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医学と理性の限界。善意。賭け。運。そして利権。

むかしもいまもつねに医療は途上であり、永遠に過度期であるほかない。しかも今後医療はその基盤を大きく変えてゆくでしょう。(だって、患者が苦しんでいるならば、では薬を出して改善しましょう。そういうスタンダードな医療が最善であるとは限らない。たとえ患者がしばらくは楽になって病態が改善したとしても、もしもえんえんそれを続けたならば、患者は薬漬けになって、そのあげく薬によって健康を悪化させてしまうことさえ多い。あくまでも薬は短期集中型であってこそ効くものなのに。)そもそも医学は実学であり、人類史における経験の蓄積であって、けっして物理学のようにはサイエンスではない。きょうはそんな話をしましょう。



医者という職業は学校の勉強がよくできて、記憶力に秀で、目的意識が強く、好奇心旺盛で、人間が好きな人に向いているのだろう。医者から見ればとかく患者は自分勝手でわがままなもの、処方したクスリを飲まなかったり、ひそかに別の(ともすれば怪しげな?)治療を受けていたりすることもざらにある。患者はけっしてハツカネズミではないゆえ、そういうことがけっこう起こることもまた避けられない。人嫌いの医者は臨床をやらず、研究者になってゆく。


ぼくは身近に医者がやや多かった。あの人たちはつくづく人間的で憎めない種族だ。医者は人間が好きであると同時に、感情を括弧にくくって患者の症状を観察分析する仕事ゆえ即物的なリアリストでもある。勉強大好きで好奇心旺盛、情熱的であると同時にあきらめもまた早い。もっとも、医者のタイプもさまざまで小児科の先生はコドモ好きが多く、机の引き出しにいくつもおもちゃを入れていたりする。(なお、小児科の患者のほとんどは細菌感染かウイルス感染である。)皮膚科の先生は美人の女医さんがよりどりみどり。精神科医は医者自身も実存の不安を抱えている人がけっこう見受けられ、だからこそ患者の苦しみもわかろうというもの。外科医は過酷な仕事ゆえ大酒飲みが多い。しかも、たいていは上等のスコッチ好きである。かれらは自分の飲酒癖を冗談交じりに「肝臓のアルコール消毒を欠かしちゃいけませんからね」とかうそぶいたりする。大酒飲みの外科医をぼくは好きにならずにはいられないけれど、しかし自分がなにかの事故に会いその手術を担当する医者が二日酔いである可能性を考えるとぞっとする。だが、それもまた患者の運であり、あきらめるほかない。



医者に限らずそもそも人は気質、育った環境、学んだ学問、専門、経験そのほかによって、知性のスタイルも千差万別である。医者の場合は、なにしろ覚える必要のあることがあまりにも膨大ゆえ、いちいち考えたり検証している暇がない。そもそもそんなことをやっていたら医者にはなれない。また、医学の知識は臨床経験を積んではじめて身につくものでもある。そんなこんなで、医者と言えども、自分の専門以外の最前線の知識をまんべんなく持っている医者はほとんどいない。しかもいまは縦割り医療の時代ゆえ、なおさらである。



医者のモラルは、たとえその治療の原理がわからなくとも、それが役立ち、目の前で苦しんでいる人がいるならば、苦しみを軽減してあげたいというもの。ひとことで言えば結果オーライ、Work out in the end. それが医療の目指すもの。


現代の医療は、BMIにせよ血圧にせよヒトの中央値を算出し、それをもとに薬理ベースの治療がなされてゆく。統計もまた重要視される。しかし、そもそもヒトの体には個体差があって、中央値を基礎にしたところで、そこから外れる人もまた多い。また、ある人には効いた治療が他の人には効かないこともざらにある。きょくたんなはなし、治療は成功したがしかし患者は死んだなんてこともある。目のまえの患者に合わせたパーソナルな治療を求める声もあるけれど、しかし、そうかんたんにそれが実現するともおもえない。



つまり、医学は物理学のような純粋なサイエンスではない。医学はいわゆる理科系であるにもかかわらず、統計学以外に数学の使い道もない。医者の知性もまた物理学研究者のそれとはまったく違う。医者の仕事はむしろ法律家が六法全書と判例集で仕事をすることにいくらか似ている。もっとも、歯科医や外科医の仕事にはウデがあるゆえ、職人的性格もまたあるにせよ。


医者にも人それぞれ治療手法の好みがあって、たとえばクスリの選び方も違えば、あれこれクスリを使いたがる医者もいるかとおもえば、逆にクスリによる介入に警戒的でなるべく使わないことを主義とする医者もいる。しかも、時代が変わると、かつて標準的だった治療に問題があったことがわかることもある。これもまた残念ながら仕方のないこと。むかしもいまも、つねに医療は途上であり、永遠に過度期であるほかない。なお、患者にとっては自分と考え方が近い医者であれば意志の疎通もおこないやすい。ただし、患者にとって自分がどんな医者に当たるかは運次第です。



