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[読書メモ] 二千年紀の社会と思想① / 見田宗介 大澤真幸

現代社会の理論と「可能なる革命」 有限性の時代へ向けて

西暦1001年~2000年(11世紀~20世紀)における社会と思想から、次の三千年紀に向けた創造を促す書籍。第一章では、日本の社会学者である見田宗介と大澤真幸の対談形式で、これまでの社会思想とこれからの社会思想の変革の可能性を探る。高度経済成長と人間の社会思想のギャップから生じてきた継続的な課題を改めて再認識できる。

「文化の遅滞(cultural lag)」という、文化は社会構造から遅れるという社会学の理論がありますが、それに倣えば「value lag」とでもいいますか、客観的な経済構造から遅れた、前の価値観を引き継ぐという構造があると思います。

二千年紀の社会と思想|P.13

・文化的遅滞(cultural lag):アメリカの社会学者W.F.オグバーンの仮説。物質文化と非物質文化の変化速度のギャップが生み出す社会の不調和のこと

文化や経済とそれらに関連する価値は、物質が変化する準備が出来ているのに(例えば技術革新が起こっているのに)、人間の気持ちの変化が付いてこれない状態になること。これは現代社会で非常によく起こる現象。

男が外に出て働き、女が銃後の支えとなるという家族の形態が、経済成長が必要な社会における競争にとってたいへん機能的だった。<中略>成長という枷がなくなったとき、自由と平等という近代の理念がはじめて、実現しうるものになった

二千年紀の社会と思想|P.26

現代で起きている思想の転換期が正確に言語化されている。

ヘーゲルは、「遠くを見ることが哲学者の任務である。だが、遠くだけを見てしまうのが哲学者の危ういところである」という

二千年紀の社会と思想|P.33

・ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル:近代ドイツの哲学者。唯物論を提唱し、マルクスにも影響を与えた
・哲学:世界や人生の究極の根本原理を客観的・理性的に追求する学問
・唯物論:自然や物質が世界を構成されるうえでの根源的なものとみなし、そのような物質を最高原理とする認識論上の思想。対極するものに唯心論(概念論)がある

理想論を追求し過ぎて、現実が見れなくなる危うさを説いているのかもしれない。理想的な状態を実現するためには、理想と現実のギャップを埋めるための現実的なプロセスが必要になる。

長期的には「情報化」による資源消費の抑制には限界があります。<中略>資源消費なき成長には限界があるわけで、基本的には成長神話自体を転換しないと人類は救われないということです。

二千年紀の社会と思想|P.38

1970年~1990年の情報化によって資源消費が抑制されているかに見えたが、2000年以降の資源消費の増加傾向からその限界が見えてきた。資本主義社会によって消費社会が加速したが、情報化だけでは消費社会の歯止めは効かないということ。このような社会課題を解決するために、SDGsやESGといった社会の行動指針や評価基準が重要視され始めている。

・SDGs(Sustainable Development Goals):2015年に国際連合が採択したより良い社会を実現・継続するための持続可能な17の開発目標
・ESG(Environment, Social, Governance):企業や投資家が持続可能性を評価するための基準や指標

フルコスト・プライシングというのは素晴らしいアイディアですが、リスク社会のリスクには100パーセントは対応できないということ

二千年紀の社会と思想|P.44

・フルコスト・プライシング:製品やサービスの価格を設定する際に、その製品やサービスが社会や環境に与える負の影響を含めた全てのコストを考慮すること。製品やサービスの価格が社会的に適正であり、持続可能な経済活動を促進することが期待できる。

フルコスト・プライシングは、SDGsやESGに沿った考え方と言える。プロダクトやサービスを開発する上で、このような考え方は健全に機能すると思われる。
一方で、原子力発電所のようなケースではフルコスト・プライシングは無限大に近いプライシングがされてしまい値づけが出来ない。

「グローバル」とはもともと「球形の」という意味です。球は幾何学的にも興味深く、たとえば古代ギリシャ人は無限を円で表しました。球はもっと完全な無限です。<中略>無限だけれど有限でもある。

