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殺し放題の社会 安楽死合法化 (2)

「安楽死の先進国で起きている「偽装安楽死」の恐怖…医師が冗談まじりに致死量のモルヒネ投与」
(DIAMOND online/児玉真美)


 安楽死とは何か。
 それは、自殺幇助の一種である。

 安楽死が合法化した社会とはどの様なものか。
 それは、病人や高齢者に対し、死ぬ事が義務となって圧し掛かる社会である。

 DIAMOND という媒体に私は余り良い印象を持っていなかったが、引用した記事は「安楽死を合法化した社会」がどの様なものか、実例をもって報じる素晴らしい記事である。


 「安楽死は認められるべき」という思想の本質とはどの様なものか。
 それは、国民皆保険制度の延命である。
 別の記事で何度も書いてきたが、国民皆保険制度などの公的社会保障は詐欺である。騙す側と騙される側が直接顔を合わせない詐欺を総称して「特殊詐欺」というらしいが、その定義に則れば、公的社会保障は特殊詐欺と言える。
 国民健康保険制度はいつか必ず破綻するものであり、日本などはとうの昔に破綻しているが、破綻したからと言って廃止になったりはしていない。
 保険料を上げたり、税金で補填するなどして延命し、何としても制度の廃止だけは免れようとする。
 ところで、終末医療というのはカネが掛かる。抗癌剤大量投与的な治療にせよ、緩和ケア的な対応をするにせよ、実質破綻している健康保険制度にとっては大きな負担である。
 だからさっさと死なせてしまえるよう、安楽死の合法化を目指すという訳である。

 治る見込みのない病に冒された者を見て、「早く楽にしてあげたい」と思うのは人情であるが、その様な心理を利用し、さっさと殺してしまえる制度を合法化せんとする外道。それが安楽死の合法化を“煽動”するヤツ等の本性である。
 “煽動”とわざわざ強調して書いたのは、安楽死合法化に参加する人達の殆どは、上述してきた醜悪な目論見を知らぬ、善良な一般大衆だからである。
 まぁ、「公的社会保障のおかしさに気が付かない人達」なのだから、善良な一般大衆と言うよりは、愚衆と言うべきかもしれない。(※補足①)

 「だったら、末期癌で苦しんでいる様な人達はどうするんだ!」
 「国民皆保険制度の延命だとしても、安楽死を認めない理由にはならない!」
 「キチンと法制化して運用すれば良いじゃないか!」

 愚図の特徴として、想像力の欠如が挙げられる。
 こういう事を言うヤツ等に限って、普段はテレビでバカニュースを見ながら「政治家は碌なヤツがおらん!」などと文句を言っている。
 その「碌でもないヤツ」の集合体が政府な訳だが、法制化するという事は、政府が(持てもしない)責任を持つという事になる。それすら分からないのだろうか。
 それとも、安楽死合法化を叫ぶ様な政治家なら問題無いとでも思うのだろうか。

 思うのだろう。
 詐欺に引っ掛かっているにも関わらず、そうと気が付かない人とは、そんなものである。
 古今東西、左翼の手口は決まっている。
 生命、健康、人権、自由、環境、生活、etc・・・ コレ等を「守ります」「保障します」と嘯いて近付いてくる。そして当選した暁には、悪法や無駄な規制を打ち立てて利権を貪る。
 ど真ん中の詐欺である。


 引用した記事は、安楽死を合法化した社会がどうなるかを、実例をもって紹介してくれている。
 安楽死について、私の様に正しく認識出来ている方は読む必要の無い記事だが、愚図に該当する方(※補足①)は読んだ方が良い。

FENは当時ホームページで認知症の人たちに向けて、まだ可能な軽症のうちに自発的に飲食をやめて自殺する方法(※VSED)を推奨していた。

出典:引用した記事、米国の実例より

 FENというのは安楽死合法化を叫ぶ死の集団であるが、コイツ等がやった事を端的に言えば、「認知症を患った者は生きている価値が無い」と断定し、認知症患者を何人も自殺に追いやったという事である。

「人々がVSEDという酷い死に方を強いられているのは安楽死が合法化されていないためだ。その権利の侵害をなくすためにも合法化が必要だ」という倒錯した論理が顔を出してきたりしている。

出典:引用した記事、米国の実例より

 生きる価値があるか無いかを第三者が勝手に判断し、自殺幇助する。
 あまつさえ、「もっと“安楽”に死ねる様な法整備をしろ!」などと叫ぶ。
 この様なヤツ等が跋扈する社会において、安楽死が全面的に認められでもしたらどうなるか。何しろ、隙あらば自殺させようと手ぐすね引いて待ち構えている連中である。全ての一般大衆に、「死ぬ義務」が重圧となって圧し掛かってくる社会が出来上がるという事に他ならない。

 何か既視感があると思ったが、物語りなどのフィクションに出てくる様な、完全に共産化した社会に通ずるではないか。
 働けなくなった者は生かしておくと社会的コストが掛かるので殺してしまう。
 「認知症は率先して自殺すべき」という思想を持つFENは、意図しているかどうかは別として、その様な社会の構築に一役買っているという事である。

