見出し画像

とにかく、映画『チワワちゃん』がストライクゾーンど真ん中なんだわ。|映画レビュー


先日、渋谷の映画館で、北村匠主演の『とんかつDJアゲ太郎』を観てきた。感想はというと面白かったの一言に尽きるのだが、今回私が紹介をしたい映画はこの映画ではなく、同監督が制作した『チワワちゃん』という作品である。この作品について語る場が欲しいと常々考えてはいた。その『チワワちゃん』について語りたい気持ちを、今回この場を借りて形にしようと思う。


■『チワワちゃん』の原作は岡崎京子


チワワちゃんは1994年に掲載された、岡崎京子の34ページの短編漫画である。岡崎京子の名前を聞いて、「ヘルタースケルター」「リバース・エッジ」などの作品名を思い浮かべた人も多いだろう。昔から「チワワちゃん」の大ファンだったという二宮健監督が、門脇麦や成田凌を筆頭とする豪華俳優陣を抜擢し、2019年に公開された青春映画が映画「チワワちゃん」である。


「ヘルタースケルター」「リバーズ・エッジ」など、1980~90年代にかけて数多くの人気作品を送り出した漫画家の岡崎京子が94年に発表した「チワワちゃん」を実写映画化。SNSが普及した現代の東京を舞台に、門脇麦、成田凌、寛一郎、玉城ティナ、吉田志織、村上虹郎らが演じる若者たちが繰り広げる青春を描いた群像劇。監督は、自主映画「SLUM-POLIS」などで注目され、「THE LIMIT OF SLEEPING BEAUTY リミット・オブ・スリーピング ビューティ」で商業デビューした弱冠27歳の新鋭・二宮健。ある若者グループのマスコット的存在で「チワワ」と呼ばれていた女性が、バラバラ遺体となって東京湾で発見される。チワワの元彼や親友など残された仲間たちは、それぞれがチワワとの思い出を語り出すが、そこで明らかになったのは、チワワの本名も境遇を誰も知らないまま、毎日バカ騒ぎをしていたということだった。

▲出典:映画.com


ざっと見のあらすじが文字にするとちょっと重そうなのと、二宮健監督の映像美の良さを伝えるためにもここは是非一度動画を見て頂きたい。



先に断っておくと、この映画は特に推理モノではない。あらすじにもあるように、バラバラ殺人事件の被害者・チワワちゃんの過去を友人であり、彼女に対してコンプレックスを抱えていたミキが辿っていくのだが、どちらかというと青春映画の毛色が強い。インスタグラムでのフォロワー数や、就活、大人になることへの不安や焦りなどが、褪せたピンク色のネオンの光の中に満ち満ちてゆく。



私はこの作品を初めて見たときに、夏休みの最後の週を思い浮かべた。まだ終わらせたくないけれど、確実に終わりは迫っている。そして、終わりが見えているからこそなお煌めき高揚する一瞬。汚い感情とか、切なさとか、いろいろな感情がない混ぜになって、それも含めて全部いつか終わることはわかっていて。そっとしまっておきたい、色褪せることのない若さの爆発と名残りがここにはある。


この映画のレビューについて、コンテンツ全部見東大生というエンタメ映画やドラマのレビューを行っているYouTuberさんが動画を上げていた。彼はこの映画のことを青春の終わりと称していて、「青春の終わり、卒業とは贈与の原理から所有の原理に移ることである」と語る。では一体、贈与の原理と所有の原理とは何か。


■チワワちゃんと贈与の原理


生前のチワワちゃんは、可愛らしいルックスに持ち前の明るさでみんなから愛されていた。ひょんなことから始めたインスタグラムの投稿が有名人に拡散された影響で、モデルになり、一時はスターとして成功を治める。しかしその後どんどんと深みにハマり落ちぶれていき、最後は行方が分からなくなってしまう。

