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新聞を読んだら、「らしさ」の鎧が重いことに気づいた

 こんにちは、スミレです。
 高校での探究活動で、家制度の名残についてをテーマとして取り上げたことがあります。家や性別などの「まとまり」としてではなく、一個人として人を見る目を養うために知見を広めようとしているところです。
 この「まとまり」というのは、後述する「らしさ」とも言い換えることができると考えています。

 先日、「探究の材料になれば」ということで高校の先生から、朝日新聞の切り抜きを貰いました。
 国際男性デーということで、男らしさに苦しむ男性たちについての特集が3編に渡って書かれていました。有料記事になりますが朝日新聞デジタルのリンクは以下の3つです。


 私はこれらを読んで、「らしさ」にどう苦しんでいるのか、それをどう解決していけばいいのかは十人十色であると知りました。
 タイトルからだけでもこのように想像することができます。
 一方的に非難されるばかりで、「らしさ」に苦しんでいると分析してくれる人が周りにいなかった。
 加害者として更生を要求されたが、自分を見つめ直す機会を与えられたことで具体的な努力ができた。
 時間こそかかったものの、疑問や表面上だけの尊重から真に歩み寄るところまで行けた。

 この特集を教えてくれた上に切り抜きまでくれた先生は、「らしさ」を服に例えていました。また、自身も「らしさ」に苦労させられた経験を持つことから、特集の内容にも思うところがあるようで。
 曰く、「俺は若いうちに合わない「らしさ」の服を脱ぎ捨てることができたけれど、それにはかなりの努力が必要だった。もし年を重ねてから「らしさ」の服が合わないと気づいても、きっと脱げなかった。ほら、思い入れがない安いTシャツならサッと捨てられるけど、自分なりに努力を重ねて買ったお高いスーツは捨て難い感じするでしょ?今までの努力を自分が否定してしまうみたいで」

 これを聞いて、確かに服の例えはわかりやすいと感じましたが、私個人的には鎧というイメージが強かったです。
 主に中学生の頃の記憶が影響していると思います。学校という場所で「らしさ」の鎧を配られ、それを着こなせた者だけが生き抜ける場所。私は着るどころか重たすぎて持ち上げることもできず、叱責やら非難やらに晒される。
 服を着るという土台にすら乗れていなかったので、じゃあ鎧が一番近いのかなと考えた次第です。「らしさ」といっても、実際はどこまでも美化された理想でしかないのですから、着続けることが辛いなんてそりゃそうだと思います。よう耐えて今を生きてるよ私(急な自画自賛)。

 「らしさ」というのは無数にあります。男らしさ、女らしさ、大人らしさ、子供らしさ、先生らしさ、学生らしさ、親らしさ……。
 程度の差はあれど誰しもが「らしさ」を身につけて生活しているのでしょう。他人の「らしさ」に巻き込まれて苦しむ人がいれば、捨てるに捨てられず困り果てている人もいるし、「らしさ」の服あるいは鎧に無自覚なまま翻弄されている人もいる。苦労に苦労を重ねて処分に成功した人もいれば、あっさりとポイ捨てできた人もいる。

 もし「なんて自分勝手な人なんだろう」「何いってんだコイツ」と怒りたくなる場面があっても、一呼吸おいて「らしさ」を自ら捨てたり、誰かに否定される苦痛があることを思い出す必要があると考えています。
 一方的な押し付けや非難で終わりにするのではなく。また、辛いと思った自分を封じ込めることもせず。上手に折り合いをつけられる人間になりたいと思いました、それができてりゃ世の中もっと穏やかだっていうのは承知の上ですけれど、言うだけならタダかなって。

 ここまで読んでくださりありがとうございます。

 ……「らしさ」の3文字がゲシュタルト崩壊してきた。

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