写真論:わたしを見る人の数だけわたしがいる。

まず最初に。女性用下着カタログの写真と、グラビアアイドル写真は、違った目的と効果をどのように表現しているかしらん。

そんなのあたりまえじゃないか用途が違うのだから、とおもう人もいるでしょう。あるいは、いやいや、おれは下着カタログを見てビンビン興奮するぜ、と言う男子中学生もいるでしょう。もちろん男子中学生とはそういう存在ではあって。いずれにせよ、ふたつのジャンルの写真のありようはあきらかに違う。不思議だとおもいませんか? 下着カタログ写真もグラビアアイドル写真も、しょせんどっちも写真。被写体を写したものに過ぎません。にもかかわらず、ちゃんとそれぞれ違った意図と目的が写真に反映されています。


下着カタログが伝えるメッセージは、女性がこれを身に着けるとかわいく見えたり、綺麗に見えたり、男ウケが良かったり、あるいは快適に暮らせたりしますよということ。とうぜんモデルの表情は明るく、快活、ハッピーです。あるいはそれが高額下着カタログならば、美しくいくらかミステリアスに写されています。


他方、グラビアアイドル写真は男たちを性的興奮に導くためのもの。そこでモデルは、半開きの唇、上目遣い、しどけない表情、ときには髪を濡らしたり、横になったり、四つん這いになったり、いろんなことをさせられます。


不思議だとおもいませんか? カメラマンは被写体を写す。ただそれだけのことなのに、しかし、写真にはちゃんと撮影者側の意図、願望、妄想、商業的価値、稀には愛が反映されています。


人は誰も覚えがあるのではないかしら。自分はただひとりなのに、しかし撮影者が父親、母親、兄姉、弟妹、友達、恋人であることによって、そうとう違う自分が写っていることに。わたしはいったい誰でしょう? わたしを見る人の数だけわたしがいる。



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