そのうえいまの医療は、医者が患者に接する時間がきょくたんに短く、医者は自分が選択した治療や投薬のメカニズム、メリット/デメリットを十分に説明できないこともまた多い。また、患者にとっては説明を聞かされたところで、メカニズムを理解できないこともまた多い。(どんなに難しい事柄であってもやさしくかみ砕いて説明できうる、なんてことはありえない。むしろ、難しいことは難しいまま理解するしかないこともまた多い。もちろんそんなことができる知的な患者はそうそういない。しかし、だからと言って患者が治療のメカニズムをわからないまま治療を受けてしまうことはあまりにも危険だ。)はたまた、前述のとおり医者自身がその治療のメカニズムを理解していないこともまた多い。最新医療にはリスクがいっぱいということもよく知られています。これでは医者は患者を完全に信用することもできず、また患者が医者に全面的な信頼を寄せることも難しい。たとえその患者に悪気がなく、その医者が愛すべき善意の人であろうとも。ましてやその医者が傲慢で、考える習慣を持たず、現代医療に疑いをみじんも持たず、つねに上から目線で偉そうにしゃべる人間であればなおさらである。


しかも、癌は言うにおよばず、精神疾患、アトピー、花粉症、糖尿病、腎臓透析・・・いまの医療には問題が山積みである。そもそも薬理ベースの治療が暴走している疑いもある。そこで非主流派の医者のなかには分子栄養学~メガヴィタミン療法の可能性に注目する人たちもいる。この世界では有名な"Doctor Yourself "(あなたの医者はあなた自身です)という本のタイトルは示唆的である。(なお、メガヴィタミン主義者はけっして日本製サプリを使うことなく、i-herb でアメリカ製のものを買って使います。これは両国の薬事法の違いとサプリの栄養素含有量の違いによるものです。)ぼくは分子栄養学~メガヴィタミン療法に個人的に比較的好意的ではある。ただし、分子栄養学とて症状に合わせ、治療前例を参照し、配合を試し、しばらくやってみて、尿検査や血液検査のデータをチェックし、自分の体調をおもんばかって、具体的に思考することなしにはなにもわからない。そもそも生物の代謝は百種類もある。いったい誰がそのすべてと相互関係のメカニズムを理解できるだろう? そんなことは無理に決まっています。


他方、主流派の医者たちのなかにはメガヴィタミン療法に否定的な意見もまた多い。理由のひとつはヒトの身体にそなわっている恒常性(homeostasis)をメガヴィタミン療法が壊してしまう恐れがあること。(なお、これはいかにももっともらしい考えながら、しかし現実的には治療前例を参照しつつのメガヴィタミン療法によって恒常性が壊れたという話は聞いたことがない。それに対して、たとえば2型糖尿病の標準治療によって恒常性が壊れるケースは山ほどある。)主流派の医者たちのメガヴィタミン療法否定のもうひとつの理由は、メガヴィタミン療法が主流派医療の薬理ベースの考え方と対立するからでしょう。しかし、そもそもこれは一刀両断にどちらか一方が万能で他方が無意味で有害であるというようなたんじゅんな話であるわけがない。どちらを選ぼうが、結果オーライ、それがすべてだ。もちろん両者のいいとこどりをして組み合わせる治療もあって良い。


そもそも二十世紀そうそうミトコンドリアが発見されてからというもの、DNAの存在が衝撃を与え、ウイルスの知見が進歩し、果ては腸内細菌叢の健康寄与さえもわかるようになって、脳‐腸関係にまで関心が寄せられるようになった。こうなるともはや縦割り医療ではまったくまかないきれない。しかも、このジャンルは日々読み切れないほど厖大な論文が発表されながらも、しかし、いまだわからないことだらけだ。青汁を毎日3回飲んでヨーグルトと納豆とキムチを常食しスポーツジムへ通いさえすれば健康になれる? まさか、そんなたんじゅんなはなしであるわけがない! 糞便移植のメリット/デメリットについても今後厖大な論文がでてくるでしょう。(なお、糞便移植の問題は輸血の功罪をやや連想します。血液も細胞であることをおもえば、輸血は臓器移植ですからメリットばかりがあるとは限らない。)


いずれにせよ、今後医療がその基盤を大きく変えてゆくことは疑い得ない。そして理性の可能性とは、理性の限界を知ることとともにのみあって、われわれは医者であろうと患者であろうと、手持ちのぶさいくな理性でもって、なにかを選び、なにかに賭ける他ない。


イラストレーション:Getty Images

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