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私が占い師になったワケ(闘病記㉓関節リウマチが判明するまで40年もの歳月がかかった嘘のような本当の話)

2006.04.28 今日もまた右ひじが痛い。振り返ると私の右ひじに生まれて初めて水が溜まり出したのは、2004年5月6日となっているので、もうかれこれ2年は右ひじの関節に原因不明で水が溜まっては抜き、ステロイド注射を繰り返している。

2006.05.10 今日は久しぶりに右足が痛い。ボルタレンサポ50mgを使用する。

2006.05.11 夜になると再び右足に激痛が走る。少なくともステロイド(プレドニン)やアザルフィジンEN錠は、右足の病には効かないのではないだろうかと思う。

2006.05.18 今日はリウマチ内科を受診した。採血の結果、MCHがやや高かったが、特に異常はなかった。

膠原病科の主治医は、骨粗鬆症の薬を飲むように勧めてきたが、そもそも右足の甲の骨や左足の第4指の骨が融け続けているのだから、ビスホスホネートを使ってみたところで、いったいどのくらいの効果が出るのだろうか。

と書かれていたので、そもそも私の左足の第4指(薬指)の骨は、いったいいつから痛み出したのだろう?と思い、日記を調べていたところ、2002年8月下旬と記載されていた。

医師に相談したところ、痛みに耐えられるのであれば手術の必要はないと言われたようだが、どちらかと言えば右足ではなく、左足の方が第一ケーラー病だった可能性が高いと言った整形外科医もいたが。

どこの病院へ行っても原因は不明である、と書かれていた。

実はこの話にもオチがあって、2023年になってから生まれて初めて私は「関節リウマチ」であると言うことが認められたのだ。

と言うのも、私はいつも整形外科では足のレントゲンの写真を見てもらっていたのだが、30代の大半を担当していた膠原病科の主治医には、足が変形している姿をダイレクトに見せたことがなかったのだ。

そのため、40代に入り、長年に渡り私を診察してくれていた主治医が移動になることを知り、足のことを話すと整形外科で撮ったレントゲン写真をはじめて見てくれた。

そして一言。

「右足の骨の変形は複雑すぎて、正直、こんな足は見たことがないから、何の病気なのか判断しにくいが、左足に関しては典型的な関節リウマチの骨破壊による変形だと思うよ」と言われた。

だからと言って、今現在は生物学的製剤を始めとし、リウマトレックス、そしてプレドニンも使った治療をしているので、あの頃に戻っていったい何かできたのか、と言われると困ってしまうと言った様子だった。

また主治医が変更になったので、最近わたしを担当してくれている若い主治医にもレントゲン写真をみてもらい確認してもらったところ、やはり左足に関しては典型的な関節リウマチの骨破壊の症状だと言っていた。

特に右足に関しては「鈴木さんがこどもの頃から痛かったと言うのであれば、それはもう小児リウマチの後遺症ですよ」とのこと。

8歳の頃から常に「関節リウマチ」の疑いはあったものの、まさか40年もの歳月を経て「関節リウマチである」と認められるとは…。

これにはもう主治医たちも笑うしかなかった。

もちろん私は唖然である。

ちなみに話を日記に戻すと、この日の日記には骨密度の検査を受けるように膠原病科の医師に言われたと書かれている。

この日に処方された薬は、アザルフィジンEN錠とプレドニン5mg、そしてガスターD錠と書かれているので、もしもこの頃の私に戻ったら、まだリウマトレックスに切り替えていないの?と言ってあげたい。

2006.05.20 夜になると右足の甲の骨が融け始め、また激痛に襲われる。ボルタレンサポ50mgを使用する。これで痛みが治まれば良いのだが。

2006.05.21 夜が明けると右足の痛みはだいぶ治まっていた。ビスホスホネートについて調べてみた結果、服用する意味はないのではないだろうか、と思った。(この当時の私は骨粗鬆症のことをあまりよく把握していないらしい)

2006.5.22 整形外科を受診すると今までお世話になっていた研修医の先生が移動になったことを知った。

私の病状がどんどん悪化し、医者としてどうしたら良いのかわからなくなってしまったとき。

何故か急に「鈴木さんがそんなに痛いと言うのであれば、もうモルヒネを使うしか方法はない」と言ってのけたこともあったが(苦笑)

心の優しい先生だっただけに残念である。

特に大きな病院は急に先生が移動になったりするので、ある日突然、治療方針が変わったりして患者も振り回される、とこの日の日記には書いてあるが。

20代前半の頃から私を担当していた東京の病院で出会った主治医でさえ、大きな病院を卒業し、開業医として働き出したかと思ったら、ある日突然。

私より先に亡くなってしまい、もう二度と診てもらうことはできなくなってしまったので、今。

目の前にいる医師がずっといるとは限らないと思った方が良いのかもしれない。

のちに皮膚科の主治医となる日本語があまり通じない先生(外国人)も、かたことの日本語で「大丈夫、大丈夫、わたしのことを信じて。信じていればあなたの病気はきっと治るから」と言っていたが、数年ほど前に亡くなってしまったという事実を聞かされた。

とにかくこの日は今は亡き整形外科の先生が私に「骨粗鬆症の薬は、大腿骨骨頭壊死のリスクを減らすためにも骨密度とは関係なく、プレドニンを飲んでいるのだから同時に服用するように」と言っていたと記載されている。

寝たきりになるのは、まっぴらごめんだ。

2006.06.15 4日前から咳が止まらない。今日はリウマチ内科の受診日なので、カフコデN錠(咳止め)を処方してもらう。これで少しは明け方に咳き込まなくて済めば良いのだが。

そして念のため、最近はよく右側の背中が痛むので、先生が触診した上で「内臓に疾患がなければ良いけど、来月もまた痛むようであればレントゲンを撮りましょう」と言った。

さらにこの日からフォサマック(骨粗しょう症の薬)の服用が始まる。

この時はまだ1日に1回飲まなければならなかったので、毎日この薬を飲まなければならないのが苦痛だった。

ちなみにこの日の採血は、総タンパク、カリウム、IgG、赤血球の数値は低く、MCH、MCVは高かった。

今日は調子が悪かったのだろうか、と書かれているが、この頃からもうすでにIgGの数値は低かったのだと言うことがわかった。




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