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21歳「ありがとう」じゃ足りないけど、やっぱり「ありがとう」

先日、21歳の誕生日を迎えられました。
本当に、「迎えられました」です。沢山の方がいてくれてこその誕生日だな、と思っています。

2001年に生まれて、ここまで、とんでもないくらい、やばい(語彙力なくてすみません)人生を生きてきました。

前にいたシェルターの心理士さんに「ゆうさん、20歳までなんとか生きてきたし、なんとかしてきたんだね」と言われました。

幼少期から家を出るまで虐待・面前DV、中1で医療保護入院で身体抑制、高2で強迫性障害に、20歳で自閉症スペクトラム障害、若者ケアラーして、メニエール病に、甲状腺疾患。書いてる私はそんなもんだろって思うけど、他者が見たら結構やばい経歴らしいです(笑)

こんな人生を私はやってのけてきたみたいです。
これからは、もう、大丈夫、な訳ないけど、底力と図太さはあると信じたい(笑)

この底力と図太さを認められ生かせるのは、今周りにいてくれる、血の繋がり以上の意味を持つ沢山のパパ、ママ、姉ちゃん、兄ちゃんたち家族です。ありがとう。

私が、私の人生を歩み始めたのは、今年の冬。

「目の前で震えているこの子をどうにかして守ってあげたい」

そう言ってくれた方(今の家族)たちとの出逢いから、私の人生は変わりました。

泣き崩れる私を支えて抱きしめてくれたH・TさんとK・Kさん。
スキンシップではなく、言葉や関わりで抱きしめてくれた、N・Tさん、Fさん、Nさん、N・Kさん、Sさん、Aさん、M・Kさん、Wさん、A・Kさん、Hさん。もちろん、スキンシップで抱きしめてくれたH・Tさん、K・Kさんも言葉や関わりでも抱きしめてくれました。

修羅場に笑いをもたらしてくれた、施設の責任者のNさん(笑)すごいですよね。ほんとにありがとう。

周りの方を試すようなことをしたり、「自傷行為はダメ」というシェルターのルールを守れなかったり。
とんでもないやつなのに、ずっと待っていてくれました。いやむしろ、苦手なこと、怖いことは強要されなかったし、一緒に考えてくれたり、「大丈夫だよ」って安心させてくれました。

ありがとうの言葉では足りないね。でもありがとう。

シェルターの方も、シェルターの外で関わってくれる方も、今の住まいの管理人さんも(みんな家族だね)口を揃えて言うのは、「私たちは支援者じゃないんだよね、仕事だからゆうさんに関わってる訳ではないんだよね」という言葉です。

仕事だから私と関わってくれるのではなく、人として関わってくれていることが伝わってきます。「親心なのかな、ゆうさんが可愛いかったんだよね」と言う方もいます。

元親と暮らすくらいなら、もう何もなくなっていいと思っていました。

でも沢山の優しさと何にも代え難い愛情をもらいました。

私自身も少しずつ変わってきています。
困っていること、伝えられるようになりつつあります。
自分の思いを整理する力が少しずつ、ついてきました。
信頼できる方に甘えることもできるようになりました。
信頼できる方(友人含む)とそうでない方との関わり方が違ってもいいと思えるようになりました。全員に一生懸命関わるのではなく、グループワークなどでは営業用?(言葉が悪くてすみません)で冷静な話し方、中間の方には大人として失礼のないように、ということを心がけた関わり方、信頼できる方には素のテンションで関わりたいと思いました。

疲れたら休んでもいい、と思えることが増えました。

失敗しても、代替策を考えられることが増えました。勿論疲れが溜まっていたらパニックにはなりますが、パニックになってもクヨクヨしないように心がけています。

なにより、笑顔が増えました。

生きていていいのかはまだイマイチわかりませんが、信頼できる方とお話するとき笑顔で話せます。

上を向くことも、話すことも、シェルターの自分の部屋を出ることも、窓やカーテンを開けることもままならなかった、あの日。あれから数ヶ月経って少しずつ変わっていけてます。

家から逃げる選択が「正解」かなんて誰にもわからないよね。

でも、

家から逃げて「良かった」っていう実感は本当だよ。

ありがとうの言葉じゃ足りないけど、ありがとう。

私の人生は大切な沢山のパパ、ママ、姉ちゃん、兄ちゃんたちとの出逢いから始まったよ。

ありがとう。これからもよろしくね!

お付き合いありがとうございました。

21歳、おめでとう私。ありがとう、みんな🥰

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