二千年紀の社会と思想|P.55

地球を無限の概念だけで捉えてしまうと、資源が無限にあると勘違いしてしまう。

いかに資本主義が洗練されてきても、その根幹部分で克服できていない貧困や資源問題が、ある瞬間一挙に爆発して資本主義を揺るがす。

二千年紀の社会と思想|P.60

これは、あらゆる場面において大多数の人が意識できていないので注意したい。表面的に解決したことは、根本的には解決できていないことが多い。問題に蓋をして根本課題の解決を後ろ倒ししてしまうと、忘れたころに問題が爆発する。

よく江戸時代について、ゼロ成長社会だったことがいわれますが、日本に限らず、伝統社会では、安定した秩序があるときには、社会は定常状態にある。大きな変化があるときは、社会が不安定になり、秩序が崩壊するときです。

二千年紀の社会と思想|P.66

資本主義をベースとした高度な経済成長は、長きにわたって不安定な時代だったと言える。資本主義社会の限界、すなわち秩序の崩壊はすでに始まっていて、大きなゲームチェンジが起こる兆しがある。市場価値や経済価値におけるカネという物差しが変わる可能性もある。

資本主義というのは、市場経済のことで、三つの生産要素(資本、土地、労働力)を商品とする市場が存在していることを特徴としているシステムです。<中略>従来の資本主義は、大きな経済成長が継続している限りで存続でき、成長が止まると破綻(不況、恐慌)するシステムでした。

二千年紀の社会と思想|P.67

この特徴が、ポスト資本主義あるいは資本主義に代わる市場においては絶対的な要素でなくなる可能性がある。労働力はITやAIによってヒト以外の労働力で代替され、土地は物理的なもの以外(バーチャルな土地)まで拡大したりするかもしれない。

・ポスト資本主義(Post-capitalism):資本主義の特徴である利益追求や市場経済のみならず、より包括的な社会的、環境的、倫理的な観点を考慮した経済システムを探求する概念

大きな経済成長を宿命とするようなシステムを克服できるか、資源の大量消費や環境破壊、そして他人の労働の搾取を伴うシステムを克服できるかであって、克服後のシステムもまた、なお広義の資本主義なのかもしれません。

二千年紀の社会と思想|P.68

まさに「ポスト資本主義」を表す説明。フルコスト・プライシング等を用いた新たな経済システムも、広義の資本主義になりうる。

ゴミがゴミをお互いに支え合うようなシステムは、向こうのゴミを支えるために、俺のゴミがあるというシステムです。別のいい方をすれば、バーチャルな仕事を支えるための別のバーチャルな仕事になっていて、生きることの意味がどこにあるのかが、わからなくなっている。

二千年紀の社会と思想|P.79

とても示唆に富んでいる。お金のために仕事をすることも、結局はバーチャルな概念目標のために本来無くてもよい仕事をしている場合がある。既存の価値観の延長で盲目的な経済成長を求めるのではなく、本来目指すべき社会思想を持ってしっかり目標を見据えて生活するためには、ソクラテス哲学の「善く生きる」を改めて自分自身で考え直す時期かもしれない。

近代的時間というのは、そのままのかたちでは、まさに成長社会を支える論理やイデオロギーになっていきますが、それを極限まで追いつめていったときに、未来を現在のうちに体験する論理として使えないだろうかと、思ったんですよ。

二千年紀の社会と思想|P.84

・近代的時間:産業化や都市化といった近代化プロセスによって生み出された時間の概念。直線性、計量可能性、抽象性を特徴とする。
・タイパ(タイムパフォーマンス):時間対効果。費やした時間に対する価値や満足度の度合い

近代的時間の概念は、現代のタイパの価値観にもつながっていると考えられる。この時間概念を追求していけば、未来に不可避の課題を現時点で追体験して早い段階で回避策を講じることができるかもしれない。

「悔い改めよ。神の国は近づいた」というタイプの訴えは、人にどこか余裕をつくるからです。「未来に危険なことがあるから、止めよう」というと、
「危険はいまではない」、ということになってしまって、リアルな問題として考えられないのですね。

二千年紀の社会と思想|P.85

ネイティブ・インディアンのイロコイ族の教えに、どんなことでも7世代先まで考えて決定するべき(In our every deliberation, we must consider the impact of our decisions on the next seven generations.)というものがある。人間は自分さえ良ければいいと考えてしまう弱い生き物だが、自分自身の子供や孫の世代まで考えて意思決定や行動をするマインドを持ちたい。


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