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20世紀最後の30年間、ノブ・マツヒサ(松久信幸氏)は欧米人に鮨のおいしさを伝えるにあたって、どんな苦労をなさったか?

時にフランス人がカエル喰いと呼ばれからかわれるように、かつては日本人もまたRaw fish eaters(生魚喰い)と不気味がられたもの。アメリカのセレブ社会で sushi がcool な食として受け入れられはじめたのは1980年代後半のことでした。その理由は、シリアル、コーラとハンバーガー、ピザ、ステーキの食事が肥満、糖尿病、心臓発作、脳卒中をもたらすことにアメリカ人が気づきはじめたゆえのことでしょう。


そんな背景のなか、カリフォルニアのスパークリングワインを飲みながら、カリフォルニア・ロールを齧ることが意識高い系の人たちにとって好まれるようになる。



もっとも、とうぜんのことながらアメリカにおけるsushi 受容には前史はあって。アメリカにおける鮨受容の歴史は、1923年にロスアンジェルスに開店し、1960年代に創業者の息子さんご夫婦がリトルトーキョーに開店し、カリフォルニアロールをヒットさせた Kawafuku (川福)にはじまると言われています。



ただし同時に、ノブ・マツヒサ(松久信幸)氏の活躍と絶大な影響力もまた忘れてはならないでしょう。(欧米社会に日本のオーセンティックなSUSHIが受け入れられるようになった2000年以降のの目から見ると)、ノブ・マツヒサのSUSHIには、まさに「最初のSUSHI伝道師」としての孤軍奮闘が感じられます。だってそれまで欧米人には生魚を食べる習慣もなく、コメさえもピラフかライッスプディングでしか食べず、海苔にいたっては、こんなカーボンみたいなもん喰えるか、という連中ですよ。そんな欧米人になんとしてでも鮨のおいしさを伝えたい。かれのsushi にはそのための工夫が至るところにあって、泣かせます。


松久信幸さんは、1949年埼玉県生まれ、18歳で新宿2丁目松栄鮨で修行をはじめ7年めに、お客の日系3世のペルー人から誘われて24歳でペルーに渡る。その後波乱万丈を経て、1987年ビバリーヒルズにMATSUHISA を開店、さらには1993年にはなんとロバート・デニーロとの共同経営で、NOBU New York Cityを開店。世界のノブ・マツヒサになってゆきます。




いったいかれはどんな美食世界を創造しておられるでしょう。神谷町のノブ・トーキョーは、80席越えのいかにも三ツ星系スシ・レストランです。2009年ぼくはフランス料理人の友達と、以下のような料理を食べています。当時食べログに書いたレヴューを引用しましょう。

1)鮟肝のキャビア添え、辛子味噌ソース

フォア・グラのテリーヌのようなまったりした一品。酢味噌ふうのソース。赤いヤマモモが添えてある。官能的で、とてもおいしい。3000円


2)イカのティラディート
イカの薄造り、柚子ソース


イカには隠し包丁が実にこまかく入って、上に、少量のチリペーストを乗せたコリアンダーの葉を飾ってある。ワサビではなくチリソースであり、紫蘇ではなくコリアンダーの葉というおもしろさ。
2000円


3)ホタテのドライミソがけ、柚子ソース

ふりかけとしてドライミソと、ガーリックチップがかかっていて、食感の対比を導入してあります。ホタテには隠し包丁がいっぱい入れてあります、柚子ソースがしみこむように。
2000円


4)魚介のセビーチェ

ミックス魚介サラダです。つぶ貝、マグロのタタキ、エビ、〆鯖、トマト、黄色いプチトマト、キューリ、コリアンダーの葉、赤タマネギ。挽きたての黒胡椒と、レッドペッパーの辛味とヴィネガーの酸味が効いている。
1800円


5)松皮鰈の石釜ロースト
(マツカワカレイの中骨部分を揚げたセンベイ感覚の部位をお皿に)

三枚におろして、白身をふっくらジューシーにローストし、中骨の部分に軽くコロモをつけて揚げて、お皿にしてある。
とてもおいしい。もっともいくら松皮鰈とはいえ一尾1000円くらいだろう、それで6000円取るとはいい根性だともおもうけれど、しかし、そんな不満を言うぼくはそもそもノブ・トーキョーのような三ツ星系レストランへ行く資格はありません。6000円。


6)巻物二種


a)サーモンスキンロール

内側にスモークサーモンの皮、山ゴボウのおしんこ、かいわれ、アヴォカド、
外側をごはんで巻き、軽く炙ってある。


b)アナゴとキューリのドラゴンロール

内側が穴子とキューリ、外側がアヴォカドをウロコに見立て、包むように飾ってある。ソースは、穴子用のツメ。
絶妙のバランス、とてもおいしい。
2種で3600円。


7)ヴァニラ・プディング、コ-ヒーゼリーを乗せて

大きめのティーカップでサーヴされる、
下にプリン、上にコーヒーゼリー。
たんじゅんな構成のデザートながら、
プリンはちゃんと作ってあって、コーヒーゼリーのセクシーな香りが官能的で、キャラメルソースもビターに仕上げてあって、バランス良く、おいしい。
1200円。



なお、メニューに nigirizushi がないのは、握りは職人ごとの技術差が大きいからでしょう、その代わり、創造的なレシピの巻物が充実しています。


かれのクックブックを開けば、こんな料理も並んでいます。「甘海老のタルタル、キャビア添え。」「クルマエビの春巻き、トマト・チリ・ソース。」「黒米の炊き込みごはんのヤリイカ巻き。」「鮟鱇を葛粉揚げ、香菜とライムのスープ。」「海胆と椎茸のほうれんそう包み、卵の黄身ソース、イクラ添え。」


なお、かれのレストランのメニュー構成は、オリエンタルなサケカクテル各種、そして魅力的なオードヴルがさまざまにあって、テンプラ、巻物、焼肉、デザートまで、和食の総合レストランとなっています。


読者のなかには呆れる人も多いでしょう。「おいしそうだし興味もそそられるけど、でも、これ、寿司屋じゃないっしょ!??」それはまったくそのとおりではあって。しかし、2000年以降でこそニューヨーク、フィラデルフィア、シアアトル、ロスアンジェルス、はたまたラス・ヴェガスなどではちゃんと日本の伝統的な鮨をふるまう店も増えているらしいものの、ノブ・マツヒサの sushi world は、20世紀末欧米社会、その sushi 黎明期における闘いの物語です。もしもかれの活躍がなかったならば、欧米社会にsushi が受け入れられる時期はずいぶん遅れていたことでしょう。



最近日本のオーセンティックな鮨にどはまりしてしまったぼくは、豊洲や築地の外国人人気をおもいだしつつ、きょう「欧米世界における偉大なるsushi伝道師」ノブ・マツヒサのことをあらためておもいだしたのだった。松久信幸氏は語り継がれる人物だとぼくはおもう。




こちらは関連話題。Machikoさんによるアメリカ鮨事情。


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