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短編小説Vol.21「自由への道程」


大学卒業式を迎えた慎吾は、式典に参加しながら将来への不安と焦燥感に苛まれていた。
そして、自分が真に求めるものが何かを見つけられずにいた。
友人たちとの日常さえも徐々に彼にとって色褪せた風景となり、慎吾は何かを変えたいという衝動に無性に駆られるようになった。

4月1日、入社式。
会社の偉い人が予想した通りのどこかで聞いた内容を長々と話し終わった瞬間に、慎吾はこの会社を辞める事を決意した。
どこにでもあるようなありふれた言葉は、自分がこの会社に就社しようとしていることを心に美しく描き出したのである。

「新入社員代表竹中慎吾君、壇上へお上りください。」

進行係の女性が、慎吾の名前を呼んだ。
会社からの慎吾への評価は非常に高く、代表としてスピーチすることになっていたのである。
それに選ばれたことは1ヶ月前の慎吾にとって、承認欲求を強烈に満たしてくれるものであり、ただ心地の良いものであったが、会社の予定調和に嫌気が差している今の慎吾にとっては、ただ嫌な役割であった。
なかなか出てこない慎吾に、会場が少しざわめき始めた。
「来てないのか?」
そんな言葉が、どこからか聞こえてくる。

少し予定調和を狂わせることができた慎吾は、笑みを浮かべて壇上へと向かうことにした。

小走りで向かい、壇上から会場を見渡すと、数えきれないほどの人がこちらに注目していることが実感できると同時に、この人たちとこれからの時間を共にすることに吐き気を覚えた。
そしてそれと同時に、自分の行動でこれからの人生が大きく規定される岐路に立っている事も感じ、足がすくんだ。
足をつねって、自分を奮い立たせようとするが、自分がしようとしていることの恐怖は全く拭えない。

「大丈夫。それでいいんだ。」

頭の中にその言葉がどこからか降ってきた。
恐怖は全く消えなかったが、自分のエゴを発露させる勇気は湧いてくることが十分に感じられた。

慎吾は顔にマイクを近づけて、口を開き、
「ご紹介に預かりました竹中です。この会社に入社される皆さん、本当にご苦労様です。これから始まる懲役刑を頑張って楽しんでください。僕はこの場で入社を辞退したいと思います。ありがとうございました。」
とだけ発言して、壇上を足早に降りた。
そして、会場中の人が、その言葉に武装したことを慎吾はよく感じながら、会場を後にした。

ネクタイを外し、ジャケットを脱いでカバンに押し込み、革靴を脱いで忍ばせていたサンダルに履き替えた。
囚人服を一生着ないと決意して、刑務所を出所する元罪人の感情がよくわかるような気がしてならなかった。

慎吾は電車に乗り込んだ。
車内では、奇妙な格好をしている慎吾に対して、怪訝な視線が集まっていたが、その視線さえも慎吾には心地よく感じられ、これから始まる生活に希望しか抱くものはありはしなかった。



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