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【気づきのミトりごと。】自分を大切にするって。

自分を大切にするって、本当にむずかしい。

今まで自分は、割と好き勝手に生きてきたと思っていたし、
自分勝手に生きてきたと、そう思っていた。
実際そうではあるんだけれど。

けどそれが、自分を"大切にして生きてきたか"というと、
どうもそうではなかったんではないか。

近頃、そんなことにようやく気付き始めたというのが、今回のはなし。

いつも機嫌を伺うように生きてきた。

ある日書店で、「親といるとなぜか苦しい」というタイトルの本が目に入った。するとその瞬間「あぁ…」とまるで深くホッとするような、それでいて肚にするりと降りていくような、そんな不思議と心地よい感覚を覚えた。

本を手にとって、パラパラと読んでみる。
その感覚は確信へと変わった。
そうか……。ボクは、親といると苦しかったんだ。

思えばボクはいつも親の機嫌を伺って生きてきたし、それは親に限らず、たとえば学校の先生とか、友人に対してもそうだった。

母親は直情的で、父親は共感性が低い人だった。だからそれぞれで話の通じにくいところがあって、正直しんどかった。時々自分の怒りの感情が抑えられず、それでいてぶつけるところもない。だから家は心が休まる場所などではなかったし、手放しに心を許せる居場所というのがボクにはほとんど無かったように思う。

話の通じない親に相対しようなんて思わなかった。そんなことをしたら、まるでその場でポツンと置いてかれ、一生放ってかれてしまうんじゃないか、と思うような感覚。そんな感覚が物心ついた時からあったものだから、日々何かと孤独感を感じる子供時代だった。

そんな感覚から逃れるためにしてきたことが"相手の機嫌を伺う"ことだった。思春期の、いわゆる反抗期には、学校に行く以外は自分の部屋に引きこもった時期もあったが、それでも強く反抗はしなかった。

親は心の通じる理解者なんかではなく、真っ直ぐぶつかればむしろ孤独が強く押し寄せ、心をさらってしまう存在。だから自分の部屋に篭っては同じ映画やドラマを観たり、同じ音楽を何度も何度も繰り返し聴いていた。

多分それは、その時だけが唯一心の休まる"居場所"だったからなのだと、今になって思う。

機嫌を伺う生き方は、大人になっても。

とにかく、出来るだけ人の機嫌を損ねないように、波風立たせぬように振る舞って生きてきた。

物心がついたときからそんな調子だったものだから、今でも叱られたり、直情的に迫ってくる人は苦手だ。社会に出てもそれは変わらない。
だから、自分が厳しい世界に身を投じることや、まともに会社勤めをするなんてのは想像も出来なかった。程々なところでいつも生きてきた。

そうやって自分を守りながら生きてきたつもりだったけど、じゃあそれが"自分を大切にすること"だったのかというと、それは違うことなんだということが、本を通して段々と気がついてきた。

嬉しいのに、悲しくなる。

世の中に対して自分はいつも怯えていて、自分が壊れないようにずっと守って生きてきたけれど、その分どこかいつも疲れていた。

相手がご機嫌になってくれると嬉しかったから、人が喜んでくれることが自分の生き甲斐なんだとずっと思っていたけれど、喜びと同時に何故か悲しい気持ちにもよくなった。

褒められたりすると嬉しいのに、それでいて悲しさを感じてしまう。なんだろうこれは。どうしてそうなるんだろう。長い間それがずっとわからなかった。

でも今回の出来事をきっかけに、ようやく少しわかってきた気がする。
自分を二の次にして、自分を後回しにして、自分を本当には大切にしていなかった。だから、悲しくなっていたのだ。誰かを喜ばせるとき、そこには自分が居なかったのだ。

それは、とても寂しく、疲れること。

自分を大切にするって、なんだろう。

自分を守ることと、自分を大切にすることは一緒のように思うけど、どうやら違うことらしい。

確かに、自分を大切にしていないと、よく変なところで自分勝手が出てしまうことがあった。

悪いタイミングで病気になったり、怪我をしたり。機嫌が悪い状態が続いたり、気持ちが落ち着かなかったり。挙句には一番恐れているはずの、人に迷惑をかけ始めたり、思わぬカタチで相手を傷つけてしまったりもする。

自分を守ってはいても、自分を大切に出来ていないと、結局何かのカタチで迷惑をかけてしまうようだ。。。

まず自分が人生を楽しまなきゃいけない。なんて話はよく聞くけど、さらに自分勝手になって良いのか??と思うと、自分を大切にすることの意味がわからなくなった。

身体を楽にすることに、時間をかける。

ボクは「アレクサンダーテクニーク」という俳優や演奏者に向けた身体の使い方メソッドを学んでいるのだが、そこで先生が「他人がいても、常に自分の身体を楽にさせようと思うことに、もっと時間をかけても良いと思いますよ」と言われてハッとなった。

家に帰ると疲れて横になって休むことが多かったけど、積極的に自分の身体を快適にしようとはしていなかった。

なるほど、、、本当に自分を大切にするっていうのは、そういうところからなのかも。

なかなかわからなかった「自分を大切にする」の意味が、ようやく少し掴み始めた瞬間だった。

それでもまだまだ「自分を大切にする」ことはむずかしい。

物心ついた時から相手のご機嫌ファーストが自分の行動基準だったものだから、他人といながら自分の心地よさを優先するなんて、そう簡単には出来ない。

でも、人といる時にいつも相手の機嫌を伺っていて、どこかでいつも怯えている自分を考えると、それは悲しい。とても悲しく思えた。

そんな自分のままじゃあ、いつまで経っても悲しい気持ちが寄せては返してを繰り返してしまう。

だから、まずは自分を身体の心地よさから大切にしてみようと思う。

本当の安らぎは、きっとそこにある気がする。


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