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はたらくおねえさん 第二話

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「ハァ~っ!? お前、まだ経験なかったのかよ?」
 三日前のことだ。
 ここは学生街にある安さとボリュームが取り柄の居酒屋。友人の栗田清二と飲んでいたときのことだ。
 修平と清二は高校の同級生で、大学も同級生という間柄だ。親友といっても差し支えない。
 二人の出身地は東北の片田舎で、出身校は地域に一つしかない進学校だ。3割は地元に残り、約半数が仙台か札幌へ、残った2割が東京をはじめとした大都市圏へとやってくる。そうした進路構成の、よくある田舎の高校だ。
 高校時代は精々お互い顔見知りという程度の間柄でしかなかったが、二次試験のの試験場でたまたま顔を見かけ、お互いはじめて志望校が同じであることに気づいたのだった。
 それを機に、以後は合格発表、入学式、そして大学生活とズルズル半ば腐れ縁のようにつるんでいる。
 大学入学から早くも二年の時が過ぎていた。後期試験を無事乗りきったことを祝して飲んでいた訳だが、若い男二人、普段は口には出さないものの今何に一番興味を抱いているのかというとそこはやはり異性関係である。
 普段は触れないようにしている話題でも、ひとたびこうしてアルコールが入るとつい口をついてしまう。
 先日二十歳の誕生日を迎えたこともあってか、男なら誰だって気になるのは他社の性的経験の有無だ。
 貧乏学生の身ゆえ、普段は女の影など欠片も見あたらない生活を送っている。自分がそうなのだから清二もそうなのだろうと思い、あえて自虐気味に女性経験の話を振ってみたところ返ってきた反応がこれである。
 同レベルの友人と思っていた清二が大人の階段を登り済みであるという残酷な事実に、修平は少なくないショックを受けていた。思わず声が裏返る。
「そ、そんなこと言ったって……。せ、清二よぉ、お前はいつの間にヤってんだよ? だってお前……大学で彼女なんて出来たことないだろ!? それとも、高校の頃は彼女でもいたって言うのかよ!?」
 清二はばつが悪そうにはにかんだ笑みを浮かべつつ、こめかみをポリポリと掻いた。
「ま、まぁ……。その、高校の時にな、ちょっと……」
 あまり深く突っ込んでくれるな、という無言の圧を感じ、修平はそれ以上の追求を断念した。
 嘘では……ないんだろうが。
 突っ込んでみたところで昔の彼女の話なんてされても惨めな気持ちになるだけだ、という打算が働いたた。
「ニュースをつければ草食化だなんだって言ってるけどよ、やっぱ女がいてこそだよな、セーシュンはさ」
「そ、そりゃそうかもしれないけど。出会いもなけりゃどうやって女と付き合うのか、まして深い仲になるのかなんて、もう全然わかんねえよ。女と話したことすら一年の頃の新歓コンパ以来ないし、無理だよ」
 二人が所属しているのは工学部。
 男女比は30対1で、数少ない女子はとっくに彼氏持ちか、そうでなければ橋にも棒にも引っ掛からないブスであるかのどちらかであった。
 学部の外でバイトやらサークル活動やらで交遊関係を広げ、彼女を見つける同級生もいるにはいるが、大学に入ってはや2年。既にそんな機を逸していると言って差し支えない。
「バッカだな。無理無理言っててもなにも変わらねえよ。そこはこう……、一歩踏み出してみるんだよ。一度経験しちまえばさ、何だって出来るって気になってくるぜ?」
「そうはいっても……、相手がいないんだしそういう場にだってもういまさら……なあ?」
「それならよう、せめていっぺん経験だけでもよ、ちゃちゃっと店で済ましちまうっていうのはどうだ?」
「み、店ぇ!? フーゾクってやつか?」
「そうそう、それそれ。別に『はじめては好きな人に……』とか、乙女みたいなポリシーを持ってる訳でもないんだろ?」
「そりゃ、そう……だけどよ……。でも、そういうのって大丈夫なのかよ? ビョーキとか、売春罪? とか……。あとはとんでもねえブスとかデブとかババアが出てくるとか……」
「ハハッ、お前、どんだけ昔の話をしてるんだよ? 今はよっぽど場末に行きでもしないとそんな事はねえよ。きょうびのフーゾクなんて過当競争でブスは淘汰される一方だし、定期検査だってまともな店なら月一でしっかりやってる。むしろトー横前に並んでるようなホス狂いの地雷女より安全なくらいだぜ」
「く、詳しいな……。お前、まさか行ったことあるのか?」
「そっ、そこはノーコメントで……」
(こいつ、通ってやがるな……。しかも、相当………!)
 確信めいた閃きが脳裏を走る。
 だが、それはそれとして、清二の言うことにも一理あった。別に操を立てるべき相手などいないのだから、ここらで一発経験しておくのも悪くないのかもしれない。好きでヤラハタになどなったわけではないのだ。
 しかし……。
「でもなぁ清二。そういう店のオネーチャンってのはたとえ美人でも、いや、むしろ美人であればあるほどどぎついタイプの所謂ビッチって感じの女ばかりなんじゃないか? そういう女ってさ……怖いんだよな」
「まぁ、わかる気がするよ」
「東京ってのはビックリだよな。街を歩けば田舎じゃ見なかったようなギラリと着飾った感じの女がごまんと歩いてる。シルエットは細いのに胸だけドンと出てて、脚なんかもグンバツで、顔も……顎なんかシュッとしてたりしてさ、素材からして違うって感じだよな。別に道々を往く女がみんな売春婦だなんて言うつもりはないぜ? でもな、そういういかにもなタイプの女を前にしたらさ、きっと気後れしちまうと思うんだ。それで勃たないなんてことになったらいよいよ俺は男として終わりだって思うよ」
「言いたいことはわかるぜ。俺もお前も田舎モン同士、田んぼや野っ原に囲まれた高校にはそういう女なんて一人もいなかったからな。やっぱモンペ履いて農作業してるような女じゃないと勃たないか」
「おいっ! だいたいそこまで田舎じゃねえだろっ、俺らの地元はっ!」
「冗談はさておき修平よ、それじゃお前、好みの女のタイプとかあるのか?」
「こ、好み? 好みって言ったって……」
「あるだろ、色々。ほら、胸やケツがでかいとか、肌が白いとか、脚が長いとかさぁ」
「う、う~ん。そうだなぁ……。まず……」
「おぉ」
「オッパイがでかくて……」
「おおっ、あとウエストは? ヒップはどうだ?」
「いや……。やっぱナシだ。俺なんかが体で女を選ぶなんておこがましいよ……」
「なんだよ~。ダチ同士、ヤローしかいない酒の席なんだからよ、好き放題言ってみなって」
「う~ん、そうは言ってもな……」
「何でもいいんだ。体型とかじゃなくて、性格とか、趣味とか、出身地とかさ」 
「……あぁ、それならあるよ。タイプの娘」
「どういうタイプよ?」
「真面目で優しくて、毎日俺のことを起こしにきてくれそうな幼馴染み」
 一拍置いて、清二が吹き出した。
 勿論修平には隣の家に住む容姿端麗で成績優秀でスポーツ万能で登下校を共にするような幼馴染みなどいない。いたらこのような女ひでりの生活はしていない。
「はははははっ!」
 堪えきれずに清二が爆笑した。
「笑うなよ! 言えっていうから言ったんだろ!?」
「ハハハハハッ……。いや、悪い悪い。でもそりゃ芸能人とつきあうよりハードル高えや。将来タレントとお付き合いできる可能性はゼロじゃねぇけど、幼馴染みが生えてくる可能性はもうゼロだもんな」
「だな……」
 お互いに、ジョッキに残っていたビールを一気に飲み干した。苦味が喉奥を通り抜けていった。

      ◇

「高校のうちに地元で彼女作っとけばよかったんだよ。やっぱしなぁ」
 辛子味噌をちびちびとつまみつつ、ジョッキ六杯目の生ビールを喉に流し込む。割と酒は強い方だが、流石の清二も既に顔が赤らんでいる。
「そりゃあ……そりゃそうだよ。でも、きっとそうなってたら別れてたんだろうな……」
 同級生の女子たちは親の意向ゆえか、地元か出ても精々が仙台か札幌あたりに進学する者が多かった。近年は地元志向が強まっているとよく言われるが、修平たちの地元は特にそうであるといえる。
 それゆえにはじめから上京するつもりであった修平は、どうせ別れしか待っていない相手を彼女にするのをあえて避けていたところもある。
「ま、単にモテないだけとも言うけどな」
「うるせーなっ!」
 修平は半ばヤケと化し、半分くらい残っていたジョッキの中身を喉に流し込んだ。
「結局よ……」
「ん……?」
「ナチュラルな感じがいいんだよな……女ってさ。ほっとするって言うか。帰るべき場所って感じの女だよな。好きになれそうな……好きになっちまうようなタイプってのはさ」
「ああ……。そこは同感だよ……」
「……なあ、修平」
「んだよ……?」
「俺らと同郷のよ……、同高出身でさ、東京でフーゾク嬢やってる子が居るっていったら、信じるかい?」
「……えっ、マ、マジかよ!?」
「あくまで噂だぜ。噂。たまたま風の噂で聞いただけだから、誰にもいうなよ?」
「お、おう……。どうせ言う相手なんていないけどさ……」
「そりゃあよかった」
「で、誰なんだい? その子ってのは。俺の知ってる女かい?」
「修平が知ってるかどうかは知らんけどさ」
「誰だよ。名前くらい教えてくれよ」
「知ってるかな? 水谷……、水谷祥子先輩。俺らが一年の時の生徒会長。ホラ、二年上のさ」
「一年の頃の生徒会長? うーん、大分うろ覚えだな……」
 部活の先輩等なら兎も角、あまり関わった覚えのない先輩だ。生徒会長である以上、壇上で演説する姿を━━つまり何度か顔を見たことがあるはずなのだが、遠目であったし、流石に四年も前とあっては流石にもう記憶も曖昧だ。
「その女がフーゾクやってるっての?」
「ある筋から聞いた噂だよ、うわさ。とりあえずこれを見てくれよ」
 清二はスマートフォンを取り出して見せた。
 見せられた画面は風俗店とおぼしきホームページだ。
 画面には椅子に座った下着姿の女がひとり。
 色白でほっそりした手足、それでいてバストやヒップは豊満。
 目線には『Ichika』という文字とともにボカシが入っているものの、すらりとしたフェイスラインや柔らかそうな唇からして、美人であることは間違いなさそうだ。
「これが……その水谷先輩?」
 高校時代の記憶が既に曖昧なためか、それが先輩自身なのかどうかはわからなかった。
「……ほら、見てみろよプロフ欄。出身地は俺たちと同じ県を書いてるし、写メ日記でもたまに地元の事書いてるぜ」
「あ、本当だ。先月潰れたデパートのこと書いてら」
 写メ日記には数ヵ月に一度くらいのペースで地元ネタが出てきていた。豪雪に逢って雪掻きを手伝ったとか、昨今の不景気に伴い唯一の大規模商業施設が撤退したため、買い物にも困っているとかいった話だ。これらは確かに修平たちの地元の特徴とも一致している。中には見覚えのある背景もちらほら見える。
「なあ修平、頼むよ。この人が本当に水谷先輩なのか確かめてきてくれよ。そんでもって童貞も捨てちまいなって」
「えっ……マジでか?」
「おう、マジも大マジよ。とっとと童卒してこいよ。なんならちょっとくらい出すぜ」
「いや、そうは言ってもお前……」
 俊巡する修平を尻目に、清二は一万円札を2枚修平の胸ポケットへとねじ込んだ。
「おいおい……、困るって……」
「ここ、これで払っといてくれよ。釣りはやるよ。よろしくヤってきなって、な?」
「マジかよ、お前……!」

      ◇

 二日酔いから完全回復した三日後、修平はソープランド『失われた天使たち』の前にいた。予習はバッチリ、事前に『イチカ』を90分コースで予約済みだ。
 このときの修平は降って沸いた童貞卒業のチャンスに冷静さを失っていた。
 もう少し思慮深さがあれば、アルコールが入っていなければ、やもすれば違和感に気づいていたのかもしれない。

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