チワワはいつもみんなの中心で、アイドル的存在だった。

コンテンツ全部見東大生によると、チワワは贈与の原理で動いているという。通常、私たちは“自分の物は自分の物”という所有の原理で動いている。ところが、チワワの行動は、いつも他人に対してが指標に置かれている。映画を見た方はわかるかもしれないが、ミキとチワワが冒頭で600万を盗む場面でも、チワワはみんなのためにミキと300万円ずつ手分けをしてお金を守ことを提案する。


チワワは贈与の原理で動いているから、周りの人から憧れる。そして、憧れられるから成功する。

ところが、チワワは成功したのちに落ちぶれ始め、周りの仲間から借金をするようになる。これがチワワがミキたちと疎遠になってしまう理由の一つとなるのだが、普通の20代は所有の原理が働いているが故に、借金を後ろめたく感じる。ところが、チワワは贈与の原理で動いているために自分のものと他人の物の区別がつかない。彼女を頂点へ導いたのも、奈落へ突き落としたのも贈与の原理なのではないかという考察がとても興味深かった。


チワワがなぜ死んだのか、というテーマに対して、チワワちゃんはこの世に居場所を見つけきれなかったのではないかと考えている。殺されてしまったのは偶然であるかもしれないが、もしかしたら、チワワちゃんも本当はそれをどこかでわかっていたのではないか。居場所を求め、友人の間をフラフラと歩いていた間もその後危ない人たちとつるんでいた間も、きっとチワワちゃんは自分が心の底から居たいと思える場所を見つけることができなかった。そしてそれは反対に、あの札束を使い切る旅行の中には存在していたのだと思う。全てが絶妙なバランスで出来上がったあの数日間の中では、チワワちゃんは確かに、生きていた。


■全部が等身大

わたし自身が物語のチワワちゃん達と同世代だからという理由が含まれる、限定的な感想になってしまうが、全てが等身大に感じられる作品だった。特にSNSに対しての距離感や門脇麦さん演じるミキの心理はすごく響くものがある。自分の武器だと思っていたものを、誰かに悠々と先を越されてしまったときに、私たちが現実世界でできることは、ただ余裕のあるフリをすることだけだ。そうして自分がさぞ最初から何にも(または誰にも)興味が無かったかのような涼しい顔をすることで、己を守る。関心を示さないフリはどんどん上手くなるのに、本当は気になってSNSを遡る指先ばかり捗ってしまう。分かるよ、すごく。


ミキは、わたしだった。わたしは、チワワちゃんのような子が堪らなく好きだ。可愛くて、明るくて、世渡り上手で、異性にも同性にもモテる子。性格も顔も良いから、その子の周りには人が絶えない、そんな子。でもそういう子の隣に立ち続けることって、自分のプライドを守ための、その子に勝てる別のベクトルの何かがないと、自分の価値を見失って、致命傷を負う。傷つく。だから、何かひとつでいいから、自分の勝負できるフィールドを確保して、そこだけは器用なあの子から遠ざけたいんだよね。


ミキは、チワワに対して心の底ではどう思っていたのだろうか。嫉妬か、はたまた憧れか。それは、わたしもよく知っている感情のような気がする。


煌びやかに見える日々の代償は、その脆さと期限。跡を引く、帰りたくなるあの日々が、観ている私たちの中にそれぞれあることを、二宮監督はきっと知っている。この映画の魅力は映像もさることながら、音楽も素晴らしい点。エンディング曲を飾るのはHave a Nice Day!の「僕らの時代」。


目覚めるのさ 目を閉じたまま
この時が溶けてなくなってしまう前に
全ては嘘だと知ってるけど
全ては夢だと分かってるけど終わらない巨大なパーティーが
僕らをハコんでゆく
止まらない巨大なミラーボールが
僕らをハコんでゆく
僕らの時代を wow...
この手に

▲出典:J-lyric.net



嘘で。夢で。そんな虚構の世界で、でも発火しそうな程にただ、楽しくて。


運ばれるままに溺れていく。




青い春は、いつの時代でも必ず存在する。チワワちゃんを通して、貴方は誰を思い出しますか。







転職先が決まり、来年からはWEBライターです。

2020.12.05

すなくじら






この記事が参加している募集

コンテンツ会議

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?