見出し画像

国道の二人 【第1話】

あらすじ

米国中西部にて英語を履修する二人の日本人女子留学生は、あるホームパーティで知り合い、一緒に米国南部ルイジアナ州に、小説トム・ソーヤの冒険で有名なハックルベリー・フィンの小屋を訪れることで意気投合する。

長い行程ではあったが、いざ旅に出てみると、二人の価値観は甚だしく異なっていた。GPSのない中古車セダンで、真夜中に中西部ミズーリ州の国道に迷い込んでしまった二人の葛藤のドライブ。(全9-10話予定)

注 ホラーでもハラハラものでもなく人間模様です。



「葉子さん、そちらのドア、ロックしてくれましたか?」

 私は、葉子さんの肩を軽く叩きながら確認を取る。葉子さんは、車が国道に滑り出したと同時にうつらうつらと船を漕ぎ始めていた。その船の振れは即座に止まり、彼女は虚ろな表情で私を振り返る。

「ドアがきちんとロックされているか確認してくれますか?」

 私はそう繰り返す。

 自分の声に多少の苛立ちが感じられた。この苛立ちが葉子さんに伝わってくれれば幸いだと感じたが、おそらく伝わってはいないであろう。

 私達は、国道に入る直前に、給油とトイレを借りるためにガソリンスタンドに停まった。

 葉子さんは、「トイレにはお昼に行ったばかりだから行かなくても良い」、と最初のうちは言い張っていた。

 しかし、私が車を出発させようとした直前に、やはりトイレに行きたいと言い始めたのだ。

 深紅の夕陽はまさに米国ミズーリ州の荒野の彼方に暮れようとしている。

 少しでも早く帰路に着きたかったため、「少しぐらい待てませんか?さっき私が買い物をしていた時に行ってくれていたら時間がセーブ出来たのに」、と却下をしたかったところであるが、ふたたび言葉を呑んだ。

 葉子さんは機嫌が拗れるとあとが面倒なのである。

 しかも、この先どこで休憩出来るかわからない。私達はハイウェイではなく、ミズーリ州の中心を縦断する国道を通って北上することに決めたのだ。何故なら、地図のうえではそれが一番短距離に感じられたからである。

 私は彼女を待っている間、スタンドの店に入って行く人々を手持ち無沙汰に観察していた。途中、大型トラックがスタンドに乗り入れて来た。


cloudy-1866581_1280_Pexels


 その大型トラックの走り古したような車体には既に光沢もない。何の変哲もないグレー色のトラックではあったが、一点だけ私の注意を引いたものがあった。

 荷台の部分にローリングストーンズのミックジャガーの似顔絵が、素人風、かつ毒々しいタッチで描かれていたのである。ミックジャガーが舌をベロンと出しているものである。

 そのトラックから飛び降りた男は、カウボーイハットを深く被り、黒皮の着古したベストを身に着け、ジーンズにカウボーイブーツという井出達であった。顔が見えなかったため、年齢は不詳であった。

 そのトラックドライバーが売店に入ってゆく後ろ姿を目で追っている時、改めて感慨に耽った。

 私は、本当に憧れのアメリカに住んでいるんだ、と。

 葉子さんは10分ぐらいしてからトイレから戻って来た。

 何故、トイレに行くだけで10分も掛かるのであろう、と苛立たしい感情を偽りの笑顔の下に隠し、私は彼女を助手席に迎える。

 彼女は、車の助手席に腰を下ろしたとほぼ同時に鼾をかき始めてしまったため、どうも彼女が車のドアをロックしたという記憶がない。熟睡している彼女を起こすのも忍びないため、あとで停まった時に確認しようと思っていたが、そう悠長なことも言っていられなくなったので彼女を起こしたのだ。

 大型トラックが、10分前ほどから同距離を保って背後から付いてくるのだ。

「ちゃんとロックしたわよ。アイスクリームを買ったあとにロックした記憶があるし」

「アイスクリームを買ったのは、昼食のあとじゃなかったですか?」、と私は訂正をする。

 彼女は右手のドアを確認する。

「あ、ロックしてなかった。忘れちゃったみたい」、と言いつつ彼女はドアをロックする。

 とほぼ同時に、葉子さんは、ふたたびうつらうつらとし始めた。私は、彼女に少し起きていてもらいたくて、注意を喚起しようとした。

「後ろのトラックが見えますか?」

 彼女は後ろを振り向いた。

「見えるけど、あのトラックがどうかしたの?」

 相変わらず悠長な反応である。

「葉子さん、『激突』という和名の映画を見たことがありますか?確かスピルバーク氏が監督していたと思いますが」

「へー知らない。どんな話?後ろのトラックと何か関係があるの?」

 彼女は多少興味を持ったようで、身体を乗り出して来た。

 私は後ろのトラックを確認した。相変わらず同距離を保持して付いて来ている。運転席までは見えないが、おそらく先程ガソリンスタンドに停まっていたトラックであろう。グレーの車体に見覚えがある。

 国道沿いの建物は次第に少なくなってくる。

「後ろのトラックとの関連は無いですが、なんとなくその映画を思い出してしまいました。運転手の顔も見えないし」

「えー、やだ」

 彼女は、後ろを振り向く。

「あんまりあからさまに後ろを振り返らない方が良いと思います」

 後方のトラックの運転手を刺激しない方が良いと本能的に感じた。葉子さんを脅かすつもりは毛頭無かったが、少しぐらいは起きていて話相手になっていて欲しかった。旅は道連れとは良く言われたものであるが、私は、全行程を通して彼女のプライベート運転手と化してしまっていた。

 「私は疲れました。運転を少し交替してくれませんか?」、と懇願してみると、「一緒に心中したいならどうぞ。私、実はペーパードライバーだから。アメリカでも一度も運転をしたことはないの」

 それならせめてガソリン代だけでも半分持ってくれないか、と打診してみると、

「だって一人で乗っても二人で乗っても、ガソリン代なんてそれほど変わるものでもないでしょう?それって、もしかしたら私が肥満だとか言おうとしているの?」

 このように切り返されると私は反撃も出来なくなる。反撃のあとに返される彼女からの二倍返しの煩雑さを考慮すると、それだけで討論をする気力も失せる。

 彼女の論理によると、21歳の私は、親からのお小遣いで留学をしているのだから、金銭的な都合をつけやすい、とのことである。彼女がお金をギリギリまで節約していることは私も知っている。毎月の使用可能な金額をビニール袋に入れて分けている。

 屋根裏部屋を二束三文で借り、古い冷蔵庫の上に並べられた小さいビニール袋の中の紙幣を大切そうに数えていた葉子さんの華奢な背中、今はひたすら悲愴感のみが漂う背中である。

 アイオワ州の古い一軒家、屋根裏部屋へ昇る階段は、一段一段を踏みしめる度にギイーギイーと不気味な音を立てる。葉子さんを訪ねた時、下の階に住む高齢の女性は、蝋人形のような無表情にて台所に座ってクロスワード・パズルの雑誌を読んでいた。

 葉子さんは、おカッパの下に、つぶらな瞳、ふっくらとした頬を持つ32歳の独身女性である。八重歯を見せて笑うと、昔のアイドルさながら、非常に愛嬌がある。

 私はその笑顔にすっかりと騙されてしまった。


「ハックルベリー・フィンの小屋を一緒に観に行きませんか?」

 多くの日本人留学生が招待されていたアメリカ人のホームパーティーにて、そのように声を掛けてしまったのは私の方であった。

 本来なら親友の由美子と一緒に旅をしたかったが、彼女は春学期が終わったあと、日本に帰国してしまった。他にも夏期は日本に帰国する同級生は多かった。

「葉子さんは少し変わってるって噂よ、あんまり関わらない方がいいんじゃない?」、由美子は警告していた。

 しかし、私はそれほど気には掛けなかった。米国中西部の閉鎖的な日本人留学生の社会である。ニュースに欠ける時に人々の口頭に上がる話題は何だろう。然り、他人の陰口である。私自身、どこかで誰かに中傷されているかもしれない。

 この町は限りなく平和である。

 あたり一面に広がるトウモロコシ畑の中に、大学を中心としたコミュニティがある。殺人を伴う事件も10年間に一回だけという米国にしては犯罪率の少ない町であった。

 葉子さんと一緒に旅に出掛けたことに関しては、後悔した点は多くある。しかしそれなら一人で数日間も米国縦断の旅を出来たのか、と問われれば、やはり道連れは居てくれた方が良かったのかとも感じる。少なくとも、夜間には一人で運転をする方が心細く感じられる。

「さっき話していた『激突』という映画の話ですけれど、あるセールスマンが、国道かハイウェイで大型トラックを追い抜かしたら、その大型トラックが殺意を抱いて、そのセールスマンを崖から突き落とそうとしたりするんですよ。結構、ハラハラしてしまう映画でした」

「もう、何でそんなこと言って脅かすの?なんだか怖くなって来ちゃったじゃない」

 そう言いながら、葉子さんは運転している私の腕を多少小突いたため、車体が一瞬左側へ寄ってしまった。

 どんな話なの、と訊いたのは葉子さんの方なのに、と私は再び苛立ちを不燃焼させた。しかし、怖くなって来てしまったというのであれば、しばらくは眠らないで話し相手になってくれるかもしれない。

 どちらにせよ、この長かった旅もあと数時間後には終わるはずであった。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?