見出し画像

反出生主義者の生き方

うつ病持ち・短期離職者です。

私は反出生主義です。

私が反出生主義になったのは、家庭環境の悪さ、家の貧困、機能不全家族であることが原因です。

小さい頃から生まれてこなければよかったのに…と思っています。

反出生主義になった過程・生き方について話します。

1.家庭環境の影響で反出生主義に…

①親が世間体を気にして結婚・子ども産む

昔の時代は、結婚をしていない独身者に対する風当たりが強かったです。

母は40代で引きこもりであったため、母は母の親の死後1人では生きていくのが難しい人でした。

そのため、生きていくために妥協して結婚しました。
独身→既婚者・子持ちという肩書きになれば社会は認めてくれると思い結婚をして、子供を産んだのだと思います。

親自身も、子供が生まれれば、多少は生きやすくなると考え子供を産んだのではないかと思います。

父も40代後半で独身は世間的にまずいと思い、妥協して結婚したのだと思います。

②親が生きづらいのに子どもを産む

私の親は親自身が子供のときから生きづらさを抱えていたにも関わらず、私を産みました。

子供のとき、なぜ私を産んだのか母にきいたことがあります。
「世間的にしょうがなかった…」
「当時はみんなが産んでいるから産むのが当たり前だったの」と言われました。

また、生きていくために結婚をしたため、子供をもうけていないと世間的によろしくなかったため子供を作ったのだと思います。

私は子供ながらに、望まれて生まれてきたわけではないと思いました。
愛されて生まれた子が羨ましかったです。

③閉鎖的な環境で育った過去

私の住む田舎は、もともと部落でした。
そのため、近所付き合いが頻繁で、閉鎖的な環境でした。
いきなりお隣さんが扉を勝手に開けて上がり込んでくる環境でした。

また、閉鎖的な村のため、うわさの事実のありなし関係なく、噂がすぐに広まりました。

とにかく、家族内でも近所でも居場所がなく、安心できる環境がありませんでした。

2.反出生主義の生き方

10代の頃から自分は結婚や子供を産むことはやめた方がいい人間だと思っていました。

小さい頃から貧困・家庭環境やいじめが原因で、生きづらさを感じていました。

顔が可愛くないため、顔をいじられることがありました。
もし、私が子供を産んだら、生まれた子供に私の顔が遺伝し、顔のせいでいじめられ、生きづらさになるのではないかと思いました。そのため、10代のころから子供を産むことは辞めておこうと思っていました。

20代になった、今の私もこの考え方に変わりがなく、子どもを産むことは私は絶対に辞めようと思っています。

そして20代になってから、自分の家系は精神疾患家系で遺伝的に問題があることを初めて知りました。

もし子どもに精神疾患が遺伝したらと思うと、子供を産まない方が絶対に子供のためだと思いました。

この考え方は、一生変わることはないと思います。遺伝は自力で解決することはできないためです。

3.最後に

世間体のため結婚をして、子供を愛することができないのに子どもを産むことは、生まれた子どもが不幸になると思います。

子どもを産んでも愛せない、貧乏でお金がない、遺伝に問題がありそうな場合は子供を生まない方が子供のためだと思います。

私は当事者だから思うのですが、
親が精神疾患を持っていることや精神疾患が遺伝しやすい場合は、子どもが不幸になる可能性が高いと思ってしまいます。

親自体が精神疾患を持っていると子どもはヤングケアラーになりやすかったりします。また精神疾患が遺伝すると、その子の人生はハードモードになり、生きづらさになると思います。


私は生い立ちが良ければ、反出生主義にならなかったと思うと、生まれてこなければよかったのにと思います。

愛されて生まれてきた子は両親の仲が良く、裕福で、性格も良いです。大人になっても、羨ましい感情が出てきます…

親や家庭環境に囚われずに生きていきたいです…

この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?