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そういえばあのバンドの曲最近聴いてなかったな。

あんなに好きだったバンドの曲を、
聴かなくなってずいぶん経っていた。
いつから聴いていないのだろう。
毎日気が狂うほど曲を浴び続けて、
聴くたびに心も体も燃えて、
ああやっぱり今日も最高だよコレ!
と思っていた。

そんな情熱の強火の炎も
いつしか少しずつ小さくなってゆき、
やがては灰色の煙がくすぶるだけになる。
好きな音楽を聴かなくなっていった時の
ざらりとした感覚を、
今もわりと覚えている。
他のバンドの音楽にとって変わることもあるし、
とくに理由らしい理由がないことある。
聴かないことなど耐えられない!
と思っていた筈なのに、
忙しくて聴けない日々のなかで、
いつのまにか聴かなくても平気でいられる
自分を見つけて動揺する。
少し冷たい風が心の中に吹いて、
ああこれが蜜月の終わりなのか、と悟る。
薄情で移り気な自分が少し悲しい。
生涯好きでいるよと誓ったのは嘘だったの?

かと言って
完全に消えてしまったわけでもないのだ。
何かのきっかけさえあれば、
また火が戻り燃え始める。
戻り火のきっかけは
昔の出来事であることがほとんどで、
蔓を手繰り寄せると
思い出の先に音楽も繋がってついていた、
という感じ。
まさに芋蔓式。
ただし、あの頃みたいに
どんどん薪をくべてぼんぼん燃やす、
といった聴き方ではないのだろう。
静かな焚き火を見つめながら
思い出と音楽を同時に味わい、
やっぱりコレいいよね、としみじみ頷くのだ。
その歌を今でも口ずさめる自分が好きだ。


だから
生涯好きでいるよと誓った言葉は嘘じゃない。
一度好きになった音楽は、
余程のことがない限り嫌いにはならない。
毎日のようには聴かなくなったとしても、
心の音楽ラックの中には
捨てずにずっとストックされてゆくのだから。

ちなみに今、
私がもう一度聴きたくなっているバンド曲は、
Suchmosの『STAYTUNE』だ。
この曲のベースラインが特別好きだったから、
あの日以来うまく聴けなくなっていたのだった。

イントロが鳴り始めるだけで心に着火する。
死んでしまってもうこの世にいない人も、
音楽のなかでは生きている。
やっぱりかっこいいよなあ、というため息を
夜の中に献上したい気分だ。

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