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最近の自分は可愛くて、ちょっとびびる。

ここ数年?2年くらい?かな。適当。

このところ、メイクをして外に出ると 自分が可愛くて、鏡を見るのが楽しい。普段メイクをさぼってばかりいるから、それとのギャップで可愛く見えているだけかもしれないけれど、ほんとうに可愛い。

わたしは見た目に強いコンプレックスを持ったことは今までありません(服装のセンスに関しては大いにあります)。少しふっくらしてたなという時期とか、思春期に顔立ちが気になる といったことで、もやもやしたことは人並みにありましたが、自分をブスだと思ったことはないです。言われたことも1回もないです。容姿を揶揄われたことは何度かあるけど、たぶん人並みくらいだと思います。あまりトラウマにもなっていないです。

『あまり』。全くではない。何故なら言葉 っていうものはどうしても凶器になってしまいうるから、言われたことを全く気にしないかというと、気にはなる。からです。


以前すこし書いたように、自分自身の捉え方を努力して変えてきたからこそ【鏡を見るのが楽しい】にまでなったけど、べつに、自分は、美人ではないです。卑下ではなく客観的な 現代基準の美の評価において、わたしは容姿端麗ではないです。

強いて言うなら、中の中とか、がんばって中の上くらいだと思います。これはどうでもいい話 といえばどうでもいい話になるんですけど、高校生のときに何故か友達に容姿について評価みたいなのされたことがあって(経緯は忘れました)、『まあ、可愛い方なんじゃない』って言われたことが1回あるんですよね(笑)今思うとそんな失礼な話ないな って感じなので、ちゃんと『うるせぇ!!どう見ても可愛いだろうが!!』ってぶん殴ってやればよかったです。

ただその言葉が妙にリアルな言い回しだったことをよく覚えていて、たぶんこれが、気を遣う言葉選び を抜きにした『今の自分の評価』なんだなあ、と考えていたような気がします。負けず嫌いなところもあったし、前髪が決まらないと気になってたし、自分を磨く方法を知らないあいだ、そういう意味では強いコンプレックス を抱いていた とも言えるのかもしれません。

あんまりしっかり研究とか頑張る時間はとっていないのですが、毎日少しずつできることはやったし、自分で暮らすようになってからはスキンケアから本で勉強しました。ネットもYoutubeが大きくなってからは、参考にするようになっていたかもしれない。最近は有用な情報がたくさん転がっている時代です。玉石混交ではあるけれども わたしはずっとインターネットにいたので、基本的な情報の取捨選択はできるつもりでいます。

メイク毎日やるの普通 っていう人も、しない っていう人もいると思うんですが、私は『朝起きる』だけを考えるのでも今は重たいので、『メイクをする』は特別なお出掛けや遊びの用事のときだけのタスクです。(工程は楽しいけど面倒くさいのほうが勝るので)

でもメイクすると自然と視線が上がるし、前を向いて歩こうと思えたり、笑顔が増えたりはするような気がします。ヘアアレンジもレパートリーは多くないし、上手ではないけど、髪を巻くのは上手になってきました。

鏡を見ると、ひとりのときはついついピースして笑ってしまいます。
笑顔の練習はいつからしていたのかな。笑顔の練習。気がついたときから、物心ついたときからやってました。理由覚えてたら、またどこかに書きますね。

わたしは二重じゃないし、歯並びを気にしてしまうこともあって あまり歯を見せて笑うのが好きじゃないけど、笑顔を『特徴』『チャームポイント』としてわざわざ褒めてもらえることが人生のなかでたまにあったので、いろいろと無駄じゃなかったのかもです。

読んでくださって、ありがとうございました。

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