見出し画像

罪とは真心を包む/仏教 写真

罪とは一体何でしょうか?

悪口 喧嘩 殴り合い 戦争 嘘や詐欺 盗み 殺人 怒り

憎しみ怨みこれは言わずもがな全て罪です。



では何をもって罪というのでしょうか?

罪とは包むというのが語源です。

何を包むかということになりますが

これは仏性を包んでしまうようなことをした場合

それを罪というのが本来の意味です。




仏性というのは言い換えれば

慈悲 真心 思いやり

皆さんには馴染みのある言葉かと思います。



そんな心を汚してしまう行為が仏性を包み

本来の私が見えなくなります。


汚す行為とは欲望を満たそうとする

煩悩のことです、この煩悩が仏性を包み

あたかも煩悩が自分だと思いこまそうと

悪事を働く詐欺師のようなものなのです。


人間は様々な命を頂いてそのお陰様で

命を生き繋いでいます。

では人間はその命を頂くことが罪なのか?

そんな事を思う方もいるようです。


確かに

他の命を殺し頂くわけですから

動物や魚に対して優しい気持ちがあるからこそ

そんな思いになるのでしょう。

とても理解ができます


仏教には生老病死という教えの

生とは生きる苦しみという事ですが

こんなお話しがあります。


お釈迦様が出家前まだ王子であった頃に

外出された際、土の中にミミズがいました。

そのミミズを鳥が上から降りてきて

ミミズを食べるのです。それを何度も何度も

食べるのを見てとても心が傷ついたそうです。

そこでお釈迦様は生きる苦しみを知ったと

言います。


人は食べなければ必ず死にます。

何かしらの命を頂かなければこの世にいる事は

できません。


食べる前に必ず頂きますと手を合わせます。

合掌というのは様々に意味があるようですが

合掌とは対象に対して無抵抗に帰依する
行為です。


ですので命を頂きますと無抵抗に無条件に

感謝を申し上げ頂いた命で己の命を生き繋ぎ

人様の為に頂いた命を使わせて頂きます。


そうして頂いた命に手を合わせ

感謝申し上げるのです。

それで始めて頂いた命は成仏します。





人間は何のために生まれているのか

何故この地球に人間として存在しているのか

何故生きなければならないのか

それが法華経には書かれています。


人間は本来の私に気づく為

この世は存在しています。

本来の私とは

私達は仏様から御命を頂いた仏様の分身である

本性、本体は仏様だと自覚する為に

私達は生まれてきたのです


これは最尊最上であります。

その自覚を持てるのは人間だけなのです。 

その為にはこの世で生きなければ

気づくことはできません。


命に感謝し決して無駄にしない事が

本来の私達の心です。


魚も動物も木も土もこの世の一切の

生きとし生けるものは皆仏様の心を

持っています。

自分と全く同じ仏様から頂いた心です。


そう思えば自然と周りと助け合おう

苦しんでいれば手を差し伸べようと思えます。

そうやって慈悲の心が生まれるのです。


これを諸法無我と言います。




命を大事にするあまり食べる事は罪だと

声高に言う方もいるようですがそうならば

今から一切食べずに水も取らずに

生活されてください。

この目に見えぬ酸素も命ですから

酸素を吸わずに生きてみてください

それで果たして生きれるのか?

甚だ疑問です。



食べないという行為は偏ったものです

それは仏教では苦を産むと教えて頂きます。

お釈迦様は欲を断ちなさいとは仰りません

欲を制御する、コントロールしていきなさいと

教えて頂くのです。


お釈迦様は最初に悟られたのは苦行の否定です。

即ち偏った行為からは正覚を得られない事を

悟られたのです。




先程申したように人として生まれたならば

何かしらの原因があって生まれています。

それは親が産んだから勝手に生まれたと

思っているようですがそうではありません。


私達の心には高まりたいと成長しようとか

そういった前進する強い意志があります。

アメーバから人間として進化してきた過程を

見れば一目瞭然です。


こうして命というのは果てしなく

無限に高まれるのです。

ですので生まれたいと強い貴方の意思がこうして

人として生まれる事ができたのです。


この高まりたいという変化を諸行無常と
言います。




そして人として生まれるには徳分がなければ

生まれることが出来ないとされます。

動物には動物に生まれる原因があります。

心に相応しい体というものがあるのです。


行動、言葉、意(こころ)

この3つが己を作り上げるのです。

その行為で相応しい体との縁があります。


ですので動物には動物の役目があります。

人間には人間の役目があります。

だからといって人間に食べられるために

自分のために存在してるなど

思い上がってはいけません。 




人間には人間の役目があるのです

それは先程申したように仏性という心が

本来の私であるという自覚をもつこと


そして、学び実践し悟りその喜びを持って

人様を正しい道をお伝えしていく

それがこの世の本当の道であります。


話しは飛躍しましたが仏性を包むのが罪で

あるならば頂いた命を粗末にし捨てたり

ぞんざいに扱ったり物として見たり

食べ物として命を認識したり

そういう心や行動が罪ではないでしょうか。


決して食べることは罪でもなんでもありません

間違ってはならないことであります。


いま既に頂いているものに感謝をし

役目を果たしてくれた命を精一杯

この瞬間瞬間に生かしきる

それが頂いた者の使命であります。


それだけでこの世は平和になると思います。


それが正しき見方なのです。
























この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?