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私語りの天皇のおわす国 JKすみれ☆

  1 日本を話すとき誰もが天皇の事を話します。          万世一系だから、永く続いているからだ とみんな言うのですが       私にはそれが価値あることだと直ぐには腑に落ちませんでした。

日本のように一億を超える人口を持つ国家は令和元年現在、世界に十二ヶ国あるそうです。日本とアメリカを除く十ヶ国は大戦を経たのち生まれた新しい国で、日本のような永い歴史のある国は他にありません。
もう一方のアメリカは多くの移民による人工的に作られた国で、自然にその地に生まれた人々が暮らし育んだ国ではありません。
日本やアメリカが経済大国である理由の一つに人口の多さがあります。人口を多く擁する国家は労働力人口に勝り、人口は経済力に直結します。日本には江戸の昔から百万人を超える大都市がありました。ですが山勝ちな地形の国土面積に占める可居住割合は約3割ほどで諸外国に比べ小さいそうです。ですから人々は現在のような高層住宅を持たない平屋の時代から身を寄せ合って暮らしてきました。島国で土地も資源も無く、地震などの自然災害も多い決して恵まれてる環境とは言えない国土で日本人はいたわり合い、支え合い平穏な暮らしを願って社会を作ってきました。           「日本は人口密度が高い。それはなぜか?」
日本人にとってごく当たり前のこの事実が、「なぜ天皇に価値があるのか」という問題に対してわたしにとって漸く得心がいく答えを見つける切っ掛けになりました。

  2 終末を思わない日本人は暴動を起こさない

 平成二十三年三月十一日。八年前に福島で起きた原子力発電所の事故のあの日、東京に暮らす私はいつ再開するのかの見込みも立たない停車した電車の再開を待ち、駅構内の混雑に身を任せるまま、ぼんやりと周囲の声に耳を傾けていました。
誰も胸の内に不安はあるのでしょうが原発事故というこれまでにない災害にも関わらず、構内の人が皆これもいつもの日常として電車の発車を待ちわびる様子に「いざ、事が起きてみるとこういうものなのか」と子供のころから放射能は恐ろしいものだと聞かされ、漠然と原子力事故が起きたらこの世の終わりだと思ってたわたしはこの少し不思議な気持ちに身をゆだねてました。
落ち着いてるとはいえ構内には喧騒とまではいかない程度の、いつもよりやや多いくらいの人々の声があり、耳を聳てると周囲で交わされる情報交換の中に外国語のやり取りがあることに気が付きました。
 「外国人はこの事態をどう感じているんだろう?」俄然、彼らの会話の内容に興味をそそられたわたしはその姿を探そうと周囲に視線を這わせました。彼らの見つめる先は何を探ろうというのかわたしの頭の上はるか遠くに向けられ、その表情には不安の色があるように思えました。災害が如何なる規模のものなのか、彼らもわたしと同じく何か大事な話が聞こえぬかと一心に耳を聳て、思い出した
ように交わされる会話からは事故の心配以上に、日本人のこの状況への対応が平時と変わらぬ事が彼らを更に戸惑わせてるのではないかのように感じました。
落ち着かない目の様子から窺える原発事故への不安は隠せないものの彼らも日本人と同じく決して慌てることなく、その口調はずっと穏やかなものでした。彼らとわたしが見てる風景は同じなのです。それぞれの生活の中では接触することが無いであろう人たちが同じ空間を共有しているのです。駅構内にはサラリーマンも居れば作業服姿の男性も、携帯をいじる学生も不良も老人もみんな特に変わった様子もなく過ごしているのです。
まったく、日本人は命の心配をしてないのです。耳に入る会話は帰路の心配と明日の予定の心配です。誰ひとりとしてこの日常が終わるなどとは考えもしていないのです。
 外国人の目を通して日本の日常を見ることに興味をそそられた私には急に見慣れたはずの人々の様子がとても面白く思えてきました。旅行や映画で見たり知人から見聞きする外国は地下鉄は乗客を選ぶし、人々は危機に際し、簡単にパニックを起こし連帯を失います。停電が長引けば闇夜に乗じてショーウィンドウが荒らされ、そこかしこで暴動が起きると思っていたので彼らの戸惑いのほうが世界では普通なのではないかと思えたのです。突然訪れた非日常は法の秩序が及ばない世界を出現させます。
でも日本に暮らすわたしはたまたま電車に乗り合わせただけの誰かが突然暴れ出すとも思いませんし、また他の人もそう思わないでしょう。わたしも他の人もこの日常が突然終わるとは思いもしないし、誰もがそうは考えないだろうと思ってるからです。それが例え、原子力発電所の事故があったばかりの人波で溢れかえる駅の構内でもです。
その理由は単純に明日になっても日本の法の統治が存続すると思ってるからです。本日以降も日本がずっと日本として続いていくことに疑いを持てないからです。なにがあろうと明日も日本は続く。これに絶対の確信があるから大震災のその日も駅構内の人たちは明日の為に帰途を急ぐのです。

