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My favorite movie.

家族揃って観た最初の映画は、
コタツにあたりながらの金曜ロードショー、
だったと記憶している。
若い頃に聖歌隊に入っていた母が
熱心に勧めるままに
『サウンドオブミュージック』を
みんなで観たのだった。
ドレミの歌や
『my favorite things』で知られる
ミュージカル映画だ。

小学生だった私ときょうだいは、
この映画を観るために
夜遅くまで起きていてもいいという事実に
(夜9時くらいから?始まる番組だったと思う)
浮き足立っていた。
夜更かしはお祭りの夜と大晦日くらいしか、
許されていなかったのだから。
私達家族は大人しくコタツに入って
映画が始まるのを待った。
(そこに蜜柑があったかどうかは定かではない)

最初のシーンは、
上空から丘を見下ろす鳥の目線から始まった。
ひらけた丘のてっぺんに人影がある。
女の人だ。
風に吹かれて気持ちがよさそうだ。
そして、
明るい響きの美しい声で、
その女の人、主人公マリアは歌い出した。


『The Sound of Music
ザ・サウンド・オブ・ミュージック』

The hills are alive with the sound of music
With songs they have sung for a thousand years
The hills fill my heart with the sound of music
My heart wants to sing every song it hears

丘は生きてる 音楽とともに
千年も歌いつづけているあの歌
音楽で丘はわたしの心を満たす
それを聴くたび、わたしの心も歌いだす

My heart wants to beat like the wings of the birds
That rise from the lake to the trees
My heart wants to sigh like a chime that flies
From a church on a breeze
To laugh like a brook when it trips and falls over
Stones on its way
To sing through the night like a lark who is learning to pray


わたしの心は鳥の羽のようにリズムを刻む
その鼓動で湖や木々まで目をさます
教会からそよ風にのって聴こえてくる鐘の音のように
わたしの心はため息をつき
流れ流れて石につまずいて
ころんだ小川のように笑い
そして祈りをおぼえるヒバリのように夜どおし歌うの

I go to the hills when my heart is lonely
I know I will hear what I’ve heard before
My heart will be blessed with the sound of music
And I’ll sing once more

心が寂しいとき、わたしは丘にいく
きっとまた聴こえてくる いつか聴いたあの調べ
わたしの心は音楽の恵みをうけ
そして、わたしはまた歌うの
『映画で英語を勉強するブログ』より
https://www.tomtom55.com/soundofmusic20/


はじまりのこの歌は衝撃的だった。
それまでミュージカル映画というものを
観たことがなかった私は、
主役のジュリーアンドリュースの
素晴らしい歌声に、
一瞬で心を持っていかれたのだった。

この映画に出てくる歌の数々は
どれもチャーミングで、
私の心をガッチリと掴んだ。
音楽が人を幸せにする様を目の当たりにして、
私の中にそれはしっかりと刷り込まれた。
(先日の投稿で書いた曲『何か良いこと』も
そのひとつだ。
https://note.com/suzukake_neiro8/n/n1e208a2c5e99)

雷が轟く夜に、
トラップ大佐の子供達が
マリアの部屋に徐々に集まってきて、
『私のお気に入り』を歌うシーンも楽しい。
私はこの映画を見終わった後日、
私にとってのお気に入りってなんだろう?と、
自由帳に自分の好きなものを書き出して
〈お気に入りリスト〉を作ったのだった。




厳しく堅物だったトラップ大佐が、
(家の中で歌うことを禁じていた)
マリアの天真爛漫さと音楽に触れることで、
少しずつ心の鎧を外し
子供達にも優しくなってゆく。
楽しさと
ハラハラと
マリアとの愛。
私はのめり込んで観ていた。
筈だった。
それなのに。
知らず知らず私は、
眠りの世界へと
白河夜船を漕ぎ出していたのだった。


無理もない。
夜遅くまで起きていたことなど皆無の子供にとって、夜中に手が届きそうな時間は、
睡魔の餌食になりに行くようなものなのだ。
白眼を剥きつつも
なんとか映画を観ようと頑張る私を見かねて、
母が

「これを飲みなさい。
そうしたら目が覚めるから」

と、スプーンが立ちそうなくらい
どろりとした濃いコーヒーを淹れてきた。
あまりの苦さで眠気が吹っ飛んだが、
(砂糖をばんばんに入れて飲み干した)
子供の体は正直なもの。
コタツという悪魔の機械に
(暖かくて心地よくて眠気を誘う抜けられない箱)
どっぷり浸かっていたこともあり、
結局私はコーヒー効果も虚しく
うたた寝してしまったのだった。




映画が終わり、
【完】の文字が浮かぶテレビ画面を前にして、
私は茫然とした。
なぜ寝てしまったのだろう。
見逃してしまった悔しさで、私は少し泣いた。
なぜ起こしてくれなかったのかと、
父と母を責めた。
あんなに眠かったのに
番組が終わった途端に目が覚めるのは、
巷の謎の『あるある』。
泣いても騒いでも映画は終わり。
映画の余韻に酔いしれながら
劇中歌などを歌い出している母を尻目に、
私は不貞腐れて自分の布団に潜り込んだ。
悔しさと、今更効いてきたカフェインのせいで、
私は眠れなくなった。
映画のストーリーが気になって仕方がなかった。
踏んだり蹴ったり
泣きっ面に蜂とは、
まさにこの時のことだった。


それから何年か経ち、
私は自分の力で映画を観に行ける年齢になった。
小さな映画館で
サウンドオブミュージックのリバイバル上映を
やっていると知り、
私はすぐに観に行った。
小学生だったあの日の夜、
観られなかった悔しさと悲しさは
ようやく晴れたのだった。
大きな画面で見る
サウンドオブミュージックの冒頭の歌に
私は圧倒され、
一気に感情が昂り、涙が溢れた。
劇中歌の英語の歌詞と訳詞をノートに書いては
部屋でひとりで歌っていた私だったので、
心の中で映像に合わせて合唱することもできた。
修道女が歌う『すべての山に登れ』は、
私のバイブル、生きる道しるべ
になった。

その後も
何度もサウンドオブミュージックを観てきた。
高校の音楽の授業や、
再びの金曜ロードショー、
近くの公民館での上映会。
何度見ても感動しないことがなかった。
いつでも観られるようにと、
映画のビデオを買い
その後はBlu-rayも買った。
ここで思い出を綴るうちに、
もう一度観たくなってきた。
名作は
どんなに年月が経っても決して色褪せない。
見る側の私が年齢を重ねることで、
子供の頃にはわからなかった背景も理解して
観ることができ、
新たな気づきさえ生まれているのだ。
そして、
家族みんなでひと部屋に集まって映画を観た
という、今となっては貴重で大切なひとときも、
この映画とともに永遠に心に刻まれている。
私の心は幼い日のまま、
はじまりの自由な丘へと飛んでゆくのだ。


#映画にまつわる思い出

文章を書いて生きていきたい。 ✳︎ 紙媒体の本を創りたい。という目標があります。