法律では医療サイドから安楽死を持ち出すことは禁じられているにもかかわらず、無邪気な善意から安直に安楽死を提案したり、積極的な情報提供で誘導したりするなど「医療職から効率的かつ非合法に提案されている」現場――。安楽死に慣れて機械的な思考に陥った医療職がいかに簡単に自分たちの方から安楽死を持ち出すか、(後略)

出典:引用した記事、ベルギーの実例より

 一度安楽死が合法化されれば、タガが外れる。
 医師からソレを提案する事を法的に禁じていようが、タガが外れた不道徳者の蛮行を止めるにあたり、糞の役にもたたないという事である。

 病を治す事を生業とする筈の医師が、軽々しく匙を投げて治療を放棄する。
 コレを糞と言わずして何と言うのか。
 当人に言わせれば、軽々しく匙を投げたつもりは無いのかもしれない。
 だが、当人の「つもり」など斟酌するに値しない。
 如何なる場合においても、安楽死を勧める、安楽死を選択する行為は軽薄極まり無い蛮行である。

 という事を言うと、「治る見込みの無い病を患った人はどうする!」「その様な患者を騙して新薬の治験をするヤツ等が出てくる!」と叫ぶバカが湧いてくる。
 バカは、自分がどれだけバカか推し量れない。
 バカのバカたる由縁である。
 それがどうして安楽死を正当化する理由になると思うのか。
 絵に描いたようなバカである。

『Euthanasia』の第1章「すべり坂症候群(*2)」の著者で、緩和ケアチームで長く働き、緩和ケアの教育にも携わってきた看護師、エリック・フェルメールは、こうした医療現場の実態を「安楽死の些末化(trivialization)」と呼ぶ。trivial は「些細な・些末な」という意味。合法化され、安楽死者が増え、対象者が拡大し、要件もじわじわと緩和されていくにつれ、安楽死は日常的なことと化していく。

出典:引用した記事、ベルギーの実例より

 タガが外れるとどうなるかというと、簡単に匙を投げる医師が増えるという事である。
 簡単に匙を投げる医師が増えるとどうなるかというと、匙を投げず懸命に患者の望む治療を続ける行為に対し、「無駄な仕事をしている」という認識を持つ医師が増えるという事である。
 懸命な治療を無駄な仕事呼ばわりする医師が増えたらどうなるかというと、医療技術の発展が阻害され、懸命な治療をしようという医師が激減するという事である。
 また、苦痛に耐えて少しでも延命して欲しいと望む患者に対し、「とっとと安楽死すべき」という重圧が圧し掛かるという事でもある。

 国民皆保険制度のある社会において医療に掛かることは、自身の出費が嵩むだけでは無く、保険制度に加入している全員(要するに全国民)の負担を重くする事にも繋がる。
 求めた医療が高額であればあるほど、自分以外にも多大な負担を掛ける事になる。
 これは安楽死の合法非合法に関わらず、国民皆保険制度において必ず発生する問題である。
 安楽死が合法化された社会を客観的に見る事で、国民皆保険制度の醜悪さが分かるという事である。

安楽死が緩和ケアと混同されて日常化されてしまった現場では、さらに安楽死を「偽装」する形で――つまり医師の勝手な判断でモルヒネの量を増やし――患者を死なせる行為までがなされている。医師が「モルヒネ・シャンパンで行こう!」とジョーク交じりに安楽死の偽装を簡単に決めてしまう文化が浸透した現場では、それに抵抗したり異を唱えたりする職員には同僚からの同調圧力がかかり、非難が集まる。

出典:引用した記事、ベルギーの惨状より

 日本にも「安楽死制度を考える会」といった死の集団が跋扈している。
 この様な集団を支持する行為は、日本の医療にも“モルヒネ・シャンパン”を齎す行為に他ならない。


 「死ぬ権利」とか言い出すキチガイが存在する。
 勘違いも甚だしい。何人たりともその様な権利は有しない。
 有するのは、「生きる義務」である。
 無論、人は「生きる権利」を有する訳だが、それ以上に生きる行為は「義務」である。
 死とは、「受け入れなければならないもの」であると同時に、「致し方無いもの」である。
 「致し方無く」、人はいつか死ぬのである。
 「致し方無く」死ぬ瞬間まで、人はこの世に生を受けた事に感謝し、生かしてくれる全てに感謝せねばならない。
 「生を全うする」
 「誰しもが生きる権利と義務を有する」
 道徳の根源である。

 不治の病に苦しむ人を見て、「早く楽にしてあげたい」と思うのが人情というものである。
 だが、その様な時にこそ、人は感情に流されてはならない。
 その様な時にこそ、真の道徳が問われるのである。


※補足①:詐欺師に騙されている人

 左翼、全体主義というのは、詐欺師の一形態という見方が可能である。
 つまり裏を返せば、「左派」と呼ばれる人達の殆どは騙されているだけとも言える。
 この様な騙されている人を何と呼ぶか。
 一人を指す場合は「愚図」、複数を指す場合は「愚図共」、社会全体といった規模感を指す場合は「愚衆」である。

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