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エピソード・ドリンク

エピソード食の仲間として

 食欲のなくなった母に、なんとか少しでも食べてもらおうと、思い出とつながった食品(エピソード食)を調達していた、という話のつづき。

 エピソード食の用意は、企画したものの、イマイチうまく行かなかったり思いの外うまく行ったり、あれこれアップダウンのあることでもありました。

 例えば緑茶。子供の頃、我が家で飲んでいた緑茶は異常に美味しいもので、あたしは外でお茶をいただくと、その味気なさにびっくりしたものです(今は何でも気にしません!)。

 父が週の半分静岡県で仕事していた関係で、そこから「ぐり茶」を取り寄せていたんですよね。お湯の温度なんかも気を使ってお客様にお茶を出すように教育されておりました。
 同じものをガキがふだんから飲んでいたってことです。

 そういう高級志向は、すべて、あの、その、独立後のビンボーと一緒に吹き飛んでおりますけどね。あたしの場合(笑)。

 コーヒーも、焙煎まではやりませんけど、人数分の豆をドイツ製の無骨なコーヒーミルのハンドルを回して、ゴリゴリ挽いて、カリタでドリップするのがあたしたちの仕事でした。
 台所の安っぽいデコ板のテーブルに金属のミルが設置してありました。コーヒーミルの重量感にテーブルが負けているところが戦後日本でございます!

 豆を挽く時にテーブルががたがた言うのを押さえつけてこの作業をやってました。かなりの重労働です。パーコレーターが家にあったこともありました。

 全部父の趣味です。お紅茶はポットに、母の手編みのコージーをかぶせて蒸らして淹れていたんだわ、そう言えば。
 
 つまり飲み物全般、そこそこレベルが高いものを飲んでいた家だったんですね。父が死んでからの28年間で、そういうこだわりはゆるく崩壊してたかと思いますが(経済が持たんものなあ)、でも、味はわかる、という文化は残っていたわけです。

父と一緒に飲んでいたものを味わう

病院食事の時に出てくるほうじ茶は香りのない茶色い液体なので、母は不満でした。
 あたしは弟に頼んで家の茶葉を持って来てもらいました。

 小さい茶筒にまだ残っていました。5回分ぐらいかな。新しくお取り寄せをする暇はありませんから、それを大事に淹れていました。
 眠れなくなるからと言うので、毎日は使わないでいました。
 

 静岡から従兄たちがお見舞いに来てくれた時に、父の好物だった栗蒸羊羹を持って来てくれたのですが、それとこのお茶の組み合わせなどは、エピソード食の際たるものでした。
 「パパはこれ、好きだったねえ」「好きだった好きだった」などと話合いながら、ほんのちょっと食べて、楽しかったことなど思い出すのです。

 このぐり茶と、例の超高級塩昆布と、梅干しとで、温かい梅こぶ茶を作ってあげたこともあります。これはほんとに美味しかったと思います。母はとても喜んでいました。

 だけど高級ぐり茶は間もなくなくなってしまい、2度目に「梅こぶ茶」をおねだりされた時には我が家の知覧茶で作りました・・・・。母はスプーンからひとくち飲んで「むずかしいわねえ」と言ったのです。

 はい。むずかしいでございますよ。まったく。エピソード食は、それが「思い出の味」であることが大事なのです。知覧のお茶だって不味くはないとおもいますけどもね。

りんごジュースは故郷への旅の思い出

 リクエストされたものの中に、「りんごジュース」もあります。あたしは最初それは北海道の叔母が以前に送ってくれた「りんごのほっぺ」の事だと思っていました。

 だからあたしも弟も果汁100%のそれなりに高級なもの(水や砂糖を一切加えていない系?)を近所で買って来たんですが、どうもイメージしていたのはそうではないらしい。「飛行機の中で飲むような、シンプルな、さっぱりした、透き通ったりんごジュース」なーんて言うのです。


 「飛行機?ANAなの?JALなの?」と質問しますが、はっきりしない。
 母はよく故郷の北海道に帰るために飛行機に乗ってはおりました。

 結論をいいますと、母が求めていた味は、「トロピカーナ」のアップルジュースでした。
 ANAのサイトにはブランドの手掛かりになるような写真はありません。JALのサイトを今見ますと、ミニッツメイドが写っております。
 だけどあたしが病院で検索した時にはこれがトロピカーナだったような気がするのです。

 それで、ためしにトロピカーナを買って行ったら、これがドンピシャリだったんですよね。ドールのモノでは気に入りませんでした。ミニッツメイドは試していませんが・・・・・さて、どうだったんだろう?あたしが検索した時の写真も今見当たらないのが不思議ですが。


 ともあれ、母のイメージのりんごジュースはトロピカーナでした。これにたどりついた時は、ごくごく、驚くほど飲んでいました。
 あたしたちはこれを製氷皿で凍らせて、なにも食欲がない時にもひとつぶふたつぶ口に入れてもらったりしました。

 コーヒーは何と言っても、それを飲む前の、部屋に漂う香りが命です。病人にとっても、香りは大事な刺激だと思います。

 病院の中にはカフェがありましたし、コンビニには有機コーヒーの淹れたて、ってやつが売られていました。あの、セルフサービスだけど、いちいちマシンが豆を挽くところからやってくれるやつです。
 100円で、けっこうなお味でしたから、あたしは毎日それを買ってきて、病室に香りが漂うようにしました。

 そして、「飲んでみる?」と訊いてみて、欲しがる時にはスプーンですくってちょっとおすそ分けしていました。

 冷たいやつがいい、と言われた時はそれを買って来ました。
 我が家は基本、飲み物を甘くしませんが、時には変化をつけてガムシロップを入れたアイスコーヒーにしてみたりしました。どこかに行ったときに心ならずも甘い味がついたコーヒーを飲んだことだってあったでしょうから。

 そうやってほんの少しのコーヒーを味わうことで、母はあたしの何百倍も思い出すことがあったんだと思います。

つづく。

おひねりをもらって暮らす夢は遠く、自己投資という名のハイリスクローリターンの”投資”に突入。なんなんだこの浮遊感。読んでいただくことが元気の素です。よろしくお願いいたします。