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漫画みたいな毎日。「探しに行くよ、内なる花を。3」

旅の記録1・2はこちら。


高校のオープンスクールに向かう途中で10キロの渋滞にはまった私たち。
明らかに開始時間には間に合わない。

夫の「学校に電話してもらえる?」という一言で、今やれることをやらなくてはと、モードを切り替え、高校に電話を入れる。

渋滞にはまってしまい遅れてしまうことを伝えると、学校の方は「わかりました!くれぐれも気をつけていらしてくださいね!」と言ってくださった。
渋滞を抜けるまではどうにもならないのだから、と窓の外を眺めていると、
電話を切って数分も立たないうちに電話が鳴った。高校からだ。電話をくださったのは、教務担当の方で、メールでもやりとりをしてくださった先生だった。

「先程は、お電話ありがとうございました。今は、行楽シーズンのハイシーズンなので、とにかく慌てないで気をつけてきてください。いらした時に事務室に立ち寄っていただければ、ご案内しますので。どの程度説明が進んでいるかによって、説明会の後にでもご説明させていただきますので、ご安心ください。とにかく、くれぐれも慌てずにいらしてくださいね!慌てずに!」

行楽シーズンのハイシーズンで、渋滞の様子をご存知だったのだろう。
くれぐれも慌てずに!と何度もおっしゃってくださり、説明会のフォローもしますので、と。まず、折返しわざわざ連絡をくださったということに驚き、その丁寧な対応に好感を抱いた。なんとか説明会に間に合いますように・・・。

のろのろと動く車の列。いつも不思議なのだが、何故、渋滞が起きるのだろう。焦っても仕方ないのはわかっている。渋滞も、自分の力ではどうにもならないことのひとつなのかもしれない。何にしても受け入れるしかない。

苛々しない修行。

先に予定がなければ、ま、そんなこともあると思えるのだけれど、時間の決まった予定がある、自分の都合ではどうにもならない予定がある、ということが私を苛立たせるのだろう。

そして、何より時間に追われる、予定に追われるのが苦手だ。以前も書いたことがあるが、スケジュールが埋まっていると不安にすらなる。なるべく空白の時間が私には必要なのだろう。

自分の中にまだまだ〈予定通りにいかない事への苛立ち〉がたくさんあるものだな・・・としみじみと感じる。

やっと渋滞を抜けて車が走り出す。

目的の高校への道のりは、ファミレス通りかと思うくらいの外食チェーン店の多い場所を抜けていく。暫くすると、その賑やかさから徐々に離れ、林檎狩り・葡萄狩りなどの看板が目に付くようになる。

「林檎狩りしたい!」
「葡萄狩りできるんだって!」
「十割そばって書いてあったよ!」

食べ物のことばかりである。

でも、何処にも立ち寄る時間はない。帰り道も渋滞を考えると急ぎ足で帰らなくてはならないのだ。レンタカーは24時間のレンタル。20時までに返さなくてはならない。帰りに留守番をしている子どもたちや姉たちにお土産くらいは買える時間があるとよいのだが。

美味しそうなお知らせや、興味深い観光案内の看板や呼び込みを横目に学校へ急ぐ。

目的の高校に到着したのは、10時半を回った頃だった。車から降りて、長男は普段着の上に制服を着込む。

「寒いから丁度いいや。」

数えるくらいしか制服を着たことがない長男。オープンスクールは制服でだって、と伝えたら、「嫌だけど、まぁ、仕方ない。荷物になるけど。」と荷物に入れていた。

制服が物凄く、似合わない。

長男の制服姿を眺めながら、浮かぶ言葉を口に出すことはない。

〈制服のはじまり〉
明治時代初期は学校制度がなく、学びの場としては藩校や私塾が一般でした。特に制服は定められていませんでしたが、和服に下駄姿で風呂敷を持ち、学生帽をかぶるというのが一般学生の典型的なスタイルでした。制服として服装が統一されたのは、1870年代に学習院が海軍式制服を採用したのがはじまりとされています。
〈制服の普及〉
学生同士での経済的な格差をなくす、学生としての意識を高めるなどを目的に制服は徐々に広まり、明治時代後期になると、男子の制服は国家主義的風潮と製法の容易さから詰襟型の上着と軍隊式の制帽の組み合わせが主流に。大正中期頃からは、モダニズムの波が広がり、日本にも洋服が普及し始めました。学生服も西洋の要素が取り入れられ、背広型の制服を取り入れる学校も誕生したほか、女子の制服は着物に袴をはく和装から、西洋の水兵服でもあったセーラー服にスカートを合わせる制服が増加しました。

