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ようやく自分を大切にする余裕がでてきた、かも

漠然とした希死念慮を抱えたまま数年経ってしまった。

その気持ちに押し潰されてシャレにならない選択をする時もあれば、「え?そんなことありましたっけ?」と微塵も思い出さない時もある。死にたい気持ちも、死ぬ気がない気持ちも嘘ではない。誰かに構ってほしいだけなのかもしれない。でも友達や家族にこの話をするのは気が引けて、永遠にネット(主にX)でやり場のない気持ちをタラタラ垂れ流している。

そんな状態で私は東京から地方に移住した。関東を出るのは生まれて初めてだ。
引っ越し先は関西よりも西側。訛りも文化も出汁の味も、関東とは全部違う。ど田舎ではないが、今まで住んでいた街よりはもちろん田舎。今までは徒歩5分圏内にスーパー、コンビニ、病院、ドラッグストア、美容院、飲食店盛り沢山、ドンキもあるという、超絶暮らしやすい都会だったが、今はチャリで15分〜20分漕がないと何の買い物もできない。欲しいモノがあったらさらにチャリを爆走しないといけない。「あ!あれ買い忘れた!」で気軽に買い物に行けなくなってしまったが、まぁ車がなくても生活できるような、そんな環境。

間違いなく東京にいる頃より利便性は減ったものの、それが手間で億劫だとは思えず、むしろキンキンに冷えた冬の空気を吸いながらチャリを漕ぐのは気持ちよさまで感じる。空が広いおかげで、夕日が落ちる様子が最後まで見える。空気が澄んでいて綺麗。うるさい雑多な環境音が全く聞こえてこない。街中を歩いていてもすれ違う人は数人だけ。何よりも、1日の時間がとても長く感じる。なにもかもが穏やかで、東京で分単位で動いていた生活とは真逆の人生を送っている。

数ヶ月前の私に今の自分の姿を見せたら、きっと羨ましすぎて血涙を流すだろうな。過去の私に教えてあげたい。「誰も私のことを知らない土地は、とても居心地が良いぞ。」と。

そんなこんなで最近ようやくここの生活にも慣れてきて、前向きな気持ちになることが増えてきた。けれど、たまに過去のアレコレが勝手に思い出されて動悸が乱れる瞬間がある。ドス黒い気持ちが襟首をつかんでくる。振り解こうとしてもなかなか消えない、厄介なやつ。

顔、体型、年齢、性別、経験、スキル、学歴、職業。これらを他人に比較され、見下された経験があるが、私は昔から強い女に憧れていたから「何も気にしていないですよ」と涼しげな顔で受け流していた。いちいち気にしていたらキリがなかったし、何よりそんな些細なことで傷つかない自分のことが大好きだった。むしろ言い返してその場の笑いをとるくらいの余裕があって、友達にも家族にも職場の人間にも心配されたことはなかった。
でも、心の傷は着実に膿んでいて、もはや誰に言われたのかも思い出せないような惨い言葉が頭の中で繰り返され、引っかかった言葉のトゲが抜けないままでいる。それさえも見て見ぬ振りを続けた結果、死にたいという気持ちが溢れて止まらなくなってしまった。

自己肯定感も地の底まで落ちて、落ちて、地球の反対側のブラジルまで行ってしまった。一度落ちた自己肯定感をブラジルから引き上げるのはなかなか難しい。
死んだほうが楽だな〜と思った夜がいくつもあって、私のことを好きだと伝えてくれる友人や恋人のことを何も信じられなくなって、「いつかこの人も私を見放して捨てるんだろうな」なんて思ったりして。他人の愛情や信頼を疑ったまま過ごす毎日はとてもじゃないけど眠れなかった。
でも結局、自己肯定感が低いと自分が第一優先になってしまうみたいで、周りの人への気遣いや配慮がボロボロに欠けていたと思う。嫌われたくないから優しいフリをして、寄り添ってくれた人には「本当の私のことなんて知らないくせに」と思ってしまう。今思えばとんでもなくワガママで扱いにくい人間だ。
まだ繋がってる友人達は、こんな私をよく見放さないでいてくれたなと思う。足を向けて眠れない。

今はひとりになる時間がたっぷり増えて、誰にも比較されない環境にいるおかげで、東京にいる時よりも「死にたい」と思う日がだいぶ減った。もちろんフラッシュバックする瞬間もあるけれど、前よりも落ち着くのが早い。
私が私のことをきちんと評価して、認めてあげる時間が必要だったんだと思う。誰とも比較しないで、自分がどんな性格をしていて、どんなスキルを持っていて、周りからどう思われている人間なのか、ちゃんと把握しておきたい。

自分のことを大事にしてあげたら、きっと心の余裕が生まれるだろうから、私のことを大事にしてくれた人たちにいつかちゃんとお返ししたいなと思う。


人生第二章、ゆる〜く頑張ろう〜


すもやま



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