  3 永い経験に裏付けされた国家が続くという共有された確信

理由は単純でも、この共同幻想を共有し存続させるのは大変です。国家はさまざまな原因で衰退します。集団の連帯も変わります。国家の存続が困難になるほどの大災害もあれば、帝国に取り込まれることもあれば、宗教すら変わり得ます。ただ続くことがどれだけ困難なことか、それは数百年続いた王朝が数えるほどしかないことから判ります。
 人の社会は蟻や蜂のように本能により作られるものではありません。人々が集い生活を営む中で、死を悼む気持ちを始めとした地域の風土に培われた共感や愛情、気概といった感情。人間関係の解決のための知恵と協力や援助。他者との共存のための自己抑制から生まれた道徳が長じて宗教となります。自然発生的に生まれた国家ではその国の宗教がその国の人々の常識になります。価値観を共有にする宗教と意思の疎通のための言語を同じくする者の集団から国家は始まるので人の社会はそれがどのような社会であろうと人々の選択により作られたものとなります。そして宗教は道徳的規範を作り人々の行動を抑制します。日本人は道具や言葉、田んぼや台所、米粒や吐息の中にまでと森羅万象全てに命が宿ると考え自然と共に生きてきました。祖先、精霊、神を社会の構成に組み込み人々は意識の中に上位の存在を認識し、利己を律し、社会をより協力的に構築します。自分より尊い存在があると知ることで人は謙虚になるのです。
国家が機能し生存が容易になればそれは同時に居住エリアの拡大に繋がり、いつしか他の国家と接触します。そして言語と宗教を共通に出来ず、常識、つまり価値観の共有できない地域は別の国となります。大人数を擁する国家はなかなか成立できないのです。
 常識が国家に境界を引くというと判りにくいかもしれませんが、一つの常識はいくつもの常識と絡み合い更に大きな常識に幾重にも包まれて社会を構成します。ゴミ出しの約束事を守る。列の順番を守るなどの簡単なことひとつとっても和を乱す者が居たら決め事は機能せず支障をきたします。日本の交通ルールでは人は右側通行。車は対面通行のほうが安全だからと車は左側通行になります。食べ物を粗末にしてはいけないと教わるのは宗教的な理由だと否定する人もお茶碗に盛られたご飯を足で踏みつけるような真似はしません。反社会的で一般的に非常識とされる人でも日本のお金を信用しない人は居ないのです。
ですが常識は同時に幻想でもあります。治安が乱れ、争いが続けば神も仏も無くなります。社会と隔絶したカルトが蔓延ります。
安全が脅かされ人々の幻想が崩れ去ったとき、非常事態における国家の枠組みの中で国民の責任と義務をわたしたちが維持するためには強い確信が必要です。つまらない個人の我が儘や傲慢で押し流すことの出来ない強い確信です。国家が我が身の存在を超えて永らえる。この幻想を確信にまで高めているのがわたしたちと祖先との血のつながりです。

  4 私も他の人々も同じく繋がる祖先はいつも天皇と共に在った

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 子供の頃、父の実家で遊んでたわたしは古い小引き出しの中から古銭に混じってアートのような数本の水引きを見つけました。
父に見せると「これは父さんのおばあちゃんが天皇のご巡幸の折に練習に作ったそうだ」と曾祖母から聞かされた話をしてくれました。水引きは朝廷の風習が近世になり庶民の間に礼儀作法のひとつとして浸透したものだそうです。「天皇に差し上げる水引きの結びを憶えてたのはわたしだけだったんだよ」と父に話す顔も知らぬ曾祖母の誇らしげな様子が目に浮かぶようでした。
日本は日本と言う国の形をずっと変えることなく続いてきた世界最古の国家です。その中心にあるものが日本の國體、天皇の皇室です。今の私の命につながる先祖は常に天皇を知り天皇の存在と共にあったことが此の後も日本が存続することを信じるに足る確信なのです。
わたしの父母もわたしの祖父母もそのまた祖父母も自分の代の後も日本が続くと信じてきたのは今まで生まれてきた全ての日本人と共に連綿として続く天皇の存在を知っていたからです。そしてそれは今たまたま、この場に居合わせた私も周囲の人々とも同じなのです。

