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実家から愛が届いた

こんばんは、前回の投稿に反応があってとても嬉しかったです。ありがとうございます。インターネットの波がよくないな、なんて時などにサラッと読んでいただければ光栄です、とても。

さて、タイトルにもありますが、昨日実家から仕送りと言うなの愛が届きました。お米やお菓子、即席のスープなんかがごちゃごちゃ入ってて、でもちゃんと好きそうなものが入ってたり苦手なものは入ってないもんだから嬉しかった。

家庭環境はその人間の根本をつくっていると思う。たぶんそうだと思うけど。

真っ直ぐに育ったり、捻くれたり。育て方で人間ができていく。

常識ひとつでも、家庭で変わってくる、常識だと思っていたことが非常識だったり、非常識だと思ってたことが常識だったり。普通や当たり前は人間の数ほど存在している。

その振り幅をいかに寛容に受け入れられるか、自分の常識を人に押し付けたりはしたくないね。

また、家族っていうのは血の繋がりだけじゃなくて、悪い言い方をすれば呪いのように付き纏ってくる。だがその呪いも受け入れて愛してみたい。出来ることなら負の連鎖なんて断ち切って、すべて優しいなにかで抱きしめてみたい。

私自身、幼少期に母親から無視されたり、兄を贔屓して、十分に愛してもらえなかった。時には言うことを聞かないからと言って追いかけ回して捕まえて馬乗りになりながら髪の毛を引っ張り頬を打たれたりなんかもした。今思えば虐待だったのかな。

話しかければ「…」か「は?」か「ふーん」くらいで、話なんか聞いてもらえずに、抱きしめてほしくてそばに行ってみても「あついから離れて」「どっか行って鬱陶しい」と言われてそばから離れていき、兄には自ら抱きついてみたりする。

小学校の夏休みの宿題で初めて読書感想文が出た時は、全く書き方がわからないので聞いてみても「自分でしろ」と言われて、国語の教科書の最後のページに載っていたローマ字表を頼りにインターネットで調べてみたりもしたが、当時の私にはとても難しくて進むわけがなかった。

母はやはり兄につきっきりで、丁寧に教えて時には褒めたりして、作文が終わったからと言って私は置き去りにし、ショッピングモールに出掛けていた。その姿を泣きながら、読書感想文の本をもって見送っていた。羨ましくて、惨めで、寂しくて、仕方なかった。

ある時、私はストレスからか急に過呼吸になり、倒れ込んでいた。心配する父の横で母は冷たい目、よく言うゴミでも見るような目で私を見て「どうせ仮病よ」なんて言った。その時ほど呼吸の仕方がわからなかった事はない。

私はずっと、ずっとずっとずっとずっと、母のことを許せなかった。

だけれど母にもまた家族の呪いがかかっている事を知った。

母は家庭環境が悪く、両親が毎日半殺しのような喧嘩をして、怒鳴り声が絶えなかった。父親は包丁を持って母親を追いかけ回していたそうだ。

詳しい時系列はわからないけれど、いつだか母親が家出し、父親には頼れないくて誰にも頼らずひとりで生きてきたらしい。一生懸命勉強して、いい高校に行き、勉強は好きだったけれどお金がないので働くしかなく、高校を卒業したら就職し、そこで出会った父と交際、結婚をした。父曰く、母は良く寝ている時に魘されて泣いていたらしい。

結婚式場の見学なんかも、本当は自分の母親と相談したり一緒に見学したかったけれど、家出した母親と見学など出来なかった。母も惨めで、寂しかったと言っていた。

母は母親のことをすごく憎んでいる。

本当は母も「上手に甘やかしたかったし、お母さんも甘やかされたかった。」そう泣きながら私に話をしてくれた。

許せなかったはずの母にも、惨めで寂しい家族の呪いがかかっていた。そんな母を私は許さない事が出来なかった。不器用で、寂しがりで、不安定。それでも今まで強く生きてきて、3人の子供の母親になった私のお母さん。今までずっと、母もただ抱きしめられたかったのだろう。ずっと、寂しかったのだろう。私が許すことで報われて欲しいと思った。こんな悲しい連鎖を、錆きった鎖で縛られた、母の鎖を、私が噛みちぎってずたずたにしてもっと優しいもので包んであげたかった。

今となっては母との関係は良好で、一緒に買い物に行ったり、時には手を繋いだり、ちょっと引っ付いてみたり。そんなことだけで嬉しくて泣きそうになる。ちょっと照れくさいけど。

いつだってただ、寂しかった。

本当はお母さんの事が大好きで、

ただ、抱きしめて欲しかったよ。

また、愛でも送ってきて欲しいね。




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