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しびれさしみ

「ねえ、何、これ」
 行きつけの居酒屋で今日のおすすめとして掲示されていたメニューを見て、麻衣が言った。
 しびれさしみ、と書いてある。写真も何もない。
「しびれさしみ、って何ですか」
 店主に尋ねた。店主は、野菜か何かを切りながら、ちらっとだけこちらを見てまたすぐ目を落とした。
「刺身ですよ。北の方の海でとれる魚です。珍しいですよ。一年に一度入ってくるかこないかです」
「魚って、何の魚ですか?」
 麻衣が尋ねた。
「食べてみます?」
 麻衣の質問には答えず、店主は笑った。
「しびれ、っていうからには食べたらしびれるのかな」
 麻衣がぼくの耳元でささやいた。
「じゃあ、しびれさしみひとつ」
「まじ、食べるんだ」
 麻衣はちょっと変わったものは異常に怖がる。いつも決まったものしか食べない。
 店主が、奥にひっこんでごそごそしている間、おれと麻衣はビールを飲んで枝豆を食べて待っていた。
「はい、しびれさしみ、お待ち」
 ぼくと麻衣はカウンターに置かれた皿に見入った。普通の赤味の魚にしか見えない。おれは、しびれさしみを一切れつまんでわさびじょうゆをつけ、口に入れた。思わず、おっ、と声が出る。
「どう?」
「うまい」
 口に入れた瞬間溶ける感じが何ともいえない。超高級のトロみたいな食感だ。
「あたしも、もらっていい」
 おれの反応に、興味をひかれたらしい。こわごわ口に入れた。
「え、うそ」
 麻衣は目を大きく開いて驚いているようすだ。
 俺たちは、二人で瞬く間にしびれさしみを平らげた。
 ほろ酔いで家に帰る途中、「でも、なんでしびれさしみ、っていうんだろうね」
 麻衣がぼそっと言った。
 実は二人ともどきどきしていた。家に帰ったら突然腹がしびれてくるのではないかとあらぬ妄想をしていた。
 結局、何事もおこらなかった。普通に寝て、普通に起きた。ネットを調べても出ていない。しびれさしみの名の由来については謎のままで、二人共、すぐにそのことは忘れてしまった。(了)


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