障害名はその人そのものなのかな

連日、生々しい複雑性PTSD関連の記事を書きまくっていたので、
今回は、主に自閉症スペクトラム障害(ASD)とその2次障害について。

悩みとしては割と根深いものですが、最近の記事の中では、割とマイルドなはず(と信じてる)


障害名はその人の全てを表せるのか

私は違うと思うようになりました。


では…

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

あなたの
病名は?

・甲状腺関連の自己免疫疾患(実は色々とよくわからなくなってきたんです。)

・気管支喘息

・メニエール病

です。


例えば、〇〇さんを構成する要素は

気管支喘息のみです!

とは思わないですよね?


では、私の障害名は?

・自閉症スペクトラム障害(ASD)

・恐らくASDの2次障害として、
強迫性障害

・複雑性PTSD

私は、自閉症スペクトラム障害(ASD)と診断されてから(というか自ら疑いをかけ始めてから)、
「私はASDです。」と思うように、
言うようになりました。
(自ら、障害を受け入れようとしたのはいろんな理由があります。いいこともあり、悲しい理由もあり)


私=ASD

ASD特性が私を語る全て。

意識せずともこう思うようになりました。


「ASDの人はこういう人だ!」とよく言われること

人に関心がない

表情がない(視線が合わないことも含みます)

コミュニケーションが苦手

空気を読むのが苦手

曖昧な表現が苦手、冗談がわからない。

先が読めないこと、予定変更が苦手

不安になるとパニックを起こす

こだわりが強い

特定のことに強い興味を抱き膨大な知識を有することもある

etc…

これは、ネットでASDの特性を調べた時、また、発達障害を学ぶ授業の教科書にも書かれていました。


大まかに、ざっと、言うとそうなのかも。

でもね、

これが、全てじゃない。

そして、「ASDの人とはこうである」と
断言するように書かれてしまうのは悲しい。

人を障害名の枠に当てはめてしまうことに
繋がりやすいと思うんです、どうしても。

私のような当事者自身さえも、教育や福祉、医療の現場で、当事者を支援する方も、社会で共に生きる人たちも。
人を障害名という枠にあてはめやすくなることは、どうしてもあると思いました。




先程書いたことに私個人の気持ちを補足しますね。

人に関心がない
→(私は)「人と上手く関われた」という経験乏しいことや、自分の言動に自信がない故に、他者とどう関わっていいかわからなくて、上手く話せません。

表情がない
→(私は)自分の感情を認識しづらい瞬間があります。後は、初めての人や場所、ものへの緊張が強いので、無表情もしくは表情が物凄く固くなることがあります。


コミュニケーションが苦手
→人に関心がないの項目で書いたことと重複するのですが、(私は)話すことにとにかく自信がないです。表情がないの項目にも書きましたが、とにかく緊張も強い。

また、「私の場合」という言葉を強くアピールさせていただきたいのですが、とにかく衝動性が強過ぎて、中高時代、会話が成り立たなかったり出し抜けに答えてしまい、後悔した経験が多く、大勢と話すことは辛いです。基本は一対一がいいです。後、心因性吃音のような症状もあって、
1文字目を繰り返したり、難発になったりと、
不安感が強いと言葉云々ではなく、音声にならなくなります。(これも私の場合です)

そしてね、
めちゃくちゃ悩んでいます。人との関わりやコミュニケーションの難しさに。

なんとも思ってはいないんです。平気じゃないけど、どうしたらいいかわからなくて、子ども時代は同じようなミスを何度も繰り返していました。

これは勿論、私も悩んでいますし、多くの当事者の方も悩まれることだと思います。発達段階や年齢によって、悩み方は異なるにせよ、
本当に悩んでいます。このことについて。
これだけは伝えさせて下さい。

私の場合は、同年代のようにできないことに。
出来ているように見えてもズレを感じていたり。話し終わったあと、肩に力が入り過ぎていたせいでふらふらになっていたり。


空気を読むのが苦手
→これはなぁ。うん。苦手です、私は。
空気を読めという風潮も苦手なのですが。

どんな人も、大まかには察することが出来ても、伝えないと伝わらないですよね。

これは、ほんとに私の喫緊の課題でもあるんです。
察してもらえて、わかってもらえて当然ではないことはわかっていても、
気づこうとしてくれて、何らかのサインに
気づいてもらえて、嬉しい。
そして、サインに気づいてほしい。そう思ってしまいます。

以前記事に書いたことではありますが、
何かを伝える時、感情に圧倒されずに言葉にして伝えていけるようにせないかんな。
こんな自分も恥ずかしいけど、出来ないなら、少しでもスムーズに出来るように練習するしかない。

あとは、暗黙のルールとか目配せをキャッチできない人(俗に言う空気を読めない人)を仲間外れにするのは、おかしいと思います。

それは、うん。
だって、仲間外れは、れっきとした、
いじめだと私は思うので。


上記の伝え方の問題を除き、

空気を読める、読めないというよりかは、
次の項目で私は凄く悩みます。


曖昧な表現が苦手、冗談がわからない

①曖昧な表現が苦手
→(あくまでも私の例)

以下はバイト先での上司とのやり取りのエピソードです。

「優葵さん、(物品補充を)ささっとやっといてね。」とバイト先の上司から指示がありました。
「ささっと」ですね、でも、補充する時にはルールがあるよね、ルール通りに順番を守って補充しようとすると、ささっとは難し過ぎる…

ささっと、ってどうすればいいの????
えええええ?と大混乱します、、、

とにかく速く補充することが大切なの?
順番を守って補充ことが大切なの?
今はどちらに比重をかければいいの?

となります。

どちらも、均等にバランス良くは、周りで長年働かれている先輩方を見ても難しいのはわかりました。


同じことを意味するご指示でも、
よく話す先輩:「優葵さん!これ、多分すぐなくなるから補充の時の順番守らなくて
大丈夫!今日は順番よりスピード重視で!」このように具体的に伝えて下さると助かります。
〇〇さん、いつも具体的なご指示をしてくださって、本当に助かります。ありがとうございます。

②冗談がわからない
→(私の場合)

以下は入院中の看護師さんとのやり取りのエピソードです。
(勿論、以下は信頼関係をその看護師さんと築けている段階でのやり取りです)

私が困りごとを伝えた後、

看護師さん: 「優葵ちゃん、死にたいなんて言ったら怒るわよ〜、事件の日、ステーションが騒然としたからね(笑)」
「あの日はステーション、やっぱり騒然したんだ…笑
うん?え、そんなこと言わないで、伝えても怒らないで…そんなすぐには気持ちを変えられないよ…」と心の中で思って私は黙ってしまった

次、その方が担当してくださった時

看護師さん:「死にたいなんて言ったらお母さん(その看護師さんのこと)怒るわよ〜」

あ、こりゃ100%「怒るわよ〜」は冗談だ。

もしかして前のときも冗談だったのかな…?笑
そう言えば前も、〇〇さん(その看護師さん)、ふざけた感じで言ってたたかもしれない…笑

通じない!!

面倒くさい自分…

こちらで悩みます。

怒ったりすることは無いのですが…とにかく冗談が通じないせいで、不安定になってしまうので、自分に困る…


あ、段々とエピソードが絡みすぎて、ややこしくなってしまいました…ごめんなさい🙏

次、行きます

先が読めないこと、予定変更が苦手
→(私は)この2つの苦手さは直結していて、ただ、ASDの特性だけがきっかけではないかもしれないと思っています。
私の場合は、生育歴も絡んでそうかな…
日々が混沌としていたり、連続性が無いのもあるので…

因みに、視覚的に手順を示すのは特別支援教育の教材で凄く多いな、と思いました。

朝の会
① 〇〇
② △△



1時間目 国語
〇〇を用意
(前日から言われている)漢字の小テストあり

2時間目 数学
〇〇を用意

3時間目 英語
グループになって英語を使ったゲームをします。

各々異なるとは思うのですが、用意するものや、授業の内容の視覚的な予告は大切ですね。
(↑は自分の中学時代(情緒特別支援学級在籍時)の例です。大分端折ったし、授業内容などは今この場で考えました)

これは、ASDに限らずら、子どもたちと関わる中で、次の活動を予想しながら動けるように援助することは大切だな、と思ったので
敢えて詳しく書かせていただきました。


不安になるとパニックを起こす
→(私の場合)これは、止められないんです。そして、周りを驚かせてしまっていることに対して、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
悩んでいます。そんな自分との付き合い方に、とても。


こだわりが強い
→(私の場合)なんでそんなことにこだわるの?と言われなくなった瞬間にだいぶこだわりへの困り感が軽減しました。
「こだわっては、ダメ、バカバカしいことに」と言われなくなったら、逆にこだわらなくなったことが沢山ありました(笑)

年齢とともに軽減されたこともありましたし。
ただ、「ねばならぬ」、「〜すべき」、「〜であるべき」と思うのが、
なかなかやめられないかな…

とりあえずは、このことを他人に押し付けないように、だよね…


↑のこだわりの強さや対人関係などならのつまずきを故に、ASDがある方は強迫性障害を2次障害として併発しやすい、ということは、発達障害者の指導という授業で習いました。

これは、私にはバッチリ当てはまりました。
というか、腑に落ちました。
実は、強迫性障害の方が先に診断がついていたんですよね…

でも、みんながみんな、ではないし、
ASDの方が強迫性障害を後に発症されて、私と同じように感じるかは人それぞれだと思います。

特定のことに強い興味を抱き、膨大な知識を有することもある
→(私の場合)うーん。興味を持っていることがなんにせよ、そのことを頭から否定しないでほしいな…あと、知識は膨大にはないですね(笑)好きだから調べるし苦手なことより覚えられるけど…😅

興味を持っていることを手がかりに、視野を広げてもらえるのが私は安心します。

全く初めてのことや知らないことに取り組むのは、緊張や怖さがあるので。

例ばかりでごめんなさい!

私はJ-POPが好きなのですが…

好きなアーティストがカバーした曲から、
元々その歌を歌われていたアーティストさんに興味を持って、好きなアーティストが増えていく、とか…


長ったらしく書いた上の補足は、全て私個人の場合なんです。

そして、私はわたしのことをASD特性だけでは語りきれないと思っていますし、

他者を見るときに、ASDの方だから、〇〇なのかな?と思うこと、ASDメガネ?(造語(勝手に作りました))をかけて見ることは、その人を見えなくしてしまうのでは?と思うようになりました。

たとえば、

「優葵さん、ASDで聴覚優位だから、音楽聴くのが好きなんでしょ?てか、視覚優位じゃなくても本読めるんだ〜」って他の人から言われたら(実は↑の文章、自らに対して
一時期本気で思ってたことなんです…)、

あれ?じゃあ、下手すると聴覚優位じゃないと音楽は好きじゃないし、視覚優位じゃないと読書しない人になっちゃうよね??根本的に…と思いました。

そうやって自分や他者を見るのは勿体無いよな。

知識だけじゃなくて、目立つ特性だけじゃなくて、

その人の人となりを知りたいよね。


と思いました。

というか、補足だけで、
こんなにツッコミたくなるのが私です…笑

ASDの人はみんな、「〇〇が苦手!」ではなく、そして、例え同じ「〇〇」に対して苦手感はあっても、苦手感の中身や理由は異なるはずだと、私は思います。


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実は

この記事を書きたいな、と思ったのは、

本やインターネットによく記載されている、目立ちやすい特性の枠に、私やASDの方たちをはめないでください、という気持ちを伝えたかったことと、

特性、苦手さ
自分がそう捉えていたことを、他者も同じように捉えている訳ではないのかもしれないということに気づく経験をしたからです。


エピソードに登場された

「お母さん(その看護師さん)怒るわよ」と冗談を言ってくださった、
看護師さんのBさんから

「耳からの情報とか言葉から色んなことを感じ過ぎたり、人と上手く関われないと思って、先読みして行動したら上手く行かなかった、ってさっき優葵ちゃんは言ってたよね。
今は、それでASDって診断がつくようになったけど、きっと感受性が豊かっていう、
優葵ちゃんの個性なんだよね?」と言われた時、

「感受性が豊か?まさか?私が?」と思いました。

そして、いつ何時も付き纏う「個性」という言葉をどう受け止めるかに関する悩み。

感受性が豊か。ネットや教科書には書いてないね。

ASDの診断基準を私は満たしているし、
当たり前だけど、感受性という言葉で特性の全てを括り、解決することは出来ないよ。

Bさんは、心理学的な根拠に基づいて、ではなく、目の前にいる私一人に向かって、
Bさんとしての言葉をかけて下さったんだよね。
心理学的な根拠じゃないことはBさんご本人も恐らくご理解の上。

多くの人が納得出来る、根拠なんてないのかもしれない。

でも、笑うことは好きだもんな私。

人の気持ちに上手く気付なかったっていう
後悔からも、人との関わりに悩んでるよな、私。

私に対して、そういう見方をする人もいるのか…

「ASD=個性」問題は横に置いて、

特性や苦手さだと感じていたことも、
他の誰かから見たら、また違うものに見えるのかもしれない。

特性、苦手、IQ。

ASDの特性を伝える上では使われる言葉たち。

ASDなど発達障害の診断の中では
知能検査(WISC(大まかに子ども向け(適用開始年齢を忘れてしまった))や
WAIS(17歳以上〜成人向け))で出た各IQの間の得点差が大きい、ということが基準の一つになるそうです。

私はえげつなく、得点差があります。


でも、それがわたしの全てではない。

知能検査で出せる得点で語れることはそんなに多くないはず(だよね?)

「感受性」っていう言葉をかけて下さったBさんのように、自分が特性や苦手さと思っていたことに対して、また異なった見方をされる方もいる。優しさを伴う意味でもそうでない意味でも。


だから。

私は、ASDです

いえいえ、

わたしを構成する割とデカ目のピースの一つにASDがあります!


と思うようにします。

だから、

私は、障害名=その人の全て

ではないと思って、これからを生きて行きます。(宣言)

最後までお読み下さってありがとうございました🥰🙌


この記事も、一当事者の想いです。

病気や障害の有無に関わらず、
色んな想いを持つ方がいることを知っていてほしいし、私自身、これからも多様な想いを感じていきたいです。

「一当事者の想い」として、
誰かに届いて、少しでも何かの際に
お役に立てたらいいなと思っています☺

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