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農×食・工芸×アート=暮らし

はじめまして。SUN ca noppo (サンカノッポ)です。

 貯金ほぼ無し、資格無し、語学力無し
 人脈無し、強みになる職歴無し…
 不安になると全く動けず、安全そうな道を選ぶタイプ
 そんなシングルマザーです。

上記の感じだと不安な要素しかない人ですが、
2020年に関東→大分の田舎へ移住しました。

地域おこし協力隊(2022年10月/現職)を経て、もうじきフリーになります。
さらに自由な暮らしにシフトする事に、わくわく! そして正直なところ、不安も持っている現状です。

さて私がこれから「楽しみと自由とお金」を得るために行うことは
タイトルにもある、
農業×食・工芸×アートです。この軸で豊かな暮らしを実現します。
定職に就く予定はありません。
一緒に居て心地良いと感じる人(仲間)と一緒に、心豊かに暮らすために挑戦していきたいと思っています。

こんな風に思うようになった流れを少しご紹介したいと思います。


移住の理由:きっかけと本意

私の移住する前の暮らしは、特に不自由のない暮らしでした。

ちょっとオシャレな工務店に勤務し
 販促企画/DTP/内装とインテリアコーディネート
 雑貨店のバイヤーと店舗ディスプレイ/家具バイヤー
そんな仕事をしていました。
会社の居心地は良く、シングルマザーであることも考慮していただき無理のない勤務。仕事も楽しいものでした。

でも私は移住に踏み切りました。

私が移住した理由は大きく3つ。

1.価値観:物質的豊かさより、心の豊かさを追求したいと思った
2.夢を目標に:映画やドラマで見る海辺の暮らしに憧れていた
3.きっかけ:新型ウイルスの縛りから自由になろうと思った

【価値観】私の求める豊かさって何だろう?

 移住を検討するより前、日々充実した生活を送る中、周りにいる人間との温度差を感じ始めていました。

「流行りの物を手に入れることを、嬉しく思えなくなった」
「見栄の張り合いのような俗世に違和感を感じた」
「高給を目指し仕事をすることに価値を見出せなかった」

「私は、もっと心を豊かにする暮らしがしたい」
そんな氣持ちから、現状を脱却する方法を考えていました。
この時にうっすらと頭をよぎったのが「田舎へ移住する」という選択肢。

でも
田舎▶仕事が無い=「手に職のない自分には難しい」
そして
実家から離れる▶いざという時に頼れる人が近くにいない「シングルマザーには難しい」と考えていたので、現実的に移住を考えることはありませんでした。

【夢を目標に】憧れているだけじゃ動けない

 私は移住しようと考える前に「ただの妄想に近い夢」として、
「いつか穏やかな海の近くに住んでみたい」と思っていました。

実家は海なし県。
海への憧れが強く、ドラマや映画で海辺の町の話を観るのがとにかく大好き! いつかは海近くで・・・

地方公務員である元夫と結婚し、子どもが出来て諦めていた夢でしたが、離婚をしたことで突如「実現可能な夢」となった海辺の暮らし。
でも「シングルマザーだし難しいよね」そんな安全ブレーキが作動し行動を起こすことはありませんでした。

 ある日、図書館で何気なく手に取った移住の本。そこにはシングルマザーでも沖縄や離島に移住した人の体験談が紹介されていました。「地域おこし協力隊」という制度の紹介や、独立開業した人の体験談、仕事と住まいを一緒に手配した人の体験談…
とにかく衝撃的で、急に芽生えた「私にもできる!」という自信とワクワク感。安全ブレーキが一瞬にして壊れてしまいました。
 それからというもの「子どもが小さいうちに海の近くに住もう」という目標を持ち、移住へのアンテナを張りながら暮らしていました。

【きっかけ】背中を押してくれたのはパンデミック

 移住に踏み切るきっかけは「新型ウイルスの流行」
時代を読めば、いるかは起こると思っていた未知のウイルスのパンデミック。2019年末、中国の武漢の状況がニュースになり「移住するなら今だ!」と思い、すぐに情報収集を始めました。
そしてタイミングよく開かれた2020年2月のJOINが主催する大きな移住フェアに向かい、地域おこし協力隊を募集している「海近」の自治体と出会うことが出来ました。

