My favorite movie.
家族揃って観た最初の映画は、
コタツにあたりながらの金曜ロードショー、
だったと記憶している。
若い頃に聖歌隊に入っていた母が
熱心に勧めるままに
『サウンドオブミュージック』を
みんなで観たのだった。
ドレミの歌や
『my favorite things』で知られる
ミュージカル映画だ。
小学生だった私ときょうだいは、
この映画を観るために
夜遅くまで起きていてもいいという事実に
(夜9時くらいから?始まる番組だったと思う)
浮き足立っていた。
夜更かしはお祭りの夜と大晦日くらいしか、
許されていなかったのだから。
私達家族は大人しくコタツに入って
映画が始まるのを待った。
(そこに蜜柑があったかどうかは定かではない)
♢
最初のシーンは、
上空から丘を見下ろす鳥の目線から始まった。
ひらけた丘のてっぺんに人影がある。
女の人だ。
風に吹かれて気持ちがよさそうだ。
そして、
明るい響きの美しい声で、
その女の人、主人公マリアは歌い出した。
はじまりのこの歌は衝撃的だった。
それまでミュージカル映画というものを
観たことがなかった私は、
主役のジュリーアンドリュースの
素晴らしい歌声に、
一瞬で心を持っていかれたのだった。
この映画に出てくる歌の数々は
どれもチャーミングで、
私の心をガッチリと掴んだ。
音楽が人を幸せにする様を目の当たりにして、
私の中にそれはしっかりと刷り込まれた。
(先日の投稿で書いた曲『何か良いこと』も
そのひとつだ。
https://note.com/suzukake_neiro8/n/n1e208a2c5e99)
雷が轟く夜に、
トラップ大佐の子供達が
マリアの部屋に徐々に集まってきて、
『私のお気に入り』を歌うシーンも楽しい。
私はこの映画を見終わった後日、
私にとってのお気に入りってなんだろう?と、
自由帳に自分の好きなものを書き出して
〈お気に入りリスト〉を作ったのだった。
♢
厳しく堅物だったトラップ大佐が、
(家の中で歌うことを禁じていた)
マリアの天真爛漫さと音楽に触れることで、
少しずつ心の鎧を外し
子供達にも優しくなってゆく。
楽しさと
ハラハラと
マリアとの愛。
私はのめり込んで観ていた。
筈だった。
それなのに。
知らず知らず私は、
眠りの世界へと
白河夜船を漕ぎ出していたのだった。
無理もない。
夜遅くまで起きていたことなど皆無の子供にとって、夜中に手が届きそうな時間は、
睡魔の餌食になりに行くようなものなのだ。
白眼を剥きつつも
なんとか映画を観ようと頑張る私を見かねて、
母が
「これを飲みなさい。
そうしたら目が覚めるから」
と、スプーンが立ちそうなくらい
どろりとした濃いコーヒーを淹れてきた。
あまりの苦さで眠気が吹っ飛んだが、
(砂糖をばんばんに入れて飲み干した)
子供の体は正直なもの。
コタツという悪魔の機械に
(暖かくて心地よくて眠気を誘う抜けられない箱)
どっぷり浸かっていたこともあり、
結局私はコーヒー効果も虚しく
うたた寝してしまったのだった。
♢
映画が終わり、
【完】の文字が浮かぶテレビ画面を前にして、
私は茫然とした。
なぜ寝てしまったのだろう。
見逃してしまった悔しさで、私は少し泣いた。
なぜ起こしてくれなかったのかと、
父と母を責めた。
あんなに眠かったのに
番組が終わった途端に目が覚めるのは、
巷の謎の『あるある』。
泣いても騒いでも映画は終わり。
映画の余韻に酔いしれながら
劇中歌などを歌い出している母を尻目に、
私は不貞腐れて自分の布団に潜り込んだ。
悔しさと、今更効いてきたカフェインのせいで、
私は眠れなくなった。
映画のストーリーが気になって仕方がなかった。
踏んだり蹴ったり
泣きっ面に蜂とは、
まさにこの時のことだった。
♢
それから何年か経ち、
私は自分の力で映画を観に行ける年齢になった。
小さな映画館で
サウンドオブミュージックのリバイバル上映を
やっていると知り、
私はすぐに観に行った。
小学生だったあの日の夜、
観られなかった悔しさと悲しさは
ようやく晴れたのだった。
大きな画面で見る
サウンドオブミュージックの冒頭の歌に
私は圧倒され、
一気に感情が昂り、涙が溢れた。
劇中歌の英語の歌詞と訳詞をノートに書いては
部屋でひとりで歌っていた私だったので、
心の中で映像に合わせて合唱することもできた。
修道女が歌う『すべての山に登れ』は、
私のバイブル、生きる道しるべ
になった。
その後も
何度もサウンドオブミュージックを観てきた。
高校の音楽の授業や、
再びの金曜ロードショー、
近くの公民館での上映会。
何度見ても感動しないことがなかった。
いつでも観られるようにと、
映画のビデオを買い
その後はBlu-rayも買った。
ここで思い出を綴るうちに、
もう一度観たくなってきた。
名作は
どんなに年月が経っても決して色褪せない。
見る側の私が年齢を重ねることで、
子供の頃にはわからなかった背景も理解して
観ることができ、
新たな気づきさえ生まれているのだ。
そして、
家族みんなでひと部屋に集まって映画を観た
という、今となっては貴重で大切なひとときも、
この映画とともに永遠に心に刻まれている。
私の心は幼い日のまま、
はじまりの自由な丘へと飛んでゆくのだ。
文章を書いて生きていきたい。 ✳︎ 紙媒体の本を創りたい。という目標があります。