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ビートルズ「ルーフトップコンサート」を観た。

今はもうすでにないのだと知っているものと
再会するのは、嬉しくて切ない。
喜んでいる心の中でも、
これは失われてしまったのだということを
どうしても意識してしまう。
楽しければ楽しいほど、
終わりは圧倒的な悲しみの色を持って
胸に迫るのだ。
花火の後の闇の濃さに
心がしんと静まり返ってしまうことに似ている。

ビートルズ最後のライブの模様を撮った、
ドキュメンタリー映画を観た。

冷たい風が吹き荒さむ曇り空のビルの屋上に、
彼らは神経質な顔つきで現れた。
ビートルズとしての最後のライブ。
彼らの鼻の頭も、
楽器を調整する指先も、赤い。
かなり寒そうだ。
彼らはそのままの自分を隠さない。
目を合わせて話をするわけでもない彼らが、
音を合わせて
ひとつひとつの曲を演奏することが
できるのだろうかと思わせるような雰囲気だった。
だがしかし。

GET BACKが始まった。
私の杞憂など、映像の中の風に吹き飛ばされた。
イントロから圧倒的だった。
歌、リズム、音。
不仲なことなど信じられないくらいだった。
ポールの美しい佇まい。
ジョージの控えめな視線。
メンバーを背後から見つめるリンゴ。
そして、少し猫背にギターソロを弾くジョンが、
たしかにそこで生きていた。

ジョンとポール。
並んで立つふたりが冒頭からハモる
Don’t let me down。
その力強い歌声に泣きそうになった。
ひとつのものを作り上げてきたふたりの
心は離れて、
別の方を向いていたとしても。
この時は相手の声を聴き、
そこに自分の声を絡ませていたのだ。


こうして心の中の手を伸ばし合ううちに、
メンバー間に一体感が生まれていったのが
傍目にもわかった。
時には目を合わせて笑う。
歌うジョンの横顔を、
ポールがベースを弾きながら
しばらく見つめ続けるシーンに
グッときてしまった。
ジョージのナイスなギターに、
ジョンとポールが同時に叫ぶ。
そんな4人をそばで見守る女たち。
中でも時々大写しになるオノ・ヨーコの眼差しは
印象的だった。
ジョンはヨーコにめっぽう優しかった。
ジョンがもしも生きていたら、
今どんな音楽を作り、
ビートルズ時代のことをどう語っただろう。

大音量での演奏にクレームが来たことで、
警察も動き出す。
街中には
音楽を聞きつけた人たちが大勢集まり
ビルを見上げていた。
理解を示す人。
騒音で仕事にならないと嘆く人。
この演奏のレコードが出たら買うと言う人。
演奏中止を言い渡す若いポリスマンたちは、
屋上まで来ておきながら
なぜ強硬な態度でやめさせなかったのだろう。
そうすることが憚られるような空気が、
あの屋上には流れていたのかもしれないと
思った。


どうしてこうなってしまったのかと、
後になって思ったところで仕方がない。
時間は巻き戻せないし、
人によって歩む先の道がばらばらであっても
何の不思議もないはずだ。
はじまりがあれば、終わる時もくる。
人が生まれ
やがて死んでゆくように。

ビートルズはここに生々しく存在した。
世界中で求められ、愛された。
解散したバンドではあるけれど、
きっと今日も世界のどこかで誰かが
彼らの音楽を聴いている。


映画館を後にした時の、
やるせなさと愛おしさがないまぜになった感情は、
私の中で
そう簡単には落ち着きそうもない。









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