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八百万の神

 僕は自分は日本人らしい日本人なのではないかと思っています。それは何故なのでしょうか?考えてみましたが結局は日本人の宗教観ゆえなのでしょう。日本は多神教の国であると言い切っても過言ではないかと思います。僕の家は曹洞宗ですので仏教徒ということになります。でも生まれて間もない頃に行われたお宮参りは神社に行っています。そしてキリスト教系の幼稚園に通い、小学校の低学年までは日曜学校に通っていました。6歳くらいまでにすでに3つの宗教と関わりがあったことになります。クリスマスにはプレゼントももらえる家でしたし、お寺に初詣に行って、帰りに神社にも寄ってお参りする。そんなこともごく自然な家に育ちました。日本ってそういう人が多い国なのではないでしょうか。バレンタインデー、ハロウィンにクリスマス、どれも宗教イベントですよね。でもキリスト教徒ではない多数の日本人がそれを年間のイベントの一つに入れていると思います。実に万物に寛容な国民性ですね。

 元は神道の国家であり、大陸から仏教が入ってきたわけですが、2020年12月31日時点で、神道系が8792万4087人、仏教系が8397万1139人、ほぼ同数に近いわけです。日本人の大半は神道と仏教、両方の信者ということになります。神道には「八百万の神」という自然信仰の考え方があります。万物に神は宿るというものですね。これが日本人の根本ではないかと僕は思います。仏教が受け入れられたのは多神教であったことだと思います。それが日本人には受け入れやすかったのではないでしょうか。そんな気がします。宗教史というものは非常に難しく、僕の考えは日常で体感する程度のものですので宗教考察の話はこれくらいにしておきます。

 なぜこんな話を始めたのかと言いますと、僕の音楽、アンダーグラウンド音楽シーンの捉え方は僕の宗教観に近いものと感じたからです。僕にとって音楽は神なのだとは思います。以前、僕は特定のアーチストを崇拝する人が苦手であると書き綴りました。これは唯一神を信仰する形に近いのではないかと捉えています。それに対して僕はやはり多神教的な捉え方で音楽と接しているのだと思います。良いと思えば全て神様なのでしょう。だから「どのアーチストが一番好きですか?」という問いに答えられません。

 アンダーグラウンド音楽シーンの捉え方も宗教観に当てはまります。僕も長年ずっと関わっているアンダーグラウンド音楽シーンがあります。今でもそれは自分の基幹をなすものです。でも日本にはもPunk、Rockabilly、Mods、Northern Soul、Skinheads、Ska、Reggae、Glam、Garage Punk、Hardcore Punk、Electro、様々なシーンがありますが、どれも歴史があり美学があり魅力的なものです。自分にも他を認められない時期というものはあったことは否定しませんが、今は自分とは違うものを追求している人たちとの関わりが非常に心地良い時間となっています。仏教、神道なのにクリスマスを楽しんでしまう。そんなスタンスに近い気がします。自分にも原理主義的にそのシーンで個を追求し、それを強固なものしていく時期があってのことですが、最後には日本人的な寛容さに左右されたのかもしれません。

 宗教のことを日常的に深く考えることはあまりありません。手を合わせて感謝する程度です。僕の尊敬するAppleの創業者スティーブ・ジョブズが禅に傾倒し、曹洞宗であったことを知って喜ぶ、ただのミーハーです。でも自分が意識していない時に宗教は影響はあるのかもしれません。

 音楽イベントはある種の宗教集会的な要素があると思います。その中でも僕は「八百万の神」という捉え方で関わっていきたいのです。昨夜も神々が作った盤をかける夜を過ごしました。そして今夜も神々が作った盤を持ってDJブースに向かいます。

 


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