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漫画みたいな毎日。「あなたなら、鳴かないホトトギスをどうする?」

最近、長男はお友だちから借りた「日本の歴史漫画・全15巻」というものをを読んでいる。

「みんな名字が同じで誰が誰だか・・・。」と嘆きながら、なんだかんだと読み進めている。

その中で興味がある人物や事柄が出てきたら、また個別に調べたり、本を読んで行くことも面白いのではないかと思うが、今の所は、時系列で流れを追っている、といったところだうか。

長男の気持ちも、わかならないではない。

私も、テストの為に歴史の流れを覚えるのに必死だった時には、歴史を「面白い」と感じることはあまりなかった。単なる暗記しなくてはならない事柄だった気がする。

私の通っていた高校には、生粋の江戸っ子のちょっと変わった世界史の先生がいた。教科書から脱線しまくりながら、教科書には載ることがない、世界史に登場する時代や人物の裏事情や、その当時の人々の暮らしについての話をそれはそれは楽しそうに話してくれた。

面白可笑しく話す先生の授業を受け、初めて歴史に興味が湧いた。

それは、先生の話の中の歴史上の人々やその暮らしぶりが、生き生きとしており、自分の想像以上に人間臭く、身近に感じられた瞬間があったからだと思う。


長男が読んでいる歴史漫画の中に、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康のことが出てきたので、後に、この3人の性格を表したと言われる歌があることを思い出した。

信長の「鳴かぬなら殺してしまえ時鳥ほととぎす
秀吉の「鳴かぬなら鳴かせてみせよう時鳥ほととぎす
家康の「鳴かぬなら鳴くまで待とう時鳥ほととぎす

長男に話すと、「へぇ!それ、面白いね!」と、少しだけだろうが、歴史上の人物にも親しさを感じたようだった。


包丁を動かしながら、夕飯の支度をしているとき、「あの歌を、我が家の人たちが詠ったらどうなるだろう?」とふと思った。

いつも、偉そうな長男だったら、どんな歌を詠むだろうか。

〈鳴かぬなら 原因究明 時鳥ほととぎす

思いついた言葉を脳内で繰り返しながら、歴史漫画を黙々と読みながら、「言葉の意味が、わっかんねぇ・・・」と不機嫌そうにつぶやき、電子辞書をひく長男を見る。出来ないこと、わからないこと、不思議なことがあると、まずその原因を突き止めてなんとかしようとする長男。

常に「俺様って最高!」という自己肯定感の塊のような人だから、「鳴かせてみせるぜぃ!」という可能性も高いが、やれることを、全部やってみて、どうにもならない場合には、「ま、そういうこともあるか。生き物だっていろいろだし。人間なんて自然界の邪魔者だし。」とあっさり手放すかもしれない。

自由を愛する二男の場合はどうだろう。

〈鳴かぬなら 踊りはいける? 時鳥ほととぎす

歌がダメなら、踊りは?それも楽しいよね?どうかな?という、どこまでも楽しさを求める、自由人。なんなら、一緒に踊っちゃおうか!というかもしれない。二男の様子を見ると、今日も、楽しいことを求め身体をくねらせ踊ったり変顔の研究に余念がない。こんな二男をみたら、時鳥ほととぎずも笑って鳴いてしまうかもしれない。


〈鳴かぬなら 誰か鳴かせて 時鳥ほととぎす
〈鳴かぬなら 食べちゃおうかな 時鳥ほととぎす

ちゃっかりものの末娘は、こんなところだろうか。自分で出来ないなら、得意な誰かにお願いするのもアリ♫と思っているが節ある末娘。人の使うのが上手である。それも、大事な才だと思う。ついでに肉食なので、「美味しいそう!」と言い出すかもしれない。花より団子。今も干し芋とお煎餅を、しあわせそうに、頬張っている。

私ならどうするだろう。自分のことは、なかなか思いつかないものだ。
夫曰く、「あなたがやらないなら、私がやるからいいよ。っていいそう。」と。確かにそういう部分もある。そして、鳴きたくないものを鳴かせることはできないと思ってしまうので、それはそれでいいじゃない、時には、鳴かない時鳥ほととぎすだっているでしょ、と思うだろう。

〈鳴かぬなら それもいいよね 時鳥ほととぎす
〈鳴かぬなら 私が鳴くわ 時鳥ほととぎす

こんなところだろうか。

そして、夫の場合。

〈鳴かぬなら 褒めてみようか 時鳥ほととぎす

基本的に気が長く、イタリア人気質。私は、出逢って20年近いが、とにかく、褒める。さらりと褒める。前世はきっとイタリア人だったのだと疑わない。しかし、「キョッキョッ、キョキョキョ」と鳴くのは繁殖期の雄である。雄の時鳥ほととぎすにも通用するのか?試してみて欲しいところだ。まず、人間のオスで試してみたらいいかもしれない。人間のオスだって嘘なく褒められたら嬉しかろう。


人間も様々なように、時鳥ほととぎすだって、他の生き物だって種別の中でも、さらに、〈それぞれ〉に違いない。

そして、鳴いても鳴かなくても、時鳥ほととぎすの美しさに変わりはない気がしている。

時鳥ほととぎすも、人間も、それぞれ。

表現の仕方もそれぞれ。


夫と話していたのを聞いていた二男が、こう言った。「う~ん、自分ならね、鳴かないなら、一旦、家に帰るかな。それで、また来られたら見に来ようかな。」

ナカヌナラ シーユーレイター ホトトギス。

・・・あっさりしている。その場で待たずに、とりあえず家に帰るのか!しかも、また来られたら来るね、って。

まったく時鳥ほととぎすに興味がない二男だった。

人間も、生き物も、いろいろ。色々。イロトリドリ。





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