スタディピア・制服の歴史より


「野生の雄鹿みたいだね。」

長男が小学生の時に、あまり普段は関わりがない幼稚園の保護者に言われたことがある。


野生の生き物に、制服が似合わないのは仕方ない。自分の中で、勝手に深く納得する。

近年では、おしゃれで可愛い制服の学校を選ぶなど、制服の意味合いも変わってきているようだ。姪は、制服は私服みたいに悩まないから楽、と言っていた。

似合わない制服に身を包み、遅れながらも玄関から事務室へと向かう。職員の方が直ぐに対応してくださり、説明会が行われている体育館に案内してくださる。

「今、丁度、下宿制の説明をしてますので。あとで前半で資料を見ていただいてわからないことはご説明させていただきますので。」

訪れた高校では、遠方から通う生徒の為に下宿制度を導入している。寮ではなく、下宿。学校と連携してくださっている家庭や元は民宿やホテルだった場所を下宿先としているのだそうだ。

いくつかの下宿先があり、入学するまで、何処で生活することになるかはわからない。抽選で決まるのだそうだ。

寮生活は、よく耳にするけれど、下宿は今の時代あまり聞かない。

家族以外の人と暮らしをともにする経験は貴重だと思える。色々な人が居て、色々な生活、暮らしがあることを体感する場となるのだろう。

長男は、何処でもやっていける。

私も夫もそう思っているので、何の心配も湧き上がらない。

下宿制度の説明の中で、「バスが一時間一本の下宿先もあります」とあったが、私と夫と、長男は顔を見合わせ、「うちと同じだね?」と、それを不便な要因とも感じることはない。普段から然程便利な地域に暮らしていないので、不便に対するハードルが低めのだろう。

便利になることの良し悪しではなく、程よく不便な方が人間の生きる為の知恵や工夫や力を衰えさせない、奪わないのではないかとは思う。便利とは本当の意味で必要としている人のためにあるのだろう。

説明会のあとは、公開授業の参観。授業内容は、生徒たちがフィールドワークで集めた情報をなんかのグラフなどにして、プレゼンテーションをする。

それなりの見学者の数だか、生徒たちは、それに緊張する様子がみられない。かしこまった雰囲気もなく、穏やかに質疑応答が行われる。「なんでそういう形のグラフにしたの?」「こういうやり方もあるよね?」と互いの意見を交換する。

その場は、誰かを否定したり貶めようなどという空気は一切なく、ただお互いに意見を交換し、さらに良いものができる可能性を模索しているように感じられた。

生徒たちは、職員に指示される事なく、自分たちで考えて動いている。見学者用の椅子も誰かに言われたからではなく、あたりまえのように生徒たちが運んで用意する。

私達が見学している時間内で、職員が生徒に対して「〇〇しなさい」「〇〇してはいけない」のような言葉かけを一切耳にすることは無かった。


生徒たちは、自発的に動き、自発的に学んでいる。


〈学びとは、自発的なものである。〉

私達が家族が日々の暮らしの中で、真ん中に置いていることだ。

〈学びとは、誰かに押し付けられたり、一方的に教わるものではなく、自ら動き、感じ、知ること。〉

〈学びとは一括りにできるものではなく、一人ひとりに適したタイミングがある。〉

〈子どもの育ちや学びを大人が邪魔しないこと。〉

短い参観の時間ではあったが、生徒と職員の様子から、この学校では私達が〈学び〉として大切に考えてきたことに近いものがある気がした。

参観のあとは、実際に寮生活を送っている在校生たちのと座談会がある。

生徒たちからどんな話が聴けるのだろうか。学校のフラットな空気は何処からくるのかを知る機会になるかもしれない。

在校生3人と私達を含めて二家族が、ひとつのテーブルを囲んだ。



タイトルは、藤井風くんの「花」から。

今回の旅で、この曲が私の中に深く入り込んで来ました。この曲に何度も心を救われた気がします。聴けば聴くほど、風くんの音楽の素晴らしさに感心するばかりです。そして彼が愛されて育った人であることを強く感じます。
愛されて育った人の強さと安定感。羨ましいと素直に思えます。

旅の記録は、もう少し続きます。お付き合いいただければ、嬉しいです。


ヘッダーはみんなのフォトギャラリー・とのさんの写真をお借りしました♪ありがとうございます♪

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