  5 国家が存続する確信の証拠が天皇の存在

 日本人の信心は風俗習慣、文化に根付き生活の中に深く浸透した日本の信仰はすべて先祖崇拝に帰結します。万世一系による命の永続をわたしたちに示し、時代も肉体の死も超越し国民の幾久しい繁栄を願う天皇は自ずと宗教的な存在となり、天皇とわたしたちは古より続く命の継承と永続性を願う祈りの気持ちによって深く結ばれます。今のわたしにつながるわたしの先祖の命の継承は天皇が治世する日本と共に在ったのです。ですからそれを断ち切ろうとし、天皇に取って代わろうとするモノは思わぬとこから国の為と上がる鬨の声と錦の御旗の価値を知る者により排除されることになるのです。
 令和を迎えわたしたちは徳仁天皇から「常に国民を思い、国民に寄り添う」とおことばを賜りました。街角に令和の文字が溢れ、新しい御代を迎えた日本は一斉に祝祭的な雰囲気に包まれました。わたしたちは見知らぬ人とも天皇を介してつながることを改めて思い、日本の更なる繁栄を予感します。
天皇はいつの世も元号を通じわたしたち国民の生活に深く結び付居ているのです。そして
天皇が働きかけずとも国民は天皇の元にまとまるのです。長く続く国家の安定で生活の中に國體を意識しない現代の日本では国民の統合が当然視され、日本人が日本に帰属する根拠を天皇に結びつけることを訝しむ声があります。しかし、国が成り立つためには統合の根拠になる帰属意識が必要ですし、そもそもどのようなものであれ統合が無ければ国家が成り立ちません。国民統合の危うい国家はたやすく破綻し、住民の生活は間違いなく悪化します。安全は保障されずモラルは低下します。そして一度失われた国民統合は容易には回復しないのです。戦後、天皇は象徴天皇に成られたのちも国民統合のため国民を思い祈り続けます。時代によって天皇と国民の関係は変わろうとも日本人は天皇を否定しません。国民の天皇に対する尊敬と敬愛の念は失われることなく象徴天皇の在り方を総意において支持し、天皇と国民の相互の信頼関係の構造は変わらず受け継がれていきます。
わたしたちが当然としている強い国民統合は外国から見れば驚くべきことだと思います。
日本の皇室を世界が尊敬の念をもって見るのはいかなる国も追随することが出来ない、神代につながる長い系譜を今も絶えることなく存続させてることにあります。いまを生きる天皇がまっすぐ日本の神話につながることは天皇が日本の中心に根を降ろしていることを意味します。日本は他の国が切実に求めてやまない国民統合の根拠をずっと持っているのです。

日本は天皇が作られた国です。日本から天皇が無くなれば日本が大きな混乱に陥った時、国民が纏まる根拠がありません。天皇の居ない日本は今までとなんの変わりがないように見えてもやはり別の集団なのです。
日本国と国民皆の来し方行く末を思って祈り続ける天皇の営みが国民の総意を産みだし社会に秩序をもたらすのです。
人権、平和、民主主義と言った急ごしらえの概念では取って代わることの出来ない天皇の治世の下の生活の記憶が人々にあったからこそ日本では終戦の時ですら秩序が維持され内戦が起きなかったのです。
近年の常識で現代の賢い人たちが机に向かって練り上げたアイディアがどんなに魅力的に見えようともそれには何の保証もありません。人の本質を深く知る今まで生を受けた多くの人達の、歴史の波に洗われた知恵の方が普遍的で危なげがないものなのです。
万事において人が平等であれば権力は責任を伴いません。権力を抑えることが出来る力は権威です。社会の安寧は皇室が持つ権威に由ることを日本人は暗黙の内に知るのです。
だからこそ日本人は皇室に畏敬の念を抱き、皇室は日本人の矜持となっているのです。そして日本人には他者の良いところを真似、働き者で腰が低く不用意に尊大になることはない賢さがあります。
わたしたちもまた、すべての者が等しく君主に信頼を寄せる良き臣民であったからこそ国民国家への道を開くことが出来、これからも日本国と共に日本人は存続していくのです。


       令和元年六月九日 投函
           JKすみれ☆

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