移住先が決定するまでは、世界も日本もパニックの最中。
マスクが店から消え、公園には立ち入り禁止のテープが張られ、学校は休校。毎日家から出られない子どもと一緒に過ごしていました。
電車通勤の友人は、通勤が怖いと言う。
子どもは人と会うのが怖いと言う。
私は、この期間でさらに「都市部で暮らす」より「田舎で暮らす」という方に魅力を強く感じました。

移住から2年半:意識の変化

地域おこし協力隊の給与は
「手取りで12万円ちょっと」です。
誰に言っても「大丈夫なの⁉」という額ですよね。

それでも田舎暮らしでは、普通に暮らしていけます。
学校帰りに娘と浜辺で遊び、
週末は一緒に外食し、温泉に入る。
氣の合う友人たちと思いっきり遊べます。
旅行なんかも、車中泊でサクサク行っています。

そんな中の変化が、3つ!

①食生活が質よくシンプルに!

以前は、スーパーでパックに入った肉や、きれいにビニールに詰められた色も形も美しい野菜を買い、加工品やアミノ酸の調味料をふんだんに使い料理をしていました。それはそれで美味しく好きな食生活。

今は、主にジビエの肉と、無農薬・低農薬の野菜を食す。
たまに釣ってきた魚をいただくことも。
素材の味が良いので、味付けは自然とシンプルになり、良いお塩や醤油、
手作りの味噌などに変化しました。
華やかな食事ではなく、とっても簡素な食事です。
でも頂く際は、ありがたさを感じるし、幸せを感じる。

私のキッチンからは、余計な「加工品や調味料」が消えました。
代わりに増えたのは「手作りの保存食品」や「作家さんが作った器」です。

お氣に入りばかりが並ぶキッチンは、とても好きな場所になりました。
同時に、私の中でムクムクと湧き上がってきたのが、
もっと自分で食べ物を自給してみたいという願望。

現状は、庭にハーブや少しの果樹があるくらい。
野草とハーブを料理に使う程度。パーマカルチャーに興味があるので、今後学んでいきたいと考えるようになりました。

②思い出した「好き」の感覚と解放

二つ目は、好きなことが「できるんだ」と思ったこと。
私は、物づくりが最も好き。
移住して、「陶芸家」や「染色家」「竹芸家」他、手仕事をナリワイとする人たちと沢山出会いました。

「何か作って、自分の作ったものを売る雑貨屋さんになりたい!」それが、小学生の時からの夢でした。
「そんなものじゃ食っていけない!」と母に言われ育ってきたし、天才的な才能を感じなかったので、当然そうだと思って生きてきました。ですが、いま私の周りには、私がやってみたかったことを日常的にしている人達がたくさん。

一氣に思いが開花してしまいました。
思うままに絵を描いたり、陶芸や竹芸をやってみたり、縫物を楽しんだり。
好きだった手仕事を再開したことで、インナーチャイルドが癒されていくのを感じました。
私には「手工芸×アート」が必要。
心が満たされワクワクし、豊かになっていくことに、改めて氣付きました。

③波長のあう人と一緒にいる心地よさ

私はHSS型HSPという性質を持っています。
簡単に言うと「繊細さん」です。
※これについてはまた追って記事にします。

いつも明るく笑っているイメージを持たれますが、
人の言葉や態度の変化に敏感で、人といると疲れてしまいがちなのです。

移住してから「女子特有の謎のマウント」から解放されたり、
「どうしても価値観の合わない家族との関わり」から解放されたり。
さらに初めて「近い価値観」を持った友達と出会い、さらにその輪が広がり、心地よい人間関係というものに初めて触れました。

そのおかげで、無理のある人との距離を取ることを覚え始めました。
(これについては、まだまだ修行中ですが♪)
移住前と今とではかなり生きやすさが変わったと思っています。

本当の自分を生きることをしてみたい

暮らしが自然とシンプルになって、自分の好きなことを楽しむ心地良さや、波長の合う人といる時の心地よさを知りました。

そんな中で、私にとって「生きる」って何だろう?
もし私に「有り余るほどの 時間と富」があったなら何をする?

確実に私は、一緒にいて心地よい人と一緒に暮らすことを選ぶ。
モノづくりをすることを選ぶ。
土を触り、食を作り出し、シンプルな暮らしをすることを選ぶ。

それはまさに
農業×食・工芸×アートでした。
きっとこれをやらなければ後悔する。

これから私の実験が始まります。
日々の暮らしや、考えを発信してゆこうと思います。
共感してくださる方と、このnoteを通じ出会い、つながることが出来たら嬉しく思います。どうぞよろしくお願いいたします。

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