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白鳥静香先生の言葉より 140 世界人権宣言

白鳥静香先生の言葉を紹介します。

白鳥静香先生の言葉より 140 ~世界人権宣言

この本のテーマは美や芸術についてであるので、

この話題を出すことは少し場違いであるかもしれませんが、

みなさんは世界人権宣言というものを
読んだことがおありでしょうか?

世界人権宣言とは、

1948年12月10日の国際連合の第三回総会で採択された
人権についての宣言です。

すべての人が、
生まれながら自由で、尊厳と権利において平等であること。

人種、皮膚の色、性、言語、政治的その他の意見、
国民的もしくは社会的出身、

財産、出生もしくはその他の地位のような
いかなる差別もうけることなく、
(人権宣言にある)権利と自由を享受することができること。

裁判における権利の保障。

すべての人は、思想、良心および宗教の自由を享受する権利が
あること。

また、意見および発表の自由を持っていること。

すべての人は自分や家族の健康と福利のため
充分な生活水準を享受する権利があり、

生活能力の喪失の場合、
つまり自分の力で生きていけないときは
保障を受ける権利があること。

すべての人は、教育を受ける権利があり、

また、文化的生活に参加し、芸術を楽しみ、
科学の進歩とそれの恩恵にあずかる権利があること。

など(ほかにもありますが)、
基本的人権の尊重ということにおいて、

何を目標とし、達成して行かなくてはならないかを
明文化したものです。

私がはじめてこの文章にふれたのは、

まだ子供の頃でしたが、

子供心に「なんて美しい文章なんだろう。」と感動したのを
おぼえています。

(もちろん解説してくれた人がよかったのですが)

夜が明けて太陽が昇ってくるときのような感動といえば
近いでしょうか。

「希望」というもの肌で具体的に感じるような気がしたのです。

私は今でもこの宣言を美しいと思っています。

世界人権宣言はもちろん芸術作品ではありません
から、

見て美しいとか、

聞いて美しいとか

言葉が(文学的に)美しいとかではありませんが、

理想として、とても美しいと思うのです。

現実の世界では歴史上、
差別や非道がなくなったことはありません。

今、この瞬間であっても、

世界のいたるところで、数多くの差別や非道が
行われていることであるでしょう。

ひょっとしたらこの先もなくなることはないのかもしれません。

ひょっとしたら、それが人間の本性でさえあるの
かもしれません。

歴史においては、一歩進んだと思っても、
二歩も三歩も戻るということもあるのです。

(自由と人権の認められていた社会が、
経済危機に直面して、突如ナチスドイツとなったりもしたのです。)

でも、にもかかわらず、

半面、人間は、実際には実現できないほどに
美しい理想を
夢見ることができるのです。

すべての人に等しく権利と尊厳とがあり、
それを何より大切に守らなくてはならないという理想をです。

(二千年前、人類がはじめて仏教やキリスト教に触れたときの
感動もそのようなものであったのかもしれません。
仏教やキリスト教もまた、本来は差別の否定であったのですから。)

そのことが、人間という、

ほかの動物とくらべて、けっして美しくない生き物の
横顔に、

たまにですが、わずかに天使の面影を宿らせているのではないでしょうか?

人間という生き物に、もし美しさがあるとするなら、

そのようなところにこそ、

たまにではあっても、本気で他者の権利や尊厳を
守ろうとするようなところにこそあるのではないでしょうか?

参考文献: 高木八尺 末延三次 宮沢俊義 編 (1957) 『人権宣言集』 岩波書店 岩波文庫

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