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一番幼い毒親の記憶とリモコン恐怖症

小さいころの記憶って、たいがい忘れてしまうもの。

ただ、わたしの場合は人一倍ふしぎといろいろなことを覚えていました。

中でも一番印象的だったのは、一番幼い頃の毒親の記憶。今回は、これについて話していきます。


問題が解けないとリモコンで殴られる

わたしの母親は教育ママでした。

わたしがお腹にいる頃から、胎教としてモーツアルトを聴かせ、生まれてすぐからディズニーの英語版アニメを見せる。そしてごく当然のように、幼稚園に入った頃には小学校受験を目指して勉強が始まりました。

3歳になったころ妹が生まれたため、母は妹の面倒を見ながらわたしに小学校受験の勉強をさせる毎日。父は帰りが遅く、ほとんどの時間を母わたし妹で過ごしていました。

勉強は、買って来た市販のテキストを使って。幼稚園から帰ってきて、毎日2〜3時間続きました。

ある日、幼稚園が午前中で終わり、自転車に乗せられて家に帰ったとき。

「この問題が解けたら、ごはんにしましょう」そう言って、母がテキストを開きました。遠近法を理解を問う問題。いくつか線路が描いてあって、奥の方がどんどん細くなっている正解の絵を選ぶというものでした。

家に帰ってきたばかりだったし、お腹も空いていたし。わたしの集中力はほとんどない状態。正解ではないものを適当に指差したと思います。

すると母は顔を赤くして「なんでこんな問題も分からないの!?」と激昂。

それだけで済めばよかったのですが、母は手元にあったテレビのリモコンでわたし手の甲を殴ったんです。

わたしは、傷みのあまり泣きじゃくり、真っ赤になった手を押さえながら部屋の隅でうずくまりました。

そんなのを気にもとめず、母はキッチンへ歩いて行き

「そんな問題もわからない人にお昼ご飯はないわ。泣いたって無駄よ。」そう言って、一人で昼食を摂り始めました。

このときの絶望たるや。


しばらくしてから、母は「問題解けなくてごめんなさい、と言ったらご飯あげる」と言って手をこまねいてきて、わたしはとにかくお腹が空いていたので、素直に「ごめんなさい」と言った覚えがあります。

今考えるとおかしな話です。子どもを殴っておいて、子どもに謝らせる。これがよくいう「毒親の洗脳」の方法なのです。


痛み分けの教育と、ただの虐待

リモコンで殴られたのは、一度ではありませんでした。

むしろ、中学生になるまでずっと。わたしが悪いときも、ただ単に母の機嫌が悪いだけのときも。その度に「手を出しなさい」と言われて、リモコンで思い切り手の甲を殴られました。ときには内出血したり、手が腫れてしまって鉛筆が持てない日もあったり。

リモコンは、硬いプラスチック製。そして、滑り止めのための突起がついています。その突起が手の甲にジャストミートすると、痛いのなんの。


子どもが悪いことをして、お尻をペシッと叩いて叱るというシーンはドラマやアニメでよく見ますよね。同じように子どもに力を行使しているわけですが、虐待とは判断されにくい(体罰だと言われることもあるかもですが)。なぜか。

それは、親が手という自分の体の一部を使っているからではないでしょうか。

手で殴れば、当然殴られた側も殴った側も痛い思いをします。だから、虐待ではなく「痛み分け」でなんです。

同じ痛みを共有するから、子どもは愛を感じながら学んで行くんだと思います。

一方、物を使って子どもを殴るのは、ただの虐待。

親は痛みを感じることなく、子どもをただ傷つける。それが、子どもに非があろうがなかろうが、子どもが傷ついた時点で教育の域を超えます。

もちろん、わたしの場合のように、親のストレス発散のために殴るなんて論外。


日常生活のあらゆるものが、小さなこどもの虐待用具になります。よく聞くのは、ハンガーだったり、布団たたきだったり。同じくリモコンもよく聞きますね。

わたしは今でも何かを大きく振り上げられると、過剰な反応をとってしまいます。「殴られる、痛い思いをする」ということが、心の奥底に刷り込まれているからでしょう。

この癖は、一生治らないような気がします。それぐらい、子どもにとっては大きな影を残すことなのです。


虐待といえば、身体中が傷だらけというイメージが強いかもしれませんが、わたしのように、毎回必ず同じ場所を殴られるという人も少なくないようです。

もし、身近な子がいつも同じところにあざを作っていたら、「毒親」かもしれないと、じっと見守ってあげてください。

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