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ブリコラージュとしての自炊と介護


 実に面白い!
 國分功一郎(哲学者)さんと、三浦哲哉(表象文化論)さんとの対談です。
 三浦哲哉さんの『自炊者になるための26週』(朝日出版社)を題材に、二人の哲学者、評論家による自炊にまつわる対談なのですが、とても刺激的、魅力的な対談になっています。

1.味わうこと

 國分さんがアガンベンの次のような考え紹介していますが、これは、「そうだったのかぁ!なるほど」と思いました。

『アガンベンの主張を思い出したんです。この本は、西洋的な哲学によって覆い隠されていた、本来の「賢さ(知)=味わう」を明らかにしているんだと。』
『また、ギリシャ語のソフォス「sophos」も、「知」や「賢さ」など、技術的に熟練していることを意味するのですが、これも語源的には「sapio(味わう)」の仲間だそうです。
 つまり、ラテン語とギリシャ語では、もともと、「賢さ(知)」と「味わうこと」が、意味的に密接に結び付いていた。ところがその後、両者は分割された。分割を前提にしてつくられた学問が「西洋哲学」や「美学」であると、アガンベンは言うんです。』

引用:國分功一郎2024.04.23 DIAMONDO online 『冷凍食品を「手抜き」と感じてしまう人こそ読んでほしい、哲学者・三浦哲哉と國分功一郎が語る「自炊」の奥深さ 三浦哲哉氏×國分功一郎氏対談』 

 語源的に知が味わうことと密接に結びついていたというのには、とても納得できます。
 「知」、「美」、「食」、「香」、「音」、「肌ざわり」、「生活」など何でも、味わうということに惹かれます。

 國分功一郎さんによると、そもそも、人類、ホモ・サピエンスも味わうという言葉に由来しているとのことです。

『人類を指す「ホモ・サピエンス/homo sapiens」の「sapiens」というのは、ラテン語の「sapor(味わうこと)」という言葉に由来するのだそうです。』

引用:國分功一郎2024.04.23 DIAMONDO online 『冷凍食品を「手抜き」と感じてしまう人こそ読んでほしい、哲学者・三浦哲哉と國分功一郎が語る「自炊」の奥深さ 三浦哲哉氏×國分功一郎氏対談』

 人間、味わうことを忘れてはなりませんね。
 そこで、考えてしまいます。介護施設の障がい老人は何を味わうことができているのかと・・・

2.自炊は自治につながる

 自炊すること、料理することが「自治」にもつながるという話も実に面白かったです。料理することの政治性?

『國分 「料理をすること=自炊」というのは、「自治」の問題でもあると思うんです。
自治のためには、自分たちで、自分たちの生をまかなえなければならない。食材を集め、自分で食べられる形にすることは、人間が生殺与奪の権を誰かに奪われないために大事なことではないだろうか。その意味で、三浦君の『自炊者になるための26週』は、非常にポリティカルでもあると思うんです。

引用:國分功一郎  2024.04.23 DIAMONDO online 『冷凍食品を「手抜き」と感じてしまう人こそ読んでほしい、哲学者・三浦哲哉と國分功一郎が語る「自炊」の奥深さ 三浦哲哉氏×國分功一郎氏対談』 

 軽費老人ホームの一つであるケアハウスは、一般的には、自炊が困難なと方を対象とする施設です。つまり、ケアハウスは比較的介護度の低い方々の施設と言えます。ということは、介護の入り口に自炊があるわけです。
 この自炊の政治性については考えたことがありませんでした。目から鱗とはこのことです。
 「自炊が困難となる」ということの社会的、政治的、人間的な意味についてしっかりと考えていく必要があると気づかされました。

3.自由意志と「中動態」

 私も自炊、料理をすることが多いですが、メニューを考えるのがとても面倒です。今日は〇〇を作ろうという私の意志なんかよりも、冷蔵庫の賞味期限切れの食材やスーパーの安い赤札食材が私に××を作れと命じているような気もします。もちろん、嫌いな料理は作りませんし、難しい料理も無理です。

 三浦 そうなんです。「自由意思」では意外と献立は作れない。 
 國分 ところが、買い物に行くだけで、「これが特売」とか、「今日はこれがおすすめ」とか、教えてくれるので、作るものが一発で決まってしまう。献立というのは、実は、押し付けられるわけでも、全部自分で考えるわけでもなく、その中間に位置するまさに「中動態」なんですね。

引用:國分功一郎 三浦哲哉 2024.04.23 DIAMONDO online 『冷凍食品を「手抜き」と感じてしまう人こそ読んでほしい、哲学者・三浦哲哉と國分功一郎が語る「自炊」の奥深さ 三浦哲哉氏×國分功一郎氏対談』

 ケアプラン等は意志決定支援といわれることも多いですが、この「意志」については十分吟味する必要があると思っています。
 その際に参考になるのが國分功一郎さんの「中動態」という概念です。でもまさか、自炊の話から「中動態」の話が飛び出してくるとは驚きでした。

参照:國分功一郎『中動態の世界 意志と責任の考古学』(医学書院)

4.自炊も介護もブリコラージュ

 自炊、料理することもブリコラージュかぁ!
 これも目から鱗です。
 確かに、私の友人たちで、料理が上手な方は介護も上手、良い介護をしていると感じておりましたが・・・
 料理することも、介護することも、同じブリコラージュだからかぁと納得しました。

三浦 映画も料理も、揺らぎを秘めた自然が相手なのだから、自分であらかじめすべて決めてかかったり、コントロールし過ぎたりするのではなく、その日の条件の中で、偶然に任せて決めていくと、驚きがあって飽きない。クロード・レヴィ=ストロース(※1)の言う「ブリコラージュ(※2)」に近い。 
※1 フランスの社会人類学者、民族学者 ※2 ありあわせのものを寄せ集めて、必要な道具などを自分で作ることを表す概念

引用:三浦哲哉 2024.04.23 DIAMONDO online 『冷凍食品を「手抜き」と感じてしまう人こそ読んでほしい、哲学者・三浦哲哉と國分功一郎が語る「自炊」の奥深さ 三浦哲哉氏×國分功一郎氏対談』

 自分の経験から言っても、確かに、自炊はブリコラージュでしょうね。そして、介護もブリコラージュです。
 この、ブリコラージュという概念は介護でもとても大切なものだと思っています。

 三浦さんの上記の言葉は介護にも当てはまります。

 介護は『コントロールし過ぎたりするのではなく、その日の条件の中で、偶然に任せて決めていくと、驚きがあって飽きない。』
 
 介護は生身の人間同士の相互行為です。この相互行為を完璧にコントロールして効率的、計画的にしようとすれば、当然、無理が生じるでしょう。
 その日のお互いの心身の状態に合わせて臨機応変にやっていくと、そこには新たな発見や驚き、喜びがあって飽きないということを現場の方々は十分に感じ取っていると思います。

 私も自炊してますが、三浦哲哉さんの『自炊者になるための26週』(朝日出版社 ¥1,960円)を買って読もうと思います。
 これは、絶対に面白そうです。


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