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ほら見て!まだあるんだよ!〜grace2022

人は変わってゆく。
とどまり続けることなどできない。
体の細胞は日々生まれ変わっていて、
いつのまにか背が伸びたり
皺が増えたりしている。
昨日の自分とそっくりではあるけれど、
実は今日の自分はほんの少し何かが違う。

ぐんぐん成長したり
緩やかに役目を終えようとする
容れ物の変化とは別に、
日々経験することで内面も変わってゆく。
良くも悪くも経験は学びとなって
気持ちの変化を促す。
自分の中で気づきがあれば、
内面が変化することに年齢など関係ないのだ。
変化を恐れるのか、
無理だとわかっていても懸命に抗うのか、
あるいは
流れに身を任せて受け入れるのか。
どの道を選んだとしても、
いつか人生を振り返った時に
あの時があったから今の私がいる、と
静かに頷けるようでありたい。
無意識でかまわない。
変わらなきゃ、などと気負う必要もない。
時々迷ったり間違えたりしてもいい。
ただ、昨日の自分より
少しでも誇れる自分であるように。
私もそうありたい。


✳︎

『grace2022』を観た。
藤井風さんの活動を追ったドキュメンタリーだ。
すべてを見終わって最初に感じたことは。

このドキュメンタリーは
『変化してゆくひとりの人の物語』
なのだなということだった。

✳︎

何をしておるのかさっぱりわからない。

と藤井風さんが言ったのは、
AAHTというホールツアーの頃のことだった。
この日々についてゆくことだけで精一杯、
という風情であった。
穏やかに好きなように
カヴァー動画をあげる暮らしをしていた
藤井風さんにとって、
目まぐるしい世界の有り様は、
なかなか馴染まないことだったのかもしれない。
最初からマネージャーさんの願望を
叶えるためのプロジェクトなのだと
藤井風さん自身が言っていたことから、
自分の意思とは違うところで
理解が追いつかないまま進んでしまっている、
という心情が見え隠れした。
戸惑いもあったことだろう。
ましてやコロナ禍である。
自粛がある中で
音楽になにができるのかなんて、
本当のところは
誰にもはっきりとはわからなかったのだと思う。
音楽ライブなのに、
オーディエンスは
声を出すことを禁じられていた。
熱気だけは会場に渦巻くけれど、
観る側の声はステージの人には聞こえない。
マスクで覆われた顔の表情も分からない。
奏でる側の人にとって、
音楽が本当に届いているのか
ダイレクトに確認する術さえなかった。


役に立っているのかどうかも分からない。

そう藤井風さんは何度か口にしていた。
謙虚でありすぎるから、悩むのだ。
私が思っていたよりもずっと、
藤井風さんが本当は迷ったり
考えあぐねたりしていたのだと知って、
申し訳ないような気持ちにさえなった。
私たちは
藤井風さんの音楽を搾取していたのだろうか。
みんながどれほど
藤井風さんの音楽や存在そのものに
希望の光を見て
喜びを受け取っていたのかを、
どうしたら藤井風さん自身に知ってもらえるの?
と天を仰いでしまう。

✳︎

そんな藤井風さんを導くのは、
プロ中のプロマネージャーの河津さんだ。
藤井風さんに惚れてしまった人。
惚れたがゆえに
自身の人生が変わってしまった人。
藤井風さんを預かる時に、
ご両親に
『フツーのミュージシャンにはしない』
と約束した通り、
河津さんは思いもかけない方法で
藤井風さんをじわじわと世間に
押し出していったのだった。
天才は繊細。
河津さんは、優しくてナイーヴな藤井風さんを
必死に守りながらも、攻めの姿勢を見せる。
河津さんは
まだ誰もやったことがない領域を探す嗅覚が
優れている人なのだと驚嘆させられた。
たった1人でのスタジアムライブが
今だに語り継がれているように、
コント番組を作ったり、
音楽ライブ開催は初めてという会場で
ライブをやったり、
とにかくすごい手腕なのだ。
(余談。ミュージシャンとマネージャーの関係を思う時、私はどうしてもThe Beatlesと
ブライアン・エプスタインのことを思い出す)
けれども河津さんは
百戦錬磨の今までの自分のノウハウの全てを
そのまま藤井風さんに
あてはめているわけではないのだろうな
と感じる。
河津さんは映像の中で、
藤井風さんの新曲のストックがゼロであること
(作ろうと思えばいくらでも作れるのに)、
言いたいことはすべて歌いきったと
風さんが話したということ、
引退の日が近づいている気がして怖いと
漏らしていた。
藤井風さんを支える河津さんは、
そんな藤井風さんの変化を
『待つ人』でもあったのだ。
誰にも似ていない
型破りな天才である藤井風さんが、
曲を生み出す時をひたすら待っている。

✳︎


藤井風さんはライブを重ねるごとに
少しずつ変わってゆく。
なぜこんなにライブをやらなくちゃならないのかと思っていたようだけれど
(たしかにものすごく
タイトなスケジュールのツアーが多い気がする)
コロナ後は
「はじめてライブやりたいって思った!」
と言ってくれたのだった。嬉しい。

巨大なパナソニックスタジアムでの
ライブ映像を観た時、
私は藤井風さんの表情の硬さが
気になっていたけれど、
このドキュメンタリーを観たことで腑に落ちた。
ご両親から
死ぬ気でやってこい、死んでもいい、
とまで言われて挑んだスタジアムライブ。
(それはもちろん
『後悔のないように全力でやれ』
という意味の激励だ)
藤井風さんの
心の中の世界観を表す仕掛け満載のライブ。
(ベジタリアンである藤井風さんは
大豆ミートの良さを広めたいと言った。
パナスタ会場でのフードはすべてベジタリアン仕様で、それを提供するのに予算を超えてしまう分は自腹で出す、と話していたのだった)
大きな覚悟を背負っていたであろう
心の中を思うと、
圧巻の登場シーンのかっこよさは
いっそう胸に迫る。
いつ死んでもいいように生きる。
今を精一杯生きることを
ひたむきに体現する姿が、
観る者の心を揺さぶるのだ。
撮影がokだった1曲を歌う時、
会場いっぱいのスマホのライトが
星の煌めきに見えた。
人々が作る星々の中で歌う愛の人藤井風さんは、
崇高で美しかった。

✳︎

人は変わってゆくと書いたけれど、
その一方で変わらない芯のようなものが
あるのもたしかなことだ。
過去から未来へつながる、
自分の心の真ん中を貫く信念を守り通すために、
それ以外の部分は柔軟に
変えてゆくものなのかもしれない。
たとえば『優しさ』という信念を
持っているとしたら。
優しくあるために、
震えるほど小さな自分を脱いで、
より大きな愛を差し出せる自分に
変化してゆくということもあるように思う。

✳︎

このドキュメンタリーブルーレイが
出た頃と前後して、
藤井風さんは初の海外アジアツアーを
行なっていた。
映像の中で
「もう二度と弾き語りツアーを
やることはないと思っていた」
(aahtツアー時)
と語っていた風さんだったけれど、
アジアの人たちの前で
今まさにピアノ1台でのツアーをしている。
愛してる!と日本語で声援を飛ばしまくり
大合唱もする、
反応もストレートな海外のファン達。
魂のやり取りをして、
ピアノを弾きながら
会場中をくまなく見渡す藤井風さんは、
その光景をどう思っただろう。
「人はなぜライブに行くのか。
好きなミュージシャンのライブを
ナマで見たい、ナマで会いたいと思う感覚が
正直よくわからない」
と映像の最初の方で話していた藤井風さんは、
その『なぜ』の答えを
アジアの満員のライブ会場で見出しただろうか。
同じ場所の空気越しに、
肌と肌は触れ合っている。
今までのどのライブよりも
自由な藤井風さんを見ていると、
心の中に変化の芽となる気づきを
持っているように感じられた。
間違いなく今を生きていた。


何をしておるのかわからない。
と言っていた頃の藤井風さんとは、
今は明らかに顔つきが違う。
それは単に年齢を重ねたから、
という理由だけではない筈だ。
その表情からは、
これからも大きく大きく翼を広げてゆく
藤井風さんの姿しか想像できないのだ。
進化?深化?成長?
前向きな変化を現す言葉はいろいろあるけれど、
どれも陳腐に感じられて
私の中ではしっくりと馴染まない。
ましてや、アップデートなんかじゃない。
そんな機械的なものではなくて、
明るいところ暗いところ、
淡いところ濃いところ、
揺らいだり立ち止まったり、
決して直線的なものではないのだ。
言葉を使いながら生きている私だけれど、
藤井風さんの変化を
ひと言で表現することができない
もどかしさばかりが募る。
本当に。
なんといえばいいのかな。



✳︎


パナスタライブの後日、
育てていたさつまいもをみんなで収穫しながら
藤井風さんは言った。
「これからどう生きていこうかと、
地球のために世界のために
なにができるのかなあと考えているところ」
なのだと。
そして
「もういつ引退しても
いつ終わってもいいくらいの今の気持ち」
と言ったのは、
全力でやりきった中で
『みんなひとつ』なのだと
実感できたからかもしれないけれど、
藤井風さんの本当の心の中は
誰にも覗くことはできない。
そのつぶやきにかぶさるように
河津さんが発した
「ほら見て!まだあるんだよ!」
(掘り起こしていないさつまいもが)
という言葉がとても印象的だった。

藤井風さんが音楽をするのもしないのも
ご本人のこころ次第だ。
それでもきっと音楽の神様は、
藤井風さんに新しい気づきを
どんどん示していくつもりなのだろうと
私は勝手に思っている。
見えざる者の手が導く方へ
歩いていってみようかと思ってもらえると
とてもうれしい。
ねえ、風さん。
ほら見て!
藤井風さんの音楽を必要としている人が
まだまだたくさんいるんだよ。


fin.


******


おまけ。

このドキュメンタリーのなかでの
私の超個人的胸アツポイントを記す。

・AAHTツアーのオープニング。
(私はチケットがとれなくて
ライブを観にいかれなかったのだった)
ギター弾き語りということだけでも驚くのに、
あの声である。
これは反則ではないか。笑
MISIAに提供したhigher loveを聴けたことも
とても嬉しい。

・急遽の代打で出演した
ライジングサンロックフェスティバル。
練習時間もままならないなかでのあの完成度。
コロナ感染により出演が叶わなかった人達の曲を
たくさん歌ったこと。
ある意味アウェーの
大勢の人の波が待つステージへ
出てゆく時の後ろ姿は、
何度見てもシビれるし、じん、としてしまう。
そりゃあバッタも
祝福に来るに決まっているのだ。


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