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時に希望とは過ぎ去った過去にあるものだったりするのかもしれない

僕の父方の祖父は脊髄小脳変性症という病気で亡くなった。
僕が子供の頃、祖父はいつも「ノートあるぞ」と言って大学ノートを何冊も、切らさないように買ってきてくれた。僕が夢中になって、そのノートに絵を描いているのを知っていたからだ。それが僕の、絵を描くことの原体験だ。
祖父の具合が悪くなり始めたのは、僕が高校生になった頃だった。脊髄小脳変性症という病気は、小脳が萎縮していって段々体の自由がきかなくなっていく病気で、原因は不明で延命治療しか出来なかった。僕が東京の美術大学に進学する為に浪人を始めた頃には、完全に寝たきりになって、食事も口からは摂れず、言葉も話せなくなっていた。延命治療は当然病気を治す為の治療ではなく、少しでも長く生きてもらう為の治療だ。家族としては少しでも長く生きていて欲しいと思うのは当然の感情だと思うが、一方で、苦しむ時間を長引かせているとも言えなくはない。それでも、僕はやっぱり祖父に生きていて欲しかった。祖父が導いてくれた絵の道で、美術大学に入ったからといって何者かになったわけじゃないが、それでも人生を前に進めた姿を見ていてもらいたかったからだ。だから僕は本当に死に物狂いで絵を描いていた。何としても一浪で受からなければ、二浪したら祖父の命はきっとそれまで持たないと思ったからだ。この時の経験が、後に僕が強迫性障害という精神疾患になる原因の発端にもなっているのだが、とにかく何とか一浪で武蔵野美術大学という大学の油絵学科に受かることが出来た。
報告に行った時に泣いてしまって、祖父は戸惑っていたが、祖父が僕を見つめる眼が赤ん坊のような眼だったのが強く印象に残っている。
祖父は僕が大学に入学した年の6月に、僕の進学を見届けるように亡くなった。73歳だった。病気にならなければもっと長生き出来ただろうけれど、ちょうど僕が幼稚園から小学生だった頃に60代で一緒に暮らしていたので、毎日風呂にも入れてもらったりして、その時間は祖父にとって幸せな時間だったのではないかと思っている。
後に自分が強迫性障害という病気になってから、祖父の赤ん坊のような眼の作品を描いた時、希望というのは未来にあるものだと思っていたが、時に希望とは過ぎ去った過去にあるものだったりするのかもしれないと思った。

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