよりも多く手を打ち、周りよりも早く行うことで、その集団から抜け出すことが求められるのです。

それによって、周りよりも一歩抜け出した存在だと認識されるのです。

仕事を依頼する側の立場に立ってみても、そりゃ一歩抜け出した人に頼みたくなりますよね。

まず抜け出す。そうでないと、代替可能な存在に成り下がってしまう。

そう強く感じた10kmまでの道のりでした。

10~20km

日常的に走る人が少なくなるこの距離。僕自身も、10km以上は人生で5回ほどしか走ったことがありません。

このあたりで、多くの人が気づいたのではないでしょうか。

「42.195kmって長くない?」

これだけしんどいのに、まだ30km残ってんのかよ。僕を含め本当に多くの人が感じたことでしょう。

このあたりから疲れが見え始めて、坂道がきつく感じ始めました。

(目標の4時間に向けて、ペースはなんとか死守していました。)

27歳の僕にとって、「人生って長いんだろうなー」と感じ始めた区間でした。

これまで生きてきた人生の何倍もの時間があって、それを迎えるために今やらなきゃいけないことがたくさんあるんじゃないかと。

だからこそ、この早い段階で休んではいけない。今休むと、後々しんどくなる。

そう自分に言い聞かせて、生きていく年代なのかもしれません。

若いうちに努力を怠っていては、歳を取ったときに必ずボロが出る。そうならないためにも、今できることを全力でやるべきだと感じました。

27歳の僕にとって、一番考えることの多かった10~20kmでした。

20~30km

ここからは、僕にとって未知の領域。一人で勝手にハーフの距離は3回ぐらい走ったことはありましたが、それ以上となるともう想像すらつかないのです。

体のあちこちに痛みを覚え始め、ところどころ止まりながらのランでした。

僕と同じように、周りのランナーのペースも落ちているような感じでした。

折り返し地点は通過したものの、距離は一向に縮まらない。むしろ伸びていっているような感覚。

このあたりで、脱落するランナーもいたのかもしれません。

僕は、25km地点からUVERworldの曲を聴きながら走ると決めていました。いつも力をもらっているUVERworldに、25㎞から力を借りることにしていたのです。

フィニッシュの瞬間までを逆算し、どのタイミングでどの曲を聴きたいか。曲順も全てアレンジして臨みました。

ここから先は、ひたすら曲の歌詞を反芻しながら走るのみ。休み休みながらも走り抜けられたのは、UVERworldのおかげもあるでしょう。

物事、何でも5~7割の段階が一番しんどいかもしれません。単純に苦しくなってくるころで、引き返しもできない、うまく行くかどうかもわからない。

「狭間」という言葉がふさわしい段階です。

最後までやりきれずに諦めてしまうことは、この5~7割の段階で投げ出してしまうことが多いのかもしれませんね。

だからこそ、僕はUVERworldの力を借りました。

一人で最後まで踏ん張るのは本当に辛い。だから、人は支えあって生きている。
誰かと一緒だからこそ、苦しい困難も乗り越えられるのでしょう。

30~40km

足が棒になってきて、「本当にゴールなんてあるのか?」と疑問に感じ始めた30kmすぎ。

走る→歩く→止まる→走る→…を繰り返すようになり、足も限界を迎えていたようです。

沿道の皆さまの力をフルに借り、超スローペースながら前に進んでいました。

ここで心がけたのは、「ゆっくりでもいいから前に進むこと」。

ゴールに近づかないことには何も始まらない。だから、少し走って痛みを和らげてまた少し走って、と繰り返すことにしたのです。

このあたりで頭の中を反芻していたのは、UVERworldのREVERSIという曲の歌詞でした。

他人に勝つことなんてさほど難しくない
自分に勝ち続けることを思えば
逃げてもそれなりに幸せなこの世界で
まだここじゃないと言えるから
先に行くよ

苦しくなってから勝負」と自分に言い聞かせ、この歌詞を胸に刻みながらひたすら耐えて進み続けました。

確かに30kmも走った自分はよくやったでしょう。足も限界を迎え、脱落しても誰にも怒られないとは思っていました。

でも、それなりに幸せな30kmじゃなくて、まだ先がある。僕が行きたいところは、まだここじゃない。

それだけがモチベーションで、乗り切りました。

たとえば事業も、最後の詰めの部分は本当に苦しいと思います。産みの苦しみというのは、この最後の段階で来るものでしょう。

現状に満足せず挑戦をやめない姿勢が、突き抜けるために必要なのかもしれません。

また、このあたりで、「人生もいつか終わってしまうんだろうなー」とも思っていました。

27歳のピンピンした僕だって、例外なく死んでいく。
それまでに、僕は何ができるのだろうか?

そういう問いを産んでくれたような気がします。

少なくとも、7日目の決意という曲にあるように「夢を願うときだけは少し強くなれる」ような生き方をしていきたいですね。

40~42.195km+α

あと少し。ゆっくりでいいからとにかく前に進む。本当に足が動かなくなっていて、後で記録を見ると1km8分ぐらいかかっていました。早歩きとなんら変わりません。

もう、フィニッシュをイメージして進むのみ。

実は、途中で知人より連絡があり、「たまたま那覇にいるので、フィニッシュを見届けに行きます!」と言ってくれていました。
それが、本当に大きな力となって、フィニッシュに向けて頑張れた気がします。

40kmを過ぎてからは、一度も立ち止まることなく気力のみでフィニッシュしました。

記録は4時間52分。走り終えた直後の感想は、「本当にフルマラソン走ったんだな」でした。

未知の挑戦でしたが、終わったあとの現実感がたまらなく心地よかったです。

タイトルに””とつけたのには、大きな意味があります。

「本当のチャレンジャーは、終わった直後に次を見据えて行動する」という持論があるからです。

スポーツなどでクールダウンをしますが、あれは疲れを取るだけでなく翌日や次の機会にもいい状態で臨めるようにするため。

だから、僕は完走して早々にせっせとホテルに帰り、シャワーを浴びて入念にストレッチをしました。

完走の余韻に浸ることなく、早く回復する方法のみを考えて行動したのです。
ちなみに、ストレッチ直後は来てくれた知人と一緒にステーキを食べに行き、心と体を満たして帰りました。

仕事でも遊びでも、すぐに次を見据えて行動できるかどうか。
この視点はかなり重要だと思っています。

イベントの主催をたまにするのですが、今やっていることではなく次の工程に向けて何を準備しないといけないのか。

時間は絶えず流れていくので、それを意識して行動することが求められるのでしょう。

***

初のフルマラソンを走っている最中に、僕の頭の中で考えていたことの一部を書きました。

「マラソンは人生そのもの」と改めて思ったと同時に、「マラソンが終わった後も人生は続く」というのが最大の気づきでした。

久々に”本当に苦しいこと”を体験したのですが、本当に苦しいからこそ色々見えてきたのでしょう。

実は大会2週間前ぐらいまで走るのを渋っていたのですが、走って本当に良かったです。

フルマラソンを走ったという自信も、その過程で考えたことも、必ずや自分の糧になることでしょう。

人生という42.195km+αの旅を、まだまだ楽しんで生きようと思う2018年12月2日でした。

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