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拝啓・クリエイター様。著作権の呪縛に囚われないで


著作権の呪縛?

あぁ、また真似された。パクられた…。せっかく一所懸命考えて作ったのに。自分の子供みたいに可愛がっているのに。

クリエイターの嘆きが聞こえてくる。

確かに世の中には悪い奴がいる。他人の褌で相撲を取って小金を稼いでる奴もいるんだろう。僕も文章を書いているからわかる。モヤッとすることもある。

でもね。そういうことに心を引きずられて、やる気が失せる、アイデアが濁る、クオリティが落ちる…。

そっちの方がもったいなくない?

非常識な輩はいる。こずるい奴もいる。そういう奴らはいつの時代もはびこっている。残念ながらいなくなることはない。

だから、そんな奴らに惑わされることなく自分の作品を作り続けて欲しいんだよね。もっと新しいものを。もっと価値のあるものを。それを生み出せるのはあなたしかいないんだから。

著作権は脆弱で不安定な権利

僕も知的財産の世界にいるけれど、著作権は脆弱で不安定な権利だと感じる。

僕が産業財産権(例えば特許権や商標権)ばかりを扱っているから、そう感じてしまうのかもしれないんだけど。産業財産権と比べると、著作権は権利の登録や権利内容の公示という面で、心もとなく感じてしまうんだよね。

自分の作品が著作物なのか。どこまで著作権を主張できるのか。逆に、誰が著作権を持っているのか。どこまでが著作権の範囲で、どこまでやったら他人の権利を侵害することになるのか。著作権の世界はこういうことがブラックボックスだ。裁判をしてみなきゃわからない。

そもそも、著作権で保護されるのは「具体的な表現」だけ。その作品の中にあるコンセプトや思想も、キャラクターも、作風や画風も護ってはもらえない。護ってもらうには法律の限界があるし、仮に法律で護ってもらえたとしても、時間も金も手間もかかる。

「著作権の呪縛」に囚われず、自分の創作活動に専念する

そんな状況の中で、パクリ野郎を恨んでモグラ叩きを続けますか?

そんなことに縛られていたら、精神的に参ってしまうよ。良い創作もできなくなってしまうよ。

自分も誰かの作品を見て創作意欲を喚起されることはある。それは自分の作品の中に血肉として取り込まれているんだと思う。同じ時代を生きているんだから、同じようなことを思いつく人だっているだろう。

そんなことを考えていたら、細かいことを気にしてもしゃーねーな、と…(苦笑)

他人のことは制御できない。それを制御しようと思った瞬間に不幸に陥る。
だから、まずは自分ができることをしっかりやる。「著作権の呪縛」なんかに囚われず、自分の創作活動に専念するのが大事